先日、電車に乗っていた時に20歳前後とおぼしき4人ほどのグループに遭遇。すると、彼女たちが楽しそうに会話していた中からこのような言葉が聞こえてきたのです。「今思うと女子高校生ってホント若いよね。私なんてもうすぐ19歳のおばさんだよ~。ババアだよ、ババア」。

筆者が気になったのは19歳が自身のことを「おばさん」「ババア」と言ったことだけではありません。この言葉の後、グループ内では笑いが起き、数秒前と変わらず楽しそうな会話が進行していったことに引っかかりを覚えたのです。その背景には何があるのかを考えました。

行き過ぎた“加齢への恐怖”から自己防衛している?

最初に断っておくと、筆者は本記事で「おばさんと女子の境目は何歳か」や「女子は何歳になっても女子と自称していいはずだ」といった議論を展開させたいわけではありません。10代の女性に自身を「おばさん」「ババア」と呼ばせる社会の空気や、それがコミュニケーションにおいて笑いを生む道具として機能することへの疑問です。

一般的に、20歳前後の女性を「おばさん」と呼ぶことには違和感があります。しかし電車内で遭遇した19歳の彼女が「おばさん」を自称したことには、加齢に対する恐怖や不安が若年層女性にとってスタンダードな感覚になってしまっている背景があるように思えます。

日本は異常なほどに“女子高生”という記号がブランド化され、また恋愛や結婚において女性に若さが求められるケースが少なくない社会と言えます。罪を犯さなければ個人の恋愛対象や性的嗜好は自由です。しかし、「女子高生は女のピーク」「女性の価値は若さ」といった言説や見方は世の中にとても多く、そのようにして作り出される空気によって女性自身の自尊心は大きく影響されます。

そこで生まれるのが、自分よりも年齢が低い女性と相対した時に発する「私はおばさんです。若さの価値はありません」というアピール。これは加齢への恐怖からの自己防衛策ではないでしょうか。そして先に自分自身で「おばさん」と言うことで「若いか若くないか」と槍玉にあげられることを避け、「もうお前は若くないだろう」という他者からの視線から自分を守っているように思えます。

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年齢や容貌でしか女は笑いを生みだせないのか?

もうひとつ、「おばさん」「ババア」と自虐することの背景には、笑いというポイントがあると考えます。自虐をすることでしか、笑いを伴うコミュニケーションが困難である女性が少なくないように感じています。ここには、テレビで流れるお笑いも大きく影響しているでしょう。

現在活躍している女芸人さんのほとんどは、年齢やルッキズムを武器にしている方々。端的に言うと「ブス、デブ、ババア」のいずれかが、売れる女芸人には必須とも言える状況です。「ババア」という言葉が侮蔑的であることと同時に、自称でも他称でも笑いを生む言葉となってしまっているのはこのためでしょう。

自虐には謙遜の意味も込められているかもしれませんが、会話において最も簡単にできるコミュニケーションツールのひとつです。そしてその自虐で女性が笑いを生みだそうとすると、一般的に共通認識として通じる年齢や身体に関することに行き着いてしまう。それが電車内で遭遇した女子大生と思しきグループの会話だったのかもしれません。

「女性に年齢を聞くのは失礼」という考えの気持ち悪さ

筆者は現在29歳ですが、大学生の時からたびたび実年齢よりも5歳くらい上に見られてきました。今でもそれは変わらず、見た目年齢と実年齢が5歳差で追いかけっこしている状況が10年近く続いています。しかし、個人的には自分の見た目年齢も実年齢も本当にどうでもよく、「失礼ですが、おいくつですか?」と男性に聞かれるたびに、「女性に年齢を聞くことは失礼だと男性に思わせている状況は、どう考えても気持ちが悪い」と常々感じてきました。

この「女性に年齢を聞くのは失礼」というのも、「女性は若い方がいい。だから女性自身は自分の年齢が若くありたいと思っているはずだ」という共通認識からくるのかもしれません。そもそも出産や体力など現実的な身体の問題は置いておいて、その女性自身の真価が年齢で測られない社会であれば、失礼かどうかの議論ではなく、「女性に年齢を聞く」こと自体がナンセンスだという共通認識になるはずです。

19歳の女性が「私はババア」と公言して笑いが生まれる世の中である背景には、女性の年齢を取り巻くさまざまな考え方の歪みが混在しているように思えます。