創作の世界では「オマージュ」や「パロディ」「パクリ」という言葉をよく聞くが、アニメの世界でもそれは例外ではない。他作品をネタを引っ張り出したり、場合によっては世界観設定そのものが似通っている作品も少なくない。

 ではそれらの中で、何が「オマージュ」で、何が「パロディ」で、何が「パクリ」なのか。初歩的な事柄ではあるが、今回はそれをテーマに考えてみる。

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 まずは、他作品の要素を引用している作品に対して使われる言葉「オマージュ」「パクリ」「パロディ」それぞれの意味を再確認してみよう。

 「オマージュ」はもともとフランス語で「敬意」や「称賛」という意味を持つ言葉で、英語の「リスペクト」と同様の意味合いで使用される。これらは、どちらかと言えばポジティブな感覚で用いられる言葉だ。それに対して「パクリ」の語源は諸説あるが、どれを取っても大元は「窃盗」などを意味する言葉であることに変わりはなく、少なくともポジティブな印象に捉えることはできない。

 ギリシア語の「パロディ」に関しては歴史が古く、もともとの使用感などを判断するのは難しい。ざっくりと現代の感覚で言えば「他作品を使って、または他作品そのものを(やや直接的に)茶化す作品」という具合いだろうか。

 要するに、敬意や称賛の意識が取り入れられたものが「オマージュ」で、より肩肘の張らないものが「パロディ」、ただ作品を(ほぼ)そのままコピーするのが「パクリ」ということになる。混同されがちではあるが、意外とその区分はハッキリしているのだ。ではここからは、それぞれの具体例を見ていこう。

 明確な「オマージュ」の例としては、特撮作品好きとして知られる庵野秀明監督の特撮愛が随所(主にアクション部分や作品全体のデザイン)に見られる「エヴァンゲリオンシリーズや、「マッドマックス」を始めとする数多くのアクション映画からの影響が見られる「北斗の拳」などが挙げられる。

 両方の作品を知るファンの中には「ようはパクリじゃねぇか!」と声を荒らげたくなる方も中には居るかもしれないが、実はそうではない。先ほどの定義