(朝岡 崇史:ディライトデザイン代表取締役)

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 お客様がオンライン注文した食料品を配達人が留守宅の「冷蔵庫の中」までお届けする──。

 米ウォルマート・インク(以下「ウォルマート」)のタグ・マクミロンCEOは2019年6月7日に開催された年次総会で、株主や社員を前に「インホーム・デリバリー」のサービスを今秋から始めると発表した。

 お客様はスマートフォンのアプリを使って、注文する商品と配達希望日時を指定するだけ。すると配達人が店舗で揃えられた注文品を携え、スマートエントリー技術を使ってお客様宅に入る。YouTubeの映像を見れば一目瞭然だが、配達人はウォルマートの制服を着た従業員だ(ウォルマートは、米国に1年以上住んでいて特別な訓練を受けた従業員であるとしている)。配達人はお客様の家で食料品を効率よく、しかも見た目も美しく冷蔵庫や冷凍庫に収納する。配達人のユニフォームの胸のあたりには独自のウェアラブルカメラが取り付けられており、お客様は配達と冷蔵庫への収納の様子の一部始終をスマートフォンアプリで遠隔監視することもできるという。

 ウォルマートは「インホーム・デリバリー」サービスを、ミズーリ州カンザスシティ、ペンシルベニア州ピッツバーグ、フロリダ州ベロビーチの3都市に住む100万人以上のお客様を対象にスタートする予定だ。

 ネット通販は「ラストワンマイル」(物流の最終拠点からお客様に商品を届ける、商品配送の最後の区間)がカギを握る、と言われている。そして、都合の良いことに、ウォルマートによれば、米国住民の9割はウォルマートが展開する4700店舗から半径10マイル(16キロ)圏内に居住しているのだという。

 ウォルマートはこの斬新な宅配サービス「インホーム・デリバリー」導入によって、ヒートアップするアマゾンとのラストワンマイルの戦いに機先を制することができるのだろうか。

革新的な打ち手で先行するアマゾン

 ネット通販でラストワンマイルの戦いに革命をもたらしたのは他でもないアマゾンだ。現在、「プライム会員」を対象としたアマゾンのサービスが目白押しの状況だ。

 2015年11月末、アマゾンが小型無人機ドローンを使った宅配サービス「アマゾン プライム エアー」(Amazon Prime Air)の実証実験映像を公開し、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。

(参考)飛行する「アマゾン プライム エアー」のドローン(YouTubeの映像「Amazon Prime Air」)

 さらにウォルマートの「インホーム・デリバリー」の発表(2019年6月)と時同じくして、アマゾンはラスベガスで開催したイベントで、AI搭載の新型ドローンを発表。5ポンド(約2.26kg)以下の荷物を15マイル(約24キロ)の距離まで30分以内に配送できるサービスを数カ月以内に実現すると宣言した。

(参考)アマゾンのAI搭載の新型ドローン(YouTubeの映像「Amazon Prime Air’s New Delivery Drone」)

 生鮮食料品のネット通販(オンライングローサリー)の領域に限って言えば、「アマゾン フレッシュ」(Amazon Fresh)と「アマゾン ロッカー」(Amazon Locker)が特筆される。

 アマゾン フレッシュはすでに日本でも導入が始まった。プライム会員の会費に月額500円をプラスすれば生鮮食料品を中心とした商品の宅配を受けられるという便利なサービスだ。税込み6000円未満の注文には別途500円の配送料がかかり、対象エリアがいまだ東京都内の一部の区と市、横浜、川崎の一部の区に限定される、という問題はあるものの、SNSなどをチェックする限り、鮮度の良さや価格の安さでは競合のネットスーパーよりも高い評価を獲得している模様だ。

 また、生鮮食料品を対象としたアマゾン ロッカーについては、2017年8月に買収が完了した米国の高級スーパーマーケット「ホールフーズ」の店頭に置かれているものがよく知られている。お客様はピックアップコードを入力することでロッカーを解錠し、あらかじめネットで注文しておいた商品を持ち帰ることができる。

 また生鮮食料品の配送ではないが、おそらくウォルマートの「インホーム・デリバリー」のベンチマークになっているサービスとしては「キー バイ アマゾン 」(2019年1月に「アマゾン キー」からサービス名称を変更)がユニークで、特筆に値するだろう。こちらは、商品の配達員がお客様の留守中にスマートキーを利用して宅内に入ってくるというものだ。

 ウォルマートの「インホーム・デリバリー」との大きな違いは、お客様が、配達員に1回きりの暗証番号を発行するためのスマートロック「Amazon Key」と、配達員の宅内での行動を監視するセキュリティカメラ「Amazon Cloud Cam」という2種類のハードウエアをセットで購入(価格は249.99ドルから)することがサービス開始の条件になるという点だ。ただし、商品の宅配だけでなく、ハウスキーピングやペットの散歩などのサービス「アマゾン ホームサービス」(Amazon Home Services)や、サードパーティが展開するサービスも選択できるというのが「キー バイ アマゾン」の強みになっている。

