日本人の死亡原因1位はがんである。国立がん研究センターの発表*1によれば、2017年にがんで死亡した人は373,334人(男性220,398人、女性152,936人)で、男性25%(4人に1人)、女性15%(7人に1人)となっている。

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 いっぽうで、2014年データに基づくがんに罹患する確率は男性62%、女性47%と、ほぼ2人に1人ががんと診断されている。そう診断されてしまった人は、上記の「男性25%」、「女性15%」入るのではないかと、少なからず意識してしまうのではないだろうか。

 だが、そこから始まるのが治療だ。がんの治療はどんなもので、つらさや痛さはどのくらいなのか。そして、もし治すことができなかったら、いつ、どんな最期になるのか。

蓄積されにくいがん患者の貴重な経験

 これだけがんに罹患する人が多くいながら、実はその治療法や選択肢、患者さんがその闘病の過程で感じたことや得たもの、失ったものの内容は意外に知られていないように思う。というのも、患者本人が周囲に伝えられないまま、亡くなってしまうからだ。いや、家族やパートナー、友人や医師、看護師など医療者に伝えていることもある。だが、受け取る側も「当事者」であるがゆえに、その言葉をそのまま受けとめ、他の誰かのためにまとめておくということは稀だ。私自身、12年目を迎えたがんサバイバーだが、自分に起こり得る未来として、がんによる終末期について調べても十分な情報だと思えなかったり、違和感を覚えることが多い。

 だが、その言葉を掬い取ってまとめた本が世に出された。川崎市立井田病院の西智弘医師は、腫瘍内科医・緩和ケア医として、多い時で年間4000件もの患者たちの生死に立ち会っている。その経験をもとに「私が出会った患者さんたちの言葉、そのいのちを引き継いでいくために、私はここに記録を残す」と、患者たちの10の言葉と物語、そして家族など残された人たちと医療者の物語を記した『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』(PHP研究所)を上梓した。

 誰もがいつかは死を迎える。だが、それまでは「生きている」。死の間際までを、どう生きることができるのだろうか。

 著者の西智弘医師に聞いた。

*1 2019年01月21日更新https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html 

医療にあなたの人生をお任せしてはいけない

――この本はがん患者さんの物語ですが、緩和ケアとは、がん患者だけが受けられるものなのでしょうか。

西 智弘氏(以下、西) 保険適用になるのは、がんと心不全エイズですが、ほとんどががん患者さんですね。エイズは現在、症状がほぼ抑えられるようになりましたから、終末期の患者さんが緩和ケアに来られることは、ほとんどありません。それよりも保険適用外ですが、呼吸器や神経系の患者さんにも必要なのではないかと感じています。

――「医療の民主化」がこの本のキーワードのひとつですが、民主化とはどういうことなのでしょう? 独裁でない、ということになるのでしょうか。

西 医療にお任せにしない、ということです。病気のことはお医者さんに任せておけばなんとかなる、と思っている人が多いですよね。それでいいこともありますが、人生そのもの、たとえば生きていられる時間が限られている時、自由な行動が病気で制限されるような時に、医師に自分の人生を任せっきりにしてはいけないということです。

 生きていく中で知らないこと、わからないことは専門家を頼りますよね。例えば法律とか、仕事のやり方だとか。病気の時には医療者が助けてあげることができますが、そのためには患者さん自身に「自分とは何か」「どう生きていきたいのか」という意思がないと、こちらは何をしてあげたらいいのかがわかりません。「私、どうやって生きたらいいですか?」とわれわれに聞かれても、「こちらでは、わかりません」としか言えなくなります。あなたの専門家は、あなた自身です。患者さんの思うように生きるために、治療法を工夫したり、痛みを和らげたりすることは僕たちが手助けできる。医療の民主化とは、患者さんも医療者も一緒に歩みましょうということです。

――健康な時には、病気になって体が不自由になったり、物事しっかり考えることができなくなるほどの苦痛を抱えたりするようになるとは思っていない人がほとんどで、生きていることが当たり前と感じているはずです。そういう中で、普段から「どう生きていきたいか」なんて、意識していない人が多いと思いますが・・・。

西 普通は考えないですね。でも、「自分とは何か」「どう生きていきたいのか」は元気なうちから考えておいた方がいいと思いますし、家族など身近な関係の中でも共有しておいた方がいい。患者さんが意思表示をできない状態で医療機関に来られることも多いですが、事前に話し合っておかないと本人の「このように生きてきて、こうやっていきたい」ということはわからないし、われわれも応えられなくなります。

対話を重ねることで患者を孤独にしない

――健康に暮らしていて、突然がんだと突き付けられれば誰でも大きなショックを受けます。深刻な状態が見つかっても、医療を受ける期間がけっこう長期化することが多いですね。

