『世にも危険な医療の世界史』(文藝春秋) 著者:リディア・ケイン,ネイト・ピーダーセン


正しい評価阻む「生きたいという願望」

医学史に、いささかの不満がある。人類の医療の歩みをすすめた輝かしい成功の歴史だけで、埋め尽くされている感があるからだ。しかし、ほんとうの医療の歴史は、試行錯誤と失敗の歴史であった。とんでもない「インチキ療法」が、とめどなく開発される。悲しいことに、人はそれを信じる。「生きたい」と切に思うから、その人体実験に参加せざるを得なかった。そして、死体の山が築かれ、結果として、比較的、害が少なく、効果のある「療法」が発見されて、それが生き残り、今日の医学体系となっている。成功したものだけに着目してはいけない。なぜなら、医療の歩みは必ずといっていいほど、失敗をともない、被害者を生み出してしまう。医療過誤や薬害である。医学の目的は、人を救うことであるから、被害者を生み出す「医療失敗の歴史」をみすごしてはならない。

本書は米国で出版された。原書タイトルは「QUACKERY: A Brief History of the Worst Ways to Cure Everything」。直訳すれば『インチキ療法-最悪全療法小史』である。しかし、医師と図書館司書の著者コンビは、膨大な文献にあたり、小史どころか訳題にあるような、危険医療の世界史を書き上げている。われわれが教科書で知っている世界史上の人物たちも、しばしば、インチキ療法にはまり、犠牲になっている。

約二千二百年前、秦の始皇帝が不死の仙人薬として、水銀を摂取し、命を縮めたのは、よく知られているが、水銀漬けは、古代人に限らない。ナポレオン・ボナパルトも、リンカーンも、水銀含有薬を愛用していた。水銀の入ったカロメルという薬は乳幼児にまでつかわれ、1950年代にはっきり毒性が突き止められるまで「子どもを元気に」し、赤ん坊を太らせる薬とされていた。人類が水銀薬と決別できたのは、ごく最近のことである。なにしろ、水銀は梅毒の薬とされ、たしかにバクテリアに抗する効果はあるらしいが、それ以上の人体への副作用、薬害が無視されて使われ続けた。本書にはなく、医学史に詳しい者なら知っていることだが、杉田玄白も水銀系の薬を、梅毒患者に処方し、解体新書の翻訳事業をなしとげた。徳川家康も、水銀の入った薬を自身で調合し、息子の水戸藩主に与えていた。

ヒ素も、水銀とならんで毒性があるにもかかわらず、薬にされてきた物質である。なんとパンにつけて食べる薬にもなっていた。マルクスダーウィンもヒ素剤を飲み、マルクスは頭の動きが鈍くなるといって、服用をやめたが、ダーウィンはやめず、ヒ素で肌が黒ずんでいたらしい。

ラジウムラドンなど、放射性物質を薬として飲ませることも二十世紀には流行(はや)った。インチキ療法で恐ろしいのは、有毒薬剤を処方すればするほど、医師が儲(もう)かる仕組みと結びついた場合である。これで犠牲者が増えてしまう。これを止める第一歩は「統計」であるらしい。服用すると、悪い症状や死亡率が上がっていることに統計で気づく。それを公的な機関が認識し、この療法は危ない、やめさせるべきだ、と明確な禁止令を出した時、ようやくインチキ療法の犠牲者の生産は止まる。しかし、インチキ療法を開発し、それを患者に施した医師は、忘れ去られるだけで、厳しく責任を追及された歴史的事例は少ない。人間がインチキ療法にひっかかり続けるのは「生きたいと強く望むあまりに、物事を正しく評価できなくな」るからだと、インチキ療法を調べ尽くした著者は結論づける。医療過誤や薬害は、これからも人類に続く。肝に銘じたい。

【書き手】
磯田 道史
歴史学者。1970(昭和45)年岡山市生れ。茨城大学准教授。2002年慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現職。著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。

【初出メディア
毎日新聞 2019年6月9日

【書誌情報】

世にも危険な医療の世界史

著者:リディアケイン,ネイト・ピーダーセン
翻訳:福井 久美子
出版社:文藝春秋
装丁:単行本(427ページ
発売日:2019-04-18
ISBN:4163910174
世にも危険な医療の世界史 / リディア・ケイン,ネイト・ピーダーセン
医療過誤や薬害は、これからも人類に続く。「医療失敗の歴史」をみすごしてはならない