「Please sir,I want some more.」(おかわりをください)

これは、チャールズ・ディケンズの長編小説『オリヴァーツイスト』(連載1837年~1839年、単行本1838年発行)の有名なフレーズだ。

19世紀英文学を代表する作家ディケンズは、『クリスマス・キャロル』『二都物語』など多数の名作を著したが、とりわけ『オリヴァーツイスト』はこれまで、1922年(フランクロイド監督)、1948年デヴィッドリーン監督)、1968年キャロルリード監督)、2005年ロマン・ポランスキー監督)と、4度も映画化されたほどの有名な小説だ。これを新たな脚本と音楽でミュージカル化したのが、日本のアークスインターナショナルである。

そのミュージカルオリヴァーツイストは、未来和樹と山城力をWキャスト主演に迎え、東京芸術劇場での上演が2019年7月11日に始まった(14日まで。9月14日~16日には、兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールでも上演)。脚本・演出は岸本功喜、作曲・音楽監督は小島良太。上演時間は第一幕1時間、休憩15分、第二幕1時間の、計2時間15分。筆者は、開幕ステージに先立つ最終総稽古(ゲネプロ)を見学した。タイトルロールを演じたのは未来だった。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

これまで『オリヴァーツイスト』のミュージカル版といえば、マークレスター主演のミュージカル映画『オリヴァー!』(監督=キャロルリード)がおなじみだった。これは、ロンドンウエストエンド1960年初演の大ヒット舞台(脚本・作詞・作曲=ライオネル・バート)を映画化したもので、筆者も過去何度もビデオで鑑賞してきた。救貧院のお偉いさんたちが豪勢な料理を食べる中、孤児たちが、「グルーエル(gruel)」という、オートミールを薄く溶いたおかゆを食べさせられている。しかも、ほんのちょっとだけ……。仲間内でのクジ引きでハズレを引いたオリヴァーが、その薄いおかゆの「おかわり」をお願いする役目を負わされる。そこで弱々しく発せられた言葉が、本文冒頭で紹介した「Please sir,I want some more.」だった。「What?!」と聞き返されておずおずと「Please sir,I want some......more?」と再び願い入れるマークレスターの悲しげな瞳がとても印象的だった。

そのオリヴァー役に今回抜擢されたのが、未来和樹と山城力。ごぞんじ、ミュージカルビリーエリオット』日本版(2017年)で主役を張った2人である。もちろん「おかわりをください」のセリフも今回発せられる。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

作品の時代背景を簡単に説明すると、舞台は19世紀ヴィクトリア朝の英国、ロンドン。18世紀後半から起こった産業革命により人々の階層は、工場を所有する資本家層と、そこで働く労働者層とに二極化されていた。また、ナポレオン戦争後の不況により失業者も急増していた。すると従来の福祉政策では予算的に対応できなくなった国が、貧民援助制度を厳格に運用・管理すべく、救貧院(Workhouse)という福祉施設に入所していない貧困者について、その援助を打ち切った(新救貧法)。これにより、管理強化された救貧院は「貧困者の監獄」となる一方、救貧院外の労働者たちはさらなる生活苦に追い込まれる。特に、貧しい家の子どもや孤児は人身売買され、早朝から深夜まで「煙突掃除夫」などのような生命の危険にさらされる仕事に従事させられた。ちなみに今回の舞台でもオリヴァーが煙突掃除夫に買われそうになるシーンが出てくる。

(撮影:山之上雅信)

(撮影:山之上雅信)

時を経て20世紀、英国・労働党政権は第二次大戦後の1948年に、従来の救貧法の類に代え、国民保健(ナショナル・ヘルス)サービス等の手厚い公的保障へと発展させる。しかしこれにより経済の国際競争力が低下。そこで国有企業の民営化などで事態の打開を図ったのが保守党政権のマーガレット・サッチャー首相だった。かつての産業革命を支えた石炭産業にも彼女がメスを入れたために、大きなストライキが起こった。その様子を背景として描かれた映画及び舞台こそ『ビリーエリオット』であり、その主役を演じた2人が今回オリヴァーツイストを演じているのも大変に興味深い。彼らを通して、時代を超えた、社会から振り落とされた下層階級の在りようがみえてくる。

ここで、ざっと舞台のストーリーを紹介しよう。

あらすじ
おかわりをください」 薄いおかゆおかわりを求めたために救貧院を追い出された孤児オリヴァーツイストは、一度は葬儀屋に買われるがそこから逃走、路上でドジャーと出会い、老ユダヤ人フェイギンを頭目とする少年たちの窃盗団に引きずり込まれる。その後、裕福で心優しい紳士ブラウンローに保護されるが、拉致されて再びフェイギンやその仲間ビル・サイクスの元に戻されてしまう。次々と課せられる苦難に、オリヴァーの運命は――。


救貧院を追い出されたオリヴァーはドジャーとの出会いによって、少年窃盗団に引きずり込まれた。街の身寄りのない(救貧院外の)少年たちが、なぜ窃盗に手を染めなくてはならないのか、前述の時代背景の説明からおわかりいただけるだろう。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

オリヴァーが出会う気立てのいい窃盗少年ドジャーを今回演じているのは、現在35歳の変幻自在俳優・神田恭兵。実はドジャーは本名ではなく、通り名である。本名を知っているのは窃盗団の頭領フェイギンのみ。本名が知られれば、すぐに窃盗団の足がついてしまう。だからオリヴァーもまた、フェイギンのもとで世話になる以上、本名を名乗ることができず、ここでは「オリー」として生きていかねばならない。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

