(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)

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 日本政府は7月1日、韓国の半導体材料に対する輸出審査を4日から厳しくすると発表した。これにより、有機ELに使うフッ化ポリイミド、半導体製造に使うレジスト(感光材)、エッチングガス(フッ化水素)の3品目を対象に、輸出ごとの許可、審査が求められるようになる。これまでは企業が包括的な許可を取れば、複数の案件をまとめて円滑に輸出できたのだが、今後は契約ごとに輸出許可が必要になる。

 また、今年夏には政省令を改正して、安保上の友好国である「ホワイト国」の指定から韓国を除外する。ホワイト国の指定を失うと、軍事転用の恐れがある先端技術や電子部品などを日本から輸出する際に、やはり個別に許可の取得が必要となる。日本が全面禁輸する訳ではないが、許可申請と審査には通常90日かかることになる。

韓国経済非常事態

 この日本の措置に対して、韓国に緊張が走った。韓国政府は1日午前、洪楠基(ホン・ナムギ)経済副首相兼経済財政部長官の主催で非公式の経済懸案会議を開催、関係閣僚などが出席して対応を協議したし、同午後には産業通商資源部次官の主催で業界関係者と対策会議を開いている。

 1日の会議で成允模(ソン・ユンモ)産業通商資源相は、いわゆる「元徴用工」訴訟で韓国の大法院(最高裁)が日本企業に賠償を命じた問題に対する「経済報復」だとして遺憾を表明し、「WTO提訴をはじめ、国際法と国内法に則り必要な措置をとる」と述べた。また、趙世暎(チョ・セヨン)第一外務次官は同日、長嶺安政大使を招致し、遺憾の意を伝えた。康京和(カン・ギョンファ)外交部長官は「日本の報復性措置が出てくれば、黙っていることは出来ない」とつい先日述べたばかりだ。日韓で相互経済報復が現実化すれば、双方の企業に大きな被害が出ることは避けられないだろう。

韓国の主要産業に大打撃

 実際、韓国経済にどの程度の影響が出るのだろう。

 フッ化ポリイミドは有機ELディスプレーに使われる素材であり、テレビとスマートフォンの製造に欠かせない。また、レジストは半導体製造時、基板に回路写真を転写するときに必須の感光液で、エッチングガス(フッ化水素)は基板表面処理に使われるガスだ。これらの素材の世界の全生産量の70~90%は日本が占めており、グローバル市場で輸出競争を行っている韓国の半導体とディスプレー企業は核心素材の確保が困難になる。

 こうした事態に対し、韓国企業は非常事態に陥った。財界関係者は「在庫物量の確保や供給処の多角化で当面は対応するだろうが、中長期的には影響を受けることは避けられない」とコメントしている。日本経済新聞によれば、韓国の半導体大手SKハイニックスの関係者は、材料の在庫量は1~2カ月分程度で、追加の調達が出来なければ3カ月後には工場の稼働停止もあり得る、と話しているという。

 これらの製品の輸出規制は、日本では以前から取り沙汰されてきたので、韓国のトップ企業では当然こうした事態に備えてきたはずである。しかし、当座はしのげても、この規制が長引けば徐々にその影響が浸透して来るはずだ。韓国企業は、「ファーウェイ制裁よりも大きな制裁がやってきた」「ファーウェイ制裁の10倍と言われる衝撃がやってきた」と危機感をあらわにしている。

 韓国の経済は今、半導体で何とか成長し、輸出、企業利益を維持している状況にある。その基幹産業に重大な影響を及ぼす場合、韓国経済全体への負の影響が深刻となる恐れがある。

 逆に日本側にはどのような影響が予想されるのか。

 こうした政府の措置に対し、日本経済新聞は「通商ルールを恣意的に運用していると受け取られる恐れがある」「日韓関係の緊張を高める可能性がある」「中長期的に『脱日本』の動きを招きかねない」と懸念も伝えている。

 また、当面の問題として、韓国の企業を顧客に持つ、これらの3品目を生産する企業、韓国から半導体を輸入する企業にも実害が及ぶことは避けられまい。例えば、韓国製半導体を使用しているアップル社のiPhoneの生産が落ち込めば、アップルに部品供給している日本企業にも影響が出る。事態の成り行きを固唾を呑んで見守っているのは、韓国企業だけではないのだ。

日本は自由貿易に反する行動を取ったのか

 今回の一連の措置をとる理由について経済産業省は「外為法に基づく輸出管理を適切に実施するとの観点から、韓国向けの輸出について厳格な制度の運用を行う」「輸出管理制度は、国際的な信頼関係を土台として構築されるが、日韓間の信頼関係が著しく損なわれたと言わざるを得ない状況」「韓国に関連する輸出管理をめぐり不適切な事案が発生した可能性もある」と述べ、元徴用工を巡る報復措置とは直接関連付けていない。

 ここで、「輸出管理をめぐる不適切な事案」については説明がないが、最近の韓国の北朝鮮への過度な融和姿勢、北朝鮮産石炭のロシアを通じた不正輸入、瀬取りなどに鑑み、北朝鮮との不正取引が行われたことを指すのであろう。今回の措置は韓国に対してのみ関税増額などの不利益を課すものではなく、最近国際情勢や韓国の対応をめぐり、“優遇措置をやめるだけ”とも言え、韓国がWTOに提訴しても日本の立場について十分説明できると考える。

 また、日本との関係では、戦後の日韓関係の基盤を揺るがす行動を取ったこと、レーダー照射問題では日韓の安保協力を否定する行動を取ったことから、日韓の政治レベルでの信頼関係は著しく低下している。したがって、日本の主張は理にかなったものではある。

