ミキ・デザキ氏(左)と山崎雅弘氏
ミキ・デザキ氏(左)と山崎雅弘氏

被害者は20万人もいたのか? 強制連行はあったのか? 性奴隷だったのか? 「従軍慰安婦論争」を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』が全国で拡大上映中だ。

意見の異なる論者約30名が出演するこの映画は、4月20日の公開当初から激しい賛否両論を巻き起こしていたが、6月19日、一部の出演者が肖像権の侵害などを主張し、監督と配給会社を相手取り、上映禁止と損害賠償を求めて東京地裁に提訴する事態に発展。

映画そのものが「戦場」となりつつあるが、この騒動の前、本誌は監督のミキ・デザキ氏と、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏の対談を収録していた。燻(くすぶ)り続けるこの論争に、収拾が付くときは来るのか?

■「なかった派」出演者が「裏切られた」と批判

ミキ・デザキ監督の『主戦場』は、4月20日に封切られると連日立ち見が出るほどの反響で、上映館が全国に広まっている。この映画には従軍慰安婦論争の当事者約30名が出演。「被害者20万人」「性奴隷」「強制連行」など、論点ごとに出演者たちの発言をぶつけていくという構成だ。それぞれの主張に濃淡はあるが、日本軍の非人道的行為・違法行為は「あった」とする派、「なかった」とする派の対立構造が基調となっている。

一方、山崎雅弘氏は5月に『歴史戦と思想戦――歴史問題の読み解き方』を上梓。過去の歴史を恣意的に歪曲(わいきょく)しようとする、いわゆる「歴史修正主義者」らの根本には「歴史戦」という概念、つまり「中韓は歴史問題で日本を不当に攻撃しているので、日本人は反撃すべきだ」という考えがあると読み解き、丹念な事実検証をとおし、彼らが用いるトリックやウソを暴いている。

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――『主戦場』は、「なかった派」の主張を、「あった派」の歴史学者らが史実を示して否定するというシーンが目立ちます。そのせいか、「なかった派」の出演者からは激しい批判が巻き起こっています。 

弁護士・タレントのケント・ギルバート氏は雑誌『正論』6月号で、「当初は『慰安婦問題をめぐってバランスの取れた映画を作る』との約束でしたが、裏切られた」「この映画は前半から、私や櫻井よしこ先生、杉田水脈(みお)先生らを並べて、"REVISIONIST(歴史修正主義者)"と有無を言わせずレッテルを貼るなど、原始的なプロパガンダの手法を使っているひどい映画」などと書き、取材方法や編集方法がフェアではない、と批判しています。

デザキ 私はこの映画をフェアに作ったと思っています。彼らの主張のすべてを、できる限り入れているからです。あまり多くの論点を詰め込むと、映画は長く退屈なものになりますが、そうすることが重要だと思ったのです。ただし、対立する双方の意見をフェアな形で見せた上で、約3年の取材をとおして得た私の「結論」を添えました。その結論が気に入らなかったから、彼らは「フェアじゃない」と言うのでしょう。

ギルバート氏らに「歴史修正主義者」のレッテルを貼ったという批判については、私は映画の中で「彼らは歴史修正主義者として知られている」という表現を使っています。従軍慰安婦の実態は「性奴隷」だった――それは世界的な共通認識です。彼らが歴史修正主義者と呼ばれるのは、そういった歴史認識を変えようと積極的に働きかけているからです。

山崎 『主戦場』に対する批判の中には、「両論併記しているのが問題だ」という左派側からの異論もあります。しかし、この映画や私の本『歴史戦と思想戦』が採っている手法と、日本のメディアがよくやる両論併記には大きな違いがある。双方の意見を紹介した上で、きちんと「事実検証」をしているか否か、という点です。

日本のメディアが慰安婦のような問題を取り上げるときは、責任逃れのために単純な両論併記をすることが多いのですが、それは事実とウソを並べて両方を宣伝しているようなもので、ウソを広めたい人に都合よく利用されてしまいます。