フェイギンは、シェイクスピア劇『ヴェニスの商人』における強欲な高利貸しシャイロックを思わせるユダヤ人だ。彼は、一番よく働いた子へのご褒美としてソーセージを用意している。「フェイギンは豚肉を禁忌とするユダヤ教徒ではないのか?」と思う方もいるだろう。しかし原作小説でも、「サビロイ(saveloy)」という、燻製にした豚肉ソーセージを食べる描写がある。オリヴァーベーコンに食らいつく場面も劇中に登場するが、これは原作の中でも語られているように、「うまく燻製にされたベーコンの赤身と脂身の縞模様のように、ドラマの中には悲劇と喜劇が何度も交互に出てくる」ということの暗喩なのであろう。人生もまたベーコンの赤身と脂身のように、明暗が混ざっている。

ともあれ純粋なオリヴァーの、泥中をさまようような物語に生の明かりを差し込んでいるのが、フェイギンのとぼけた味わいなのだ。少年たちには優しく、裏腹に内面では非情な残酷さも湛える、この複雑怪奇な人物を福井貴一が好演している。とりわけ終盤の名場面は忘れがたいほどに心に刻まれる。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

裕福な紳士ブラウンロー(姜暢雄)、心優しいナンシー(瑞季)、ナンシーの恋人にしてフェイギンの仲間である名うての悪党ビル・サイクス(川原一馬)など清濁さまざまな大人たちに触れながら、波乱の運命に翻弄されるも、自らの信念やまっすぐな心は決して失わないオリヴァー。そんな彼をを迎え入れる窃盗団の少年たちは無邪気であたたかく、オリヴァーのことを本気で心配してくれる。寝床へと手を引いてくれる。一緒にご飯を食べようと誘ってくれる。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

そんな子らを演じるのが、ジュニアアンサンブルの面々。未来和樹オリヴァーの回には、『くまのがっこうミュージカル ジャッキー!』(2018年)ロイ役などで活躍めざましい川村柚葉、ミュージカル座『ジュニア』初演・再演(2018年)にてストーリーを支える重要な役どころを演じた香西愛美、ミュージカル座『ジュニア』再演(2018年)にてダントツの演技力をみせた松岡芽依、ミュージカルアニー』(2018年)で素晴らしいアニー役を演じた宮城弥榮が出演。一方、シニアアンサンブルにも、ミュージカルアニー』でおなじみの伊藤広祥(葬儀屋の下働きノア)、谷本充弘(警官)、森雄基(掃除夫)の名前がある。

(撮影:山之上雅信)

(撮影:山之上雅信)

アニー』といえば、同作品において少女孤児たちが食べているのは、「マッシュ(mush)」という、トウモロコシの粉を水で煮たものをさらい水で薄めたどろどろスープだ(山田和也による新演出版以前の『アニー』では、「マッシュ」は「おかゆ」と訳されていた)。『オリヴァーツイスト』の「グルーエル」といい、『アニー』の「マッシュ」といい、子どもたちが収容された貧しい施設での食べ物は決まって「水で極限まで薄くしたおかゆ」なのである。

そういえばオリヴァーの母がオリヴァーに託そうとしたロケットペンダント)や貧民たちの抗議等々、『オリヴァーツイスト』と『アニー』には時代を超えてイメージの通底する点が多く見出される。実のところ、ミュージカルアニー』の作詞を手がけたマーティン・チャーニン(2019年7月6日没)は、『オリヴァーツイスト』の作者ディケンズの大ファンだった。また、同じく『アニー』の脚本を手掛けたトーマス・ミーハン(2017年8月21日没)も「『アニー』は20世紀アメリカ版ディケンズ」だと公言している。すなわち『オリヴァーツイスト』を原型として、その20世紀のアメリカ版として再構築した孤児物語が『アニー』なのだと考えることは、あながち間違いではないだろう。

(撮影:山之上雅信)

(撮影:山之上雅信)

なお、山城力オリヴァーの回のジュニアアンサンブルは、ミュージカル『サオリの国のアリス』(2019年)でおしゃれな人形・マーガレット役を演じた工藤菜々、ミュージカル1789 -バスティーユの恋人たち-』(2018年)にてハイレベルな歌唱のシャルロット役で評判をとった田島凜花、ドリームミュージカル『長くつ下のピッピ』(2018年)主演ピッピ役ほか多数の舞台に出演する長島海音、TOURSミュージカル『赤毛のアン』(2018年ミニー・メイ役で客席を魅了した三浦涼音が出演する。いずれも現在引っ張りだこの、実力派ジュニア俳優たちだ。兵庫公演には追田星空、寺田光、三浦涼音、宮城弥榮が出演する。

(撮影:山之上雅信)

(撮影:山之上雅信)

岸本功喜の脚本・演出は、膨大な原作をスピーディーな展開にまとめ上げ、わかりやすい。その方針に寄り添うように、小島良太の音楽もまた19世紀ロンドンの暗い雰囲気をストレートに伝えるものであった。同時代を描いた『レ・ミゼラブル』や『二都物語』の舞台に慣れ親しんだ愛劇家たちにも取っ付きやすい作風となっているのではないか。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

困難な目に遭おうとも、純粋な心は決して失わないオリヴァーツイスト。彼が自分の心にしたがってある行動をとったとき、奇跡は起こる。

(撮影:中岡美樹)

(撮影:中岡美樹)

取材・文=ヨコウチ会長

【参考文献】
チャールズ・ディケンズ著 加賀山卓朗訳『オリヴァーツイスト』(2017年、新潮文庫)
トーマス・ミーハン著 三辺律子訳『アニー』(2014年、あすなろ書房)

ミュージカル『オリヴァー・ツイスト』未来和樹(中央)