 もちろん、韓国はこのような日本の立場は認めないであろう。そもそも、「自分たちがすべて正しい」と主張する文在寅大統領の下では、日本の貿易制限措置として強く反発して来ることは必定であり、政治関係の悪化が経済関係、国民同士の関係に波及してくる可能性は排除できない。韓国の国民は「戦前日本は軍事力で韓国を支配した。戦後は経済力で韓国を痛めつけるのか」として、反日になる可能性がある。

今回の措置がなぜ必要だったか

 今回の措置の目的は、韓国にも日韓関係悪化の痛みを知ってもらおうということである。韓国の最近の歴史問題やレーダー照射問題など、日韓間の信頼関係を揺るがす行動は最早日本として看過できないところまで来ている。

 これまで日韓間で歴史問題等をめぐる葛藤があると、韓国の国民感情の激高を抑え、日韓関係を軌道に戻そうとして日本側が多く譲歩してきた。それだけ日韓関係は重要であり、いつまでも対立するのは望ましくないとの考えが背景にあった。また、数十年前までは日本は韓国を併合したのだから、韓国に対しては配慮する必要があるとの考えを抱く人も多くいた。

 日本が譲ってでも日韓関係を管理したことによって、韓国人一般の対日認識は大幅に改善した。他方で、韓国は「強く出れば日本は譲歩して来るだろう」との甘えを抱くようになってしまった。いや、より正確に言うのなら、韓国は「自分たちが正しい」と考えているから、「日本が譲歩した」というよりも「当然のこと」と受け止めているようである。

 今、日本人の対韓感情は最悪のところまで来ており、「韓国に譲歩すべきだ」という日本人は極めて少ない。これからは是々非々で、日本としても強く出ていかざるを得ないだろう。ただ、いきなり半導体材料の輸出規制という“劇薬”を持ち出してきたのは、最初から全面対決モードに入ったとの感も抱かせる。

対立しても、韓国の国民感情への配慮は重要

 文在寅政権の対日政策は、日本としてとても看過できるものではない。これに対しては相応の強い姿勢で臨まざるを得ない。他方、それによって韓国の一般の人の反日感情を呼び起こしてしまったら、文政権の反日政策を後押しすることになりかねない。そこで心掛けねばならないことは、文政権に対する強硬対応と、韓国の国民感情の高まりに対する抑制とを同時並行的に進めていくことだ。

 そうした視点で見れば、半導体の輸出規制を持ち出すタイミングについて、「今が適当なのか」という疑問は残る。

 大阪G20に出席するため日本を訪問した文在寅大統領に対し、安倍総理は8秒間の握手をしただけで会談は略式を含め拒否した。その文大統領が帰国するのを待つかのように規制強化を発表した。これに対し韓国の人々が「日本に裏切られた」との感情を抱いても不思議ではない。文氏の帰国翌日、この措置を発表するのならば、G20で首脳会談に応じ、韓国政府の対応が変わらないことを確認し、輸出規制の導入を通告しても良かったのかも知れない。

 また、韓国では経済官庁や財界が慌てているが、問題は文大統領がどう反応するかである。文大統領のこれまでの関心事項を見ると、北朝鮮べったりであり、今は6月30日の米朝首脳会談を受けこれから南北関係にどう臨もうかで頭がいっぱいになっているはずだ。日本の今回の措置、それを招いた韓国への怒りに、文大統領がどこまで気配りし対応するか心細い気がする。

 もともと、文大統領は日本がいかなる措置をとろうと歴史問題などの対応を変えてくる人のようには思われない。これまでの文大統領の行動パターンは、自分がやりたくないことは回避するというものであった。それが韓国の外交無策となり、各国の信頼を失わせてきている。したがって、韓国経済が大打撃を受け、日本との関係改善なくしてはどうしようもなくなるまで一切動かない可能性が高い。

 もちろん韓国には良識のある人が多くいる。「日韓関係の修復を図るべき」という意見が進歩派の元老の中からも多く聞こえるようになってきた。しかし、トランプ大統領金正恩委員長の「歴史的会談」に酔いしれ、国民感情が盛り上がっている時に、韓国国民が日本の怒りにどこまで共感するだろうか。少なくとも短期的にはむしろ反発する向きが多いだろう。

韓国の対抗策はあるのか

 そうした状況で、韓国政府は今後どのように出てくるか。日本に対し貿易、金融面で効果的な対抗措置で何があるのか。私には、日本を脅かすような措置を直ちには思いつかない。

 実は今回、韓国大統領府は率先して事態解決に当たろうという姿勢はまだ見せていない。朝鮮日報によれば、日本が輸出規制を発表した当日、大統領府は公式コメントを発表しなかったが、青瓦台の関係者は「産業通商資源部など関係部処が対応するだろう」と語ったという。徴用工判決の際にも大統領府は、「司法の決定なので政府はどうしようもない」とコメントし、事実上日韓関係の悪化を放置してきた。今回も積極的に動こうとしない大統領府に対して、「都合の悪い事態になると、関係省庁に尻拭いを押し付けている」との批判が出ている。

 それでも貿易に関し日本に何らかの「報復」をしようとするならば、韓国政府が韓国企業に言うことを聞かせようという時によくやっているように、通関及び決済遅延、税務調査などをしてくる可能性はある。今回もこれをやるかどうかは分からないが、このようなことをすれば日本企業の「脱韓国」の動きに拍車がかかるだろう。ただ、日韓間の泥仕合になる可能性もあり、油断はできない。

 すでに韓国政府の最低賃金政策や原発停止に伴う賃金コストの下落、THAAD配備をめぐる中国との葛藤など、韓国への投資の魅力は落ちており、日本が韓国を見限るのは意外と早いかも知れない。今回の日本の措置とこれに対する韓国政府の対応により、日韓経済関係は当面縮小が避けられそうもない。

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