西 抗がん剤治療を受けるのか、入院するか、在宅治療にするか、他に試したい治療があるか、やりたいことがあるか・・・その期間中に選べることはけっこうあります。高齢の患者さんであったら積極的な治療がいいとは限らない場合もある。たとえばそういう患者さんでも病気の症状が良くなることを期待しているわけですが、実際には体は弱っていくこともある。そこで、「悪くなった時にはこんなことが起きる可能性がある、その時にどうしたいですか?」と本人と話して、希望に沿うようにしたいんです。

――がんをなくせない、治ることはないとわかったら、その時点で死んだことになってしまうように感じるでしょうし、周りもそのように扱うこともありますね。そうすると身体的な痛みだけでなく、いま生きている自分を誰にもわかってもらえないという「心の苦しみ」も出てきます。

西 つらい時に一人ぼっちだと感じると、よけいにつらくなりますね。たとえば、慢性的な胃痛に悩んでいる人が、しんどい時にだけ診てもらう医者に「これを1週間飲んでおいてください」と痛み止めを出されただけでは、孤独じゃないですか。たとえそれが正しい処置でも、「これから先はどうしよう、痛みとずっと付き合っていくのかな・・・」と1人で考えなきゃいけない。つらいですよね。そこにあなたの話を聞いて、わかってくれる人が現れたらどうします? それが怪しい自由診療や、詐欺師であっても1人じゃなくなるから、つらくなくなるでしょうね。

 緩和ケアは、その人がどうしたいかという生きる力を取り戻すための医療です。緩和ケアでは、痛みを10段階に分けて、耐えられない痛みを10とします。7~8の痛みで苦しんでいる人の痛みをすぐに0にすることは、難しいこともあります。でも、せめてそれが3になれば「痛みはあるけれど何とかやっていける状態」になる。ただ、患者さんがそれをよしとするかどうかは、医師との信頼関係が必要なんですね。

 さっきの胃痛の話だと、「治りはしないけど、別のやり方もありますよ」とか、「痛みが出ない間にこれをしましょう」というような話をするだけで、患者さんは1週間、服薬をがんばれると思うんです。それをポイと薬を出すだけだったら、患者さんが納得できなくて服用しないので、悪化して緊急入院になったりする。これでは患者さんの生きる力を引き出しているとは言えません。

 薬はあくまで1つの手段で、「どうすればあなたが生活していけるかを一緒に考えましょう、そのためにA案やB案がありますよ」と話をすること。「痛みを0にできなくても、2になったら眠れるようになりますよ」とか、ていねいに説明すれば患者さんに納得感を持ってもらえます。その信頼関係がないと、簡単に納得感をくれる自由診療や民間療法、詐欺みたいなところに行ってしまう。でも、そっちを信じたいと患者さんが思ったのなら、そうした民間療法や詐欺のほうが医療よりもよっぽど生きる力を引き出せているとも言えるのです。

対話不足が「患者-医師-家族」の間にブラックボックスを生む

――コミュニケーションの力によるところも大きいのですね。患者さん本人の希望する生き方があって対話を重ねても、本の中で紹介されているカトウさんのように、残される家族を気遣って本心を言えなくなるケースもあるようですね。

西 本人の希望がはっきりしているのに、家族によって歪められたりすることは少なくありません。特に患者さんが意思表示できなくなると家族の希望が優先されがちになるので、本人がしたいことなのか、家族がしたいことなのかをきちんと医療者が判別する必要があります。でも緩和ケアの立場では、そうなる前の患者さんを知らないとどうしようもないんです。判別する材料がないと患者さんの味方になれない。なので、できるだけ早いうちから医師や看護師に話してほしいんです。そうすれば、意思表示ができない状態になった時でも「診察室では、こうおっしゃってましたよ」と家族に伝えて、どうしたらいいのかを話し合うことができます。そういった材料がなければ、「これは家族が脚色した本人の意思だな」と感じても、「違う」とは言えませんよ。

――患者さん本人と医師とだけでどうするかを決めてしまうと、「医師が勝手に決めたんじゃないか」と、後になって家族から疑われることになりませんか。

西 もちろん、家族を無視するわけにはいきません。「本人がよければそれでいいじゃないか」と思われがちですが、患者さんと医療者、そして家族とていねいなコミュニケーションをとるという手続き的な部分を大切にしないと、医療がブラックボックスになります。診察室には看護師もいます。看護師は医師とはまた違う立場の医療者ですから、彼らが何を聞いて、どう思ったか、何をするかというのも重要なんですよ。僕は「言の葉を集める」と表現していますが、患者さんは医師、看護師、家族に話すことはそれぞれ違っていたりするんです。医師には聞けないことを看護師に相談したり、家族に言えないことでも医師には言えたりします。それは、どれも本心なんです。それぞれの「言の葉」を集めて、「この人はどうしたいんだろう」と考え、話し合い、患者さんが話せる状態なら「僕らはこのように考えましたが、いいですか?」と聞きます。ていねいにコミュニケーションをとっていくことが大事なんです。

