(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

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 日本の長期金利は、今年に入ってマイナスが続いている。ユーロ圏でも政策金利はゼロで、実質金利(物価上昇率を引いた金利)はマイナスが続いている。アメリカでも実質金利はほぼゼロだ。これは世界史上でも空前の現象である。

 資本主義は企業が借りたカネを投資して収益を上げ、金利を払うシステムである。その金利がマイナスになったということは、企業が資本収益を上げられなくなったことを示している。特に日本経済ではゼロ金利が20年近く続いている。何が起こっているのだろうか。

国債バブルから軟着陸できるか

 長期金利がマイナスになるとは、どういうことか。国債の場合でいうと、たとえば額面100円で表面利率0.1%の10年物国債を10年持つと元利合計で101円なので、普通はそれ以上の価格はつかない。

 ところが銀行が国債の入札で101円以上の価格をつけると、金利がマイナスという計算になる。これで銀行は損するように見えるが、それより高い価格で日銀に転売できるので、薄いが確実な利益を出すことができる。

 次の図は日本の長期金利(新発10年国債の利回り)だが、2019年2月から一貫してマイナスであり、最近はマイナス0.15%前後である。

 この原因は日銀の量的緩和による「国債バブル」だという見方がある。金利が下がり続けるということは国債価格が上がり続けるということだが、日銀の国債保有残高は478兆円、国債市場の43%を占め、結果的に国債を買い支えていることは否定できない。

 バブルは悪ではない。たとえば通貨はバブルである。1万円札の原価は20円ぐらいだから、それが1万円の商品と交換できるのは政府の信用を担保にしたバブルだが、それは生活に必要なバブルである。「日銀券バブル」が崩壊することは、日本政府が崩壊しない限りありえない。

 同じ意味で国債もバブルだが、それが急激に崩壊するとは限らない。ゆるやかに軟着陸させることは不可能ではない。たとえば日銀が保有する国債を永久債として「塩漬け」にすれば、統合政府(政府+日銀)のバランスシートで考えると債務は相殺できる。

 しかし量的緩和が終了すると、金利が上がる可能性がある。何かの原因で急激な円安になって外資系ファンドが国債を大量に空売りし、邦銀がそれに追随したら、国債が暴落する可能性もある。

財政政策で長期停滞は解決できるか

 では日銀が量的緩和から撤退したら、金利は上がるだろうか。現実には日銀の資産買い入れは最盛期の年80兆円から2018年には30兆円に減っているが、金利はさらに下がってきた。政策金利をマイナス0.1%に下げても、短期金利はそれより低い。

 つまり現実の金利は、今の水準でも高すぎる可能性がある。それは自然利子率インフレにもデフレにもならない実質金利)が、かなり大きなマイナスになっているためだ。その水準を正確に推定することはむずかしいが、長期金利をゼロとすると政策金利はどれぐらいが適正かという「影の金利」はマイナス8.3%という計算もある。

 問題は、自然利子率が下がり続けるのはなぜかということだ。自然利子率はおおむね潜在成長率に等しい実体経済の要因なので、これが低いということは潜在成長率が低い、つまり日本経済が成長できなくなったということだ。

 それはある意味では当然である。日本の生産年齢人口は毎年1%近く減っており、他の条件が同じならマイナス成長になり、マイナス金利になる。それを相殺するのは生産性の上昇だが、これは最近では年率0.5%程度だ。それを金融政策で解決することはできない。

 マクロ経済学的に考えると、マイナス金利の最大の原因は貯蓄過剰による長期停滞なので、財政政策で総需要を拡大すべきだというのが、ローレンスサマーズなどの主流派経済学者の意見である。

 マイナス金利は、悪いことばかりではない。政府の借金をマイナス金利で借り換えれば、借金を減らすことができる。政府の利払い費をみると、最近のゼロ金利で(政府資産からの受取利息を引いた)ネットの利払い費はGDPの0.4%と、1990年の3分の1になっている。今は財政赤字を出すチャンスなのだ。

「物的資本主義」の終わり

 日本のマイナス金利が国債バブルか長期停滞かについては、経済学者の中でも議論がわかれているが、論理的には相容れない話ではない。1990年代後半から日本の企業が貯蓄過剰になって、長期停滞という悪い均衡の罠に陥ったと考えることもできる。

 だとすると必要なのは、この罠から抜け出すことだ。特に日本企業のリスク態度が1990年代末から大きく変わって貯蓄率が上がり、その分を政府支出で埋める構造が続いてきた。この問題を解決しないと生産性は上がらず、自然利子率も上がらない。

 生産性を上げる改革に反対する人はいないが、政府にできることは限られている。安倍政権の「第3の矢」とされた規制改革も、見るべき成果は上がっていない。金融政策が無効になったマイナス金利時代には、消去法で考えると財政政策しか残っていないが、裁量的な財政政策は政治家の食い物にされるというのが歴史の教訓である。

 マイナス金利は長い目で見ると、金利という指標で動く物的資本主義の終わりかもしれない。それは資本設備の稀少性が大きかった18世紀のイギリスで発達したが、20世紀には資本が過剰になり、金利生活者や銀行は安楽死する、とケインズは論じた。

資本主義の金利生活者的な側面を、それが仕事を果たしてしまうと消滅する過渡的ものであると私は見ている。そして金利生活者的な側面の消滅とともに、資本主義に含まれる他の多くのものが変貌を遂げるであろう。(『雇用、貨幣および利子の一般理論』)

 21世紀の世界で稀少なのは物的資本ではなく、情報や権利などの無形資本である。それは人々の生活を快適にし、企業収益を上げるが、物的資本を増やして金利を生むとは限らない。あなたの持っているスマートフォンは30年前の大型コンピュータより大きな処理能力をもつ「資本設備」だが、そこで使えるサービスのほとんどは無料だ。

 資本主義の主役が製造業から情報・サービス業に移るとき、物的資本の世界を支配してきた金利という尺度は役に立たないのかもしれない。だとするとマイナス金利の先頭を走っている日本には、周回遅れのトップランナーになるチャンスもある。

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