(参考)「アマゾン キー」のサービスの概要(YouTubeの映像「Amazon Key October 2017」)

ネット通販の基礎体力を強化するウォルマート

 話を今回の主人公、ウォルマートに戻そう。

 ウォルマートアマゾン恐怖指数(Death by Amazon:アマゾンの台頭で窮地に陥るであろう 企業の株価を指数化したもの)に指定された小売関連企業54社の中では唯一、アマゾンと激しく競い合っている企業である。事実、ウォルマートの2018年11月~2019年1月期の売上高は前年同期比2%増に過ぎないが、ネット通販部門に限れば何と43%も増加した。

(参考)「『デス・バイ・アマゾン』を乗り越える処方箋」(IoT Today、2017年11月14日

 最近ではグーグルと提携してグーグルスピーカーによる商品注文を始めたり、店舗・配送の効率化のためにマイクロソフトと5年間のパートナーシップ契約を締結したりするなど、ネット通販事業の基礎体力強化にも余念がない(出典:日本経済新聞「『ネットも店舗も総力戦ウォルマートアマゾンに対抗」2019年2月22日)。

 さらに、今後、ウォルマートは全米4700店舗のうち、オンライン注文品のピックアップを3100店舗で可能とし、即日配達を1500店舗にまで拡大する方針であると発表している。

 タグ・マクミロンCEOの「消費者は店舗とネット通販を繋ぐことに期待している」という見立てには、もはや疑いを挟む余地はないだろう。

ウォルマートの差別化戦略は「働き方改革」

 それでは今後、ウォルマートアマゾンの対抗軸として、どのような差別化戦略をとるべきか?

 競争戦略上の観点で言えば、アマゾンをはるかに凌駕する「店舗と従業員というリアル資産」を(アマゾン恐怖指数の他の小売関連企業のように)負債にすることなく、いかに武器化するかが経営上の喫緊の課題であることはいうまでもないだろう。

 実は、従業員による配送サービスという点では、ウォルマートはかつて「アソシエイト宅配」と呼ばれたパイロットプログラムを繰り返し試行し、その度に頓挫させてしまった苦い過去がある。

 アソシエイト宅配とは、昼間の勤務を終えた従業員の帰宅時間に目をつけ、いわば「残業」の形で従業員に時間外手当とガソリン代補助を出して、オンライン注文したお客様宅への注文品の配送を担わせる試みだった。ウォルマートの経営陣としては、配送コストを安く抑えるためにこのような奇策を考え出したのだが、当座のお金(手当て)だけが目当ての従業員は、帰宅時間の配送が想定よりも手間と時間がかかり割りの良い仕事でないことがわかると次々にドロップアウトしてしまって、事業として定着させることはできなかった。

 このような手痛い失敗を踏まえて、ウォルマートの経営陣の対応は最近になって明らかに変わった。「ラストワンマイル」の戦いの趨勢を左右するのはインターナルブランディング活動(社員の活性化)の成否にあり、と悟ったかのように。

 まず、タグ・マクミロンCEOが公の場で「時間の節約こそがお客様にとっても従業員にとっても解決しなければならない最も重要な課題」と発言し、お客様の幸福と全米4700店舗の従業員の幸福を同格に位置付けた。続いてそれが単なるリップサービスでないことを、「社員の働き方改革」の施策を次々と打ち出すことで明確に示したのである。具体的な施策は次のとおりだ。

・従業員の時間節約のための設備拡充
 ピックアップタワー、床掃除ロボット、ロボットによる棚在庫を管理する新アプリなどの導入を進める。

・従業員や店舗などへの投資
 フルタイム社員の初任給を50%増額。またフルタイム従業員を増員し、全米業界平均を上回るフルタイム社員比率60%以上を達成。過去4年間で人材や店舗などへの投資は45億ドルに及ぶ。

・従業員の福利厚生の充実
 出産有給休暇を最大16週間に拡大。養子縁組をする社員には子供一人につき5000ドルの補助金を支給。また「1日1ドルの大学プログラム」の対象となる大学と先行科目を拡大する。

 経営陣が従業員に対する向き合い方を変えることで、従業員のモチベーションが高まり、経営のメッセージに耳を傾け、自分ゴト化するようになる。その結果、従業員は目先の金銭のためのみではなく、ウォルマートが発信する経営理念や「パーパス」(時間の節約)の実現のために、より良い仕事をしようという向上心が生まれるという好循環につながっていく。

 IoT時代、「成功すること」の反対は「失敗すること」ではなく「何もしないこと」であると言われることがある。失敗を恐れるのではなく、失敗からいかに学び、学習速度を高めていくか。成熟した大企業こそが「Disruptor」(破壊者)にならなければ生き残れない時代、ウォルマートの変革はその象徴的な事例と言えるだろう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  アマゾンと正面対決!ウォルマートの意外な秘策とは

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米国・ピッツバーグのウォルマートの店舗(写真:AP/アフロ)