デザキ 単なる両論併記は「どっちもどっち」で、専門家でない人の意見が、専門家の意見と同じくらい重要なものに見えてしまいます。だから私は事実検証をし、結論を出しているのです。しかし、今おっしゃったように、「なぜ歴史修正主義者に発言の場を与えたのか」という批判もあります。

山崎 私の本に対しても、そういう批判はありうるでしょう。「歴史戦」を標榜する人たちの言葉に耳を傾けているからです。しかし私は、それらの言説について「事実の裏づけはあるか?」「論理的な整合性はあるか?」を検証しています。それをやらないと、彼らのウソはいつまでも影響力を持ち、人々を惑わせ続けてしまいますから。

■歴史修正主義者が支持される理由

デザキ 彼らの主張はすべてがデタラメというわけではないですが、歴史の解釈を変えようとしている。そのため、事実とウソを見分けることは容易ではなく、歴史の専門家でないと反論は難しい。私がこの映画で修正主義者の主張を取り上げたのは、彼らの考え方が日本で主流派になろうとしているからです。

――それはなぜでしょう?

デザキ わかりやすいからでしょうね。映画にはギルバート氏のほか、"テキサス親父"の異名でネット右翼に人気の評論家トニー・マラーノ氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、自民党衆議院議員杉田水脈氏ら、いわゆる右派の人たちが多数出演していて、彼らは皆、非常にキャラが立っていて、メディアの使い方も上手です。

山崎 ギルバート氏の本も、杉田氏の本も、言葉遣いがすごく乱暴なのですが、そのほうが読者の感情に響くという面もあります。彼らはわざと粗暴な言葉を使っているように思います。逆に、学者が書く上品な文章は人の心に訴えにくい。

歴史修正主義者にはキャラの濃い人が多く、彼らの粗暴な言葉は人々の感情に響きやすい、とふたりは分析する
歴史修正主義者にはキャラの濃い人が多く、彼らの粗暴な言葉は人々の感情に響きやすい、とふたりは分析する

――以前から、いわゆる左派の学者はエリート意識が強い印象があり、権威のある言論誌の取材しか受けないという人も多かったです。一方、右派の評論家はわれわれ週刊誌の取材にも好意的に応じてくれた。自戒を込めて言えば、このままだと日本は右傾化するなと思っていたら、そのとおりになりました。

山崎 歴史学者の中には「くだらない連中を相手にすると自分の沽券(こけん)に関わる」という理由で、歴史修正的な本が増えるのを傍観してきた人も少なくないように思います。本来なら、間違った情報が社会に広まっていれば、専門家として対応する責任があると思うのですが。

デザキ 映画に出演してくれた学者の中にも、エリート主義的なものを感じる人はいました。また、修正主義者の多くはツイッターなどSNSを活用して自分たちの主張を拡散しますが、学者の多くは使っていません。左派の人たちにもキャラの立った人や、メディアへの露出がもっと必要なのかもしれませんね。

■論争に使われる言葉のトリック

――歴史論争に目を向けるとき、われわれが気をつけるべきことはなんでしょう?

山崎 慰安婦問題に関して言うと、修正主義者が持ち出す「韓国対日本」という対立の構図にまず注意する必要があります。「敵と味方」というわかりやすい図式を示され、「韓国が不当な言いがかりで攻撃してきたから、結束して日本の名誉のために戦おう」と言われると、取り込まれやすい。これは歴史的によく用いられる手段で、戦中の日本にも、「思想戦」と呼ばれた、政府主導のプロパガンダ政策がありました。

しかし、慰安婦問題の本質は「人権侵害」です。南京虐殺も根底は一緒で、当時の大日本帝国は人命や人権をものすごく軽んじていた。天皇中心の国家体制やそれを支える軍を上位に置き、「国民は奉仕するのが当たり前。その犠牲になるのは名誉なこと」とされた。そこから特攻や玉砕も出てきた。だから本当は、慰安婦問題を語る際にも、「なぜそんなことがまかりとおっていたのか」という、当時の根本的な価値観まで掘り下げるべきなんです。

「敵と味方」という単純な図式はその作業を邪魔する。「おまえ、日本人なのになんで敵の側につくんだ?」と言われると、なんとなくひるんでしまう。そんなふうに人々の心理を誘導するトリックを読み解くことが必要になってくると思います。

――そのトリックは、ほかにどんなものがありますか?