頼れるチャンネルがたくさんあれば

――医療者と患者さんが信頼関係を築けるように、できるだけ早いうちからコミュニケーションをとりたくても、どこでできるのかわからないのではないでしょうか。昔は地域に根差したお医者さんがいて、子どもの時から家族みんながお世話になり、大先生から若先生になっても、お互いが知っている関係というコミュニティ性があったので、信頼関係を築くことが容易だったのでしょうが。

西 そんなコミュニティが理想的なかたちだと思いますが、現在の日本では地域に根差すことも難しい。そこで、本の中で「緩和ケアという言葉を使わずに緩和ケアをする」と書きましたが、「言の葉」を集めるのは、病院の外来でなくてもできるんじゃないか、と考えて用意したのが「暮らしの保健室」です。学校の保健室って、病気や怪我以外にも、悩み相談をしたり、心がしんどいときに駆け込んだりしますよね。その感覚で、いつも生活している町に保健室があればいいなと。ふらりと入れるカフェに緩和ケアの専門教育を受けた医療者(コミュニティナースなど)がいて、病気のことや生活のこと、介護の悩みを聞いてくれるんです。残された家族の心のケアも緩和ケアに含まれますが、患者がいなくなると病院に行くことはできません。でも、町の保健室にはいつでも入れますから、地域の中で緩和ケアができます。

――コミュニケーション、コミュニティなどの中で「つながっていく」チャンネルがたくさん用意されていれば、患者は選択肢が増えるし、家族も助けを求められますね。

西 皆でやっていこうという感覚が大事なんです。医師は万能ではないし、看護師が味方とは限らない。がんによって失われてしまった生きる力を、どうやって再構築するかを医療者だけでなく、あらゆるところで考えられるといいと思うんです。保健室やピアサポート、心理カウンセリング、信仰や趣味仲間もコミュニティです。その患者さんにとって何が合うのかをすり合わせていけば、チャンネルは増えますね。

死はタブーではない。でも、今じゃないかもしれない

――誰もがいつかは死を迎えるのに、急に差し迫ったこととなると「早く終わらせてくれ」と、患者本人も家族も拒否反応を起こしてしまうように見えます。まだ死の段階ではないところで絶望してしまう人に、緩和ケアは何ができるのでしょうか。

西 死をタブーにすることが、生きる力までも奪ってしまうことがあります。本の帯に血液がん患者でもある写真家・幡野広志さんが書いて下さっているように、医師は患者が知らない世界を知っています。僕は、医師としてがん患者さんの未来がある程度はわかります。本の中に出てくるキクチさんのように、「早くお迎えが来ないかなあ」と言われる患者さんには、「まだ来ないですねえ」と答えることもあります。まだ死を迎える段階ではないのに、患者さんが絶望して「早く死にたい安楽死をしたい」と口にするようになっても、こちらからは否定はしませんが、どうなるのが嫌なのかを聞いて、それを避ける方法を一緒に考えます。その先で「もう耐えられません」と言われたら、「これまでよくやってこられましたもんね、じゃあ眠って過ごしましょうか」と言って鎮静(セデーション)することもできます。でも、そこに至るまでには患者さん自身がどういう人なのか、どう生きたいのかを教えてほしい。医師にわからない世界を教えてほしいんです。僕たちは元気な頃の患者さんを知りえませんが、なるべく病人ではない時のその人を念頭に置いて、接したいんです。

安楽死を選ぶという生き方も、アリ

――しかし、がん患者の自殺はかなり多いですし、国内での安楽死の法制化を求める声も増えてきています。医療者としては止めたい流れだと思うのですが。

西 医師の価値観としては、安楽死も自殺もしてほしくないなあと思いますが、死にたいという気持ちは、否定しません。ただ、ゴールはなくても対話を続けたい。その中で「あぁ、あなたの生きるってこういうことなんですね」とか見付けられることもあるかもしれない。とにかく、「死ぬ時までは生きましょう、そこまで、一緒に考えていきましょうね」と言います。

 僕は今回の本の中で「安楽死特区」を提案しています。その中には医療だけでなく生活を担う様々な人や、専門家がいて、患者さんとその家族を孤独にしないコミュニティを考えました。残された家族のケアや、安楽死を実施する医療者のケアも含まれています。安楽死特区は、あらゆるチャンネルで対話を続けられるのが条件なんです。そうやって対話を重ねてもなお安楽死を選んだのなら、それがベストな生き方だと皆が信じられるのではないでしょうか。


※『がんを抱えて、自分らしく生きたい がんと共に生きた人が緩和ケア医に伝えた10の言葉』の印税は、全て「マギーズトーキョー」および「一般社団法人プラスケア」に寄付される。

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西 智弘医師(撮影:幡野広志)