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Point

ロンドン大学キングスカレッジのピーター・フェンウィック博士は「脳が無くても意識は存在できる」と主張

■意識は全宇宙に浸透するものであり、脳はその一部分しか受け取らないという(それが個人の意識となる)

■死後は個人の意識が宇宙の全意識に戻ることで、他者との区別のない完全な意識となるという

脳がなくても「意識」は存在できるのか。

脳科学の分野では、もちろん脳がなければ意識は生まれないし、存在できないといわれている。なので脳が死んでしまうと同時に、意識も存在することをやめてしまう。

この結論は当然のようにも思われるが、一方で「脳がなくても意識は単独で存在できる」と主張する専門家がいる。ロンドン大学キングスカレッジの神経精神病理学者ピーター・フェンウィック博士だ。

博士はおよそ50年間にわたって脳や意識、臨死体験について研究して来た権威であるが、その中で「意識は死後も持続する」と主張しているのだ。しかも博士によると、意識は死んだ後でこそ完全な存在となれるという。

我々の常識からすると、一見奇妙に思えるこの言説について紐解いていこう。

脳は意識の一部を通すフィルターである

フェンウィック博士の主張はこうだ。

そもそも「意識」というのは個人に特権的なものではなく、暗黒物質や星間エネルギーのように宇宙全体に満ちた一つの性質として存在している。

そのごくごく一部を脳が抜き取り、フィルタリングすることで個人の意識が生まれるというのだ。

例えば、目というのは宇宙空間にある光の全スペクトルの一部をしか通さない。耳も同様に、拾うことの可能な周波数をしか聴くことができない。人はそれらが見えるものや聞こえるもののすべてと思い込むが、本来はもっと多くの光や音が存在している。

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「海=全宇宙の意識」「バケツ=個人の脳」とするならば、バケツですくえた分だけが個人の意識になるというわけだ。面白い考えだが、かなり過激な結論に思える。

死後に意識は完全なものとなる

では次は、脳がなくなった後の意識について考えてみよう。

バケツが壊れたら中の水はこぼれ出し、元の海に戻ることが予想される。つまり個人の意識というのは死後も幽霊のように単独で存在できるのではなく、宇宙の意識に戻る、あるいは吸収されるということなのだ。

エヴァンゲリオン』の某計画かな? という感じである。

また博士は「脳が意識の一部をフィルタリングするからといって、その一部が生きている間ずっと自分だけのものにはならない」と指摘する。

これは目と光の関係を考えてみればすぐに理解できる。自分の目が光の一部を通すからといって、他人が同じ光を通すことができないわけではない。こうした錯覚が生み出すのは、自己と他者が絶対的に分離されているという考えだ。

博士によると、自分と他人の意識は生前も死後も水面下ではつながっているという。

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しかし皮肉なことに、完全に区別のない「私たちの意識」となるのは死んだ後でしかないのだ。生きている間は脳がフィルタリングすることで、意識は自分だけのものと錯覚してしまう。

死の中でこそ、「自己/他者」という分離の幻想が壊れて、誰しもが統一された意識の内に安寧を感じるのである。なんだかよくできたSF小説のようだ。

 

ところで最初の問いに戻ってみると、答えはイエスでもありノーでもある。なぜなら博士の理論としては意識は脳なしでも存在できるが、それを科学的に証明する手立てはまったくないからだ。

結局答えは、いっぺん死んでみないと分からないのかもしれない。

脳は私たちが意識する「11秒」も前に決定を下している

reference: psychologytoday / written by くらのすけ

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脳がなくても「意識」は存在できるのか?