機動戦士ガンダム」シリーズのキャラクターデザインを担当し、漫画家としても数多くの賞に輝く安彦良和が原作・監督・脚本・キャラクターデザインを務めたSFアニメ『ヴイナス戦記』。1989年の公開以来30年間にわたり安彦監督の意向により封印され、アニメファンの間で“幻の名作”と語り継がれてきた本作がついにその封印から解き放たれ、デジタル・リマスター化されてBlu-ray特装限定版として2019年7月26日(金)に再臨する。

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物語の舞台は人類の移住から70年以上が経過し、大陸を二分する自治州同士の戦争と温暖化の危機にさらされた金星。現状への怒りを爆発させたヒロは仲間たちと共に立ち上がり、戦場へと飛び込んでいくのだが、そこで非情で残酷な戦争の現実を目の当たりにすることに…。

公開から30年を経た本年、満を持してデジタル・リマスター化された本作は、上映イベントやAbemaTVでの無料配信などで長年待ちわびたファンのみならず、その全貌を知るすべもなかった若いファンをも魅了。大きな話題を集めることになった。

Movie Walkerでは、長きにわたる沈黙を破った安彦良和監督のもとを訪ね、ロングインタビューを敢行。“封印”の真相から、作品に込めた知られざる想いまでを前後編で語ってもらった。今回は、その前編をお届けする。

■ 『ヴイナス戦記』を生んだ時代の閉塞感

ーー安彦さんが「封印を解く」と発言された所沢での上映会が行われてから1年。ついに再パッケージの発売日がやってきます。じつは2018年というのは、作中で金星への移民が開始された年にあたるんですね。

「そうだったんですね。平成をまるまる飛び越して令和に再パッケージされることになったことも含め、今回はいろんな偶然がありますね」

ーー舞台設定を30年後にしたのはどうしてでしょう?

「30年先くらいが、近未来としていいんじゃないかなと。50年…半世紀というとちょっと気が遠くなる。100年というと夢物語になりますから。ちょっと手が届く未来。服装などもそんなに飛躍しなくてもいいですしね。だから丁度いいと思ったんだと思います」

ーーその近未来で社会への不満を持つ若者が描かれます。

1989年公開だから、世界的にも変動があった年になるんだけど。原作漫画を描きだしたのはそれよりも3年くらい前(学習研究社「コミックNORA」1986年9月号より連載開始)でしたから、冷戦時代の終わりの方だったわけです。いまは新冷戦とか呼ばれていますけど、新冷戦は結局パワーゲームなんですよね」

「冷戦はイデオロギーの対立。当時、社会主義はもう駄目だなという感じにはなっていたけど『負けた』と認めない限り…。それはたぶん認めませんから、対立は消滅しないだろう。結果は見えているのに対立という関係はずっと続く。そういうなかで代理戦争みたいなことがあちこちで起きているのに、矛盾みたいなものは置き去りにされていく。そんな時代はこれからもずっと続くだろう。それは凄くつまらない状況だな、つまらない時代だなと、そんな感じを受けていたんです。それが、1989年に思想の対立に決着をつけることなく終わってしまう。それは予想外でした」

(脚注:東ドイツが冷戦の象徴とされたベルリンの壁の開放を宣言したのが11月9日。映画公開は3月11日)

ーーご自分の学生時代の経験なども反映されているんでしょうか?

「思想対立っていうのは、我々のそれまでの人生を支配していたわけですから、若い時分はそれを自分のなかに取り込んで考えたり行動したりしなくちゃいけないと思っていました。それに行き詰まってうんぬんはあるんだけど。私としては、それは大きなテーマですよ」

ーーそんな経験や思いを、本作のなかで昇華させたいという気持ちは?

「昇華はできないというのが忸怩(じくじ)たる部分なんですよね。だから近未来の金星という場所に苦し紛れの設定を見出して、そのやりきれない思いを、昇華できないまま置き換えて描こうとしていたんです。だからあまり気分的にすっきりしないテーマだなと。でも仕方がない。これから先もこの状況は続くんだから、閉塞感のなかで作り話を。画面的にめいっぱい弾けるしかないと思ったんです」

■ 当時悔やまれたことが、いまは…。

ーー当時のアニメ映画というと、ラストに巨大な何かを壊して映像的にもカタルシスを得て終わるというスタイルが多かったと思います。本作ではそこに踏み込みませんでした。

「笹本(祐一)くんがデカブツを出してきて、ラストシーンのお決まりを盛り上げようとしてくれたんだけど、そのアイデアはほかでやってるからもう使えないよとか、ちょっとそれは荒唐無稽すぎるとかね。それで後半はほとんど彼のシナリオからは外れていると思います。でも、それは失敗したなと意識したなかの一つですね。カタルシスをもたらせてあげられなかった。それは結局想像力の限界だなと思った部分もあります。ただ『これで終わってもいいんじゃないの』と最後は開き直ったという感じでした。」

ーーこの30年でのアニメ作品の変わりようもありますが、もしかしたらいまの若者の方が素直に作品を受けとめられるのかなとも思いました、

「僕も改めて観て、気にならなかったですね。終わり方を含めてそう悪くないな、と。もうちょっとこうすればというのがありますし、もうちょっと視覚的にサービスできたなとかね。そういうことは色々あるんだけど、ああいう終わり方でむしろ良かったと思いました」

ーー封印してやろうという意識が薄らいできた理由は?