デザキ 例えば、慰安婦は「性奴隷」だったという世界的な共通認識を、修正主義者はこんな論理で否定します。「鎖につながれていたわけじゃないし、自由な時間もあったし、給料だって出ていた」と。しかし、絶望的な状況では息抜きも必要だったろうし、そもそも日本軍に雇われた現地のブローカーなどの甘言にだまされて慰安所に入った彼女たちには、自由意思が認められていなかった。これは国際法的に「奴隷状態」に当たります。

また、元慰安婦自身の証言の細部が、聞かれたときの状況によって変わることがあり、修正主義者は「証言が二転三転するのは、事実ではないからだ」と批判します。しかしそれは、韓国の保守的な社会の中で、自分が慰安婦だったことを言い出しにくかったこととも関係があるでしょうし、長い年月がたっているので、記憶の細部に多少のブレが出てくるのは仕方がない。そして、修正主義者が元慰安婦の証言を「ウソだ」と否定すれば、彼女たちを擁護する側はそれに反論しなければいけなくなる。

このように論争がエスカレートし、その中で用いられる言葉や数字が先鋭化していくと、問題の本質が失われます。そして、元慰安婦を擁護する側にも数字にとらわれている人は多い。被害者数は算出方法によって変わってくるのですが、例えばサンフランシスコの人権活動家たちはこの数字にこだわっていて、実際は20万人より少なかったとなると、自分たちの運動が弱体化するのではないかと恐れています。

一方、「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈さんのように問題の細部を理解している人は、数字の取り扱いには慎重です。極端な数字にばかりこだわり、本質が失われることがあってはならない。仮に被害者が2万人だったとしても、やはり悪いことでしょう。

山崎 数字は非常に危険です。慰安婦20万人や南京虐殺30万人という数字を過剰に言い立てると、修正主義者はその数字を「現実的にはありえない」と指摘し「だから全部ウソだ」というトリックを使いますから。

デザキ 「南京事件」と「南京虐殺」という言葉があり、修正主義者は「あれは『虐殺』でなく『事件』だ。事件はどこの国にもあるのに、なぜこの事件だけ注目され非難されるんだ?」と言います。何人以上なら虐殺なのでしょう?

山崎 ピカソスペイン内戦中にドイツ軍が行なった無差別爆撃に怒り『ゲルニカ』という絵を描きましたが、ゲルニカ爆撃で殺された人は数百人です。それでも「虐殺」と呼ばれる。「非人道的なやり方でむごたらしく殺すこと」が虐殺であり、「万単位の人が殺されなければ虐殺とは言えない」わけではないのです。

――そもそも、なぜ修正主義者はそんな強引な論理を使ってまで、慰安婦問題を「なかった」ことにしようとするのでしょうか?

山崎 それは、彼らが「本来の日本」と見なす「大日本帝国」の名誉を守るためです。慰安婦問題で韓国が非難する対象は、現在の日本国ではなく、当時の大日本帝国です。従って、今の日本人が「攻撃されている」と思う必要はない。しかし、大日本帝国に魅力を感じる人々は、日本国大日本帝国を含む「日本」という大きな概念を持ち出して、「日本の名誉を守る」という言い方をする。このトリックにだまされた人は、「今の日本の名誉」を守っているつもりで「大日本帝国の名誉」を守る戦いに加担させられる。

デザキ リベラル派が「日本」を考えるときは現在の民主主義国家の日本を想定しますが、右派は大日本帝国のことを考えるのですね。

――『主戦場』で杉田水脈氏は「日本人は『ウソをついてはいけない』と教えられて育つけど、中国や韓国では『だまされるほうが悪い』と教わる」と発言。これも「大日本帝国の名誉」のためですか?