「直接は、サンライズの望月(克己)くんが彼の仕事として『クラッシャージョウ』の上映会をやってくれて、その打ち合わせで言われて…。彼以外にも『封印なんて時代遅れだよ』と言ってくれた人はいたんです。『漏れてますよ』とかね(笑)」

ーー海外ではDVDが出ていたようですね。

「そうみたいですね。でも、ハッキリと『Amazonで買えますよ』という言い方をしてくれたのは望月くんが最初だったんです。もしかしたら、こっちが勝手に力んでいただけで、周りは『そういえば、出てねえな』くらいなことだったのかもしれませんね」

ーー封印を解かれたのが、ちょうど30年ぶりにアニメの現場へ戻られた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の時期でもありました。

「それも幾らかはあるでしょうね。アニメーションという尻尾を自分は切ったんだとそれまでは意識していたので、『ORIGIN』の監督をやるというのも最初はしぶっていました。現役じゃないし(辞めてから)随分と経ったし、『誰かやって』と。それが実際にシナリオにしてみたり、作業を進めていくとやはり口を出しちゃう。だったら手も出そうと(笑)。だんだんそうなって…。アニメーションに対しても気持ちが緩んできたというのもあるでしょうね」

「『ヴイナス戦記』のスタッフに対して罪悪感はあったんです。まったく説明もしないで『出したくない』と。仕事してくれた人たちに大変悪いなと、シコリにはなっていました。神村(幸子)さんや川元(利浩)くんたちには何度か会ったりもしていたんだけど、言われてみれば何も言わなかったですね。…言ってくれても良かったんだけど(笑)。本当に『あれどうするの?』って言わなかったんですよね。神村さんは僕がアニメーションから足を洗ったのは知っていましたから、その傷に触れてもしょうがないなと思ったかもしれませんね」

ーー今回、使用されたフィルムはかなり綺麗だったと伺いました。

「それは、幸か不幸かとにかくあまり使っていなかったから(笑)。あまり封印という言葉を言い過ぎちゃったかなと。あざといかなと思ったり。これはあちこちで言っているけど、『観せてやるものかと』結構意地でしたから。パッケージが出なければ、いまと違ってどこかで放送されることもないだろうし。『俺は観せてやらねえんだ』という意識はありましたね」

■ 若手の力を借りた作画現場

ーー本作では、スタッフにかなり若い方を起用されていますね。

サンライズと訣別したということで、サンライズ系の人に頼れなかったというのがまずあります。また当時は、業界内で世代交代が進んでいて若い人達の方がいい仕事をするというのは『巨神ゴーグ』の頃から思っていました。あとは神村さんが結構手配をしてくれて。彼女もサンライズの流れの人ではなくムービー系(現トムス・エンタテインメント)の人ですから。彼女の人脈というのは自然と外に向かって。もちろん制作も頑張ってくれたと思うんだけど、色々声を掛けて外から連れてきてくれるというのは本当にありがたかったですね。もともと僕は外を知らないんです。付き合いが狭かったので、サンライズの周囲くらいしか知らなかった。だから『その人誰?』って。するとこの前まで『AKIRA』をやっていたとか、『若いけど伸び盛り』とか『いま一番上手い人』とか、いろいろ。『これはありがたい』と」

ーーすると、実際に原画が上がってきてご覧になった時は、かなり新鮮だった。

「そうですね。それは楽しかったです。良い仕事をみるとこちらも乗ってきますから」

ーー作画に手を出したりはしなかったんですか?

「キャラにもメカにも作監がいて。自分は監督をすればいいというのは『ヴイナス戦記』が初めてでしたから、それまでの仕事のようなことをする気持ちはありませんでした。覚えているのは、作画直しではなくて、原画をお願いしていたけど『ごめんなさい。忙しくて』『ここまでやったけど、あとは無理』とか、みなさん忙しいのでそんなことが結構出たんです。他にも(原画を)撒く当てがない…とかね。だからむしろ原画をやりましたね。原画マンとしてはそこそこ仕事は出来ると思っていましたから。100カットくらいかな、結構やってますよ。戦闘シーンとか。制作も困っていますから『撒きなおさないと』なんて言っていると『じゃあ、俺やるよ』って」

ーーということは、安彦さんの描かれた原画は神村さんがチェックされた?

「ええ。原画ですから『チェックするな』なんて言わないですよ。リテイクはなかったとは思います。ぶつぶつ直したかもしれませんが(笑)。空港での戦闘シーンの最初にバイクがわらわらと出てくるじゃないですか。あそこからの一連が担当したカットなんだけど、あれが面倒くさくてね。あれは全部描き送りなんです。1枚セル。原画も重ねてはいないですね。動画は大変だと思うけど、あれは重ねても意味がないんですね。むしろレイアウト的に分からなくなるから全部同セル。『それにしても面倒くさいな、もうそろそろ辞めよう。…あと12コマか』なんてね。もちろん絵コンテは自分で描いていますが、でもまさか自分が原画を描くことになるとは。『これやる奴大変だな…、なんだ俺かよ』という(笑)」

ーー本作の原画用紙はテレビと同じサイズだったとか?

「大変なんですよね。これは今回のブックレットの鼎談で、神村さんと川元くんと3人で話した時に初めて聞いたんだけど、神村さんが『私の線より太い線はダメ』と。彼女は女性だから線が細いので、かなりご無体なことを言いますよね」

ーーそのお陰で大画面でも十分に綺麗な線で、密度感もある画面になっているんですね。

「結構ぐぢゃぐちゃ入っていますね。当時の映画は(テレビと同じ原画サイズで作られることも少なくなく)スクリーンで観ると『線が汚ないな、太いな』と思うこともあるし、ちょっと寄りでもしようものなら耐えられなくなるんだけど、(2018年の上映会で)『ヴイナス戦記』はそういうことを忘れて観れたから、『あ、そうか。そういうことを言ってくれていたのか。どうもありがとう』と感謝したりして。小林プロの背景を含めて、コテコテ感というか手作り感が懐かしく感じました」

<後編に続く>(Movie Walker・取材・文/小林 治)

“幻の名作”封印の真相が明らかに!