山崎 そういった発言は、大日本帝国の差別構造を反映しています。大日本帝国では日本人が階層の最上位にいて、朝鮮や中国の人たちは差別の対象だった。公的な場で「韓国人は平気で悪いことをする」などと人種差別発言をする人間が現職の国会議員であることは異常事態ですが......。

杉田氏やギルバート氏の本を買っている人は中高年が多いのですが、その世代の人は日本が経済的に繁栄していた時代を知っています。アメリカに次ぐGNP(国民総生産)第2位の経済大国で、プライドが高かった。それが今や中国に抜かれ、日本製品は世界市場でかつてほど売れない。実際、外国の空港に行くとモニターなどは韓国製です。それに不安や苛立ちを感じ、はけ口として嫌韓・反中本の需要が生まれるのでしょう。

デザキ それで杉田氏は「中韓は日本と同じ高いレベルの製品を作ることができないから、日本の評判を貶(おとし)めて日本製品を売れないようにしている」などと言うんです。

■アメリカも論争の戦場に

――慰安婦論争は、アメリカにも飛び火しています。

山崎 昨年10月、サンフランシスコ慰安婦像をめぐって、吉村洋文大阪市長(当時)とロンドン・ブリードサンフランシスコ市長の間でやりとりがありましたね。吉村市長は、慰安婦像は「一方的な主張を事実と見なすもの」で、日本への挑戦だととらえ、「市長の権限で」両市の60年以上にわたる姉妹都市提携を「解消する」と決定した。これに対しブリード市長は「慰安婦像は日本を攻撃するものではなく、奴隷化や性目的の売買で苦しめられたすべての女性の苦闘の象徴だ」「サンフランシスコと大阪の姉妹都市提携は両市の市民の間で続けられたものであり、一市長が独断で解消することはできない」と返答しました。

このやりとりには日米の精神文化の違いが表れていると思います。外国のどこかに慰安婦像ができると、韓国や中国による日本攻撃のように騒ぎ立て、日本人の被害者意識をあおろうとする人間がいる。しかし、他国の人がその像を見たからといって、今の日本を嫌いにはならない。今の日本は、大日本帝国ではないからです。

デザキ 私は、もし今の日本が慰安婦像の設置に賛成したら、日本という国のイメージは世界で高まると思います。日本政府は2015年の「慰安婦問題日韓合意」で公式に謝罪している。日本政府に一貫性があるのなら、慰安婦像設置にも賛成できると思うのですが。

山崎 日本政府はあの合意をおそらく外交交渉のテクニックのひとつとしか考えていないのでしょう。謝罪しても、根底にある大日本帝国の価値観までは否定していません。

デザキ そこはブリード市長には理解できない点でしょうね。人権の話をしているのに、「日本への攻撃」と見なされる。日本に歴史修正主義者が増えていると思われるのも無理はありません。

アメリカをも「戦場」にした慰安婦論争に収拾がつくときは来るのか。それを考えると絶望的な気分になることもありますが、私は日本と韓国がわかり合える日が来ると信じています。そのためにはお互いの意見をきちんと聞いて、理解することが大切です。だからこそ、私はこの映画ですべての論点を洗い出し、双方の主張を明確に比較したのです。この映画が相互理解へのステップになってくれればと思っています。

※この記事は2019年6月17日発売の『週刊プレイボーイ26号』に掲載したものを一部加筆修正した後、転載したものです。

山崎雅弘
1967年生まれ、大阪府出身。戦史・紛争史研究家。『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)で日本会議の実態を明らかにし注目を浴びる。主な著書に『「天皇機関説」事件』(集英社新書)、『1937年の日本人』(朝日新聞出版)、『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)などがある。ツイッター【@mas_yamazaki】

『歴史戦と思想戦―歴史問題の読み解き方』
集英社新書 920円+税

ミキ・デザキ
1983年生まれ、アメリカ・フロリダ州出身。日系アメリカ人2世。ドキュメンタリー映像作家。YouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く公開。2018年、上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程修了。本作『主戦場』は初映画監督作品

『主戦場』
慰安婦問題をめぐり意見が対立する双方の論者が出演しているドキュメンタリー映画。シアター・イメージフォーラム(渋谷)ほか全国で上映中 (c)NO MAN PRODUCTIONS LLC
http://www.shusenjo.jp/

取材・文/稲垣 収 撮影/五十嵐和博

「従軍慰安婦論争」を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』の監督、ミキ・デザキ氏と、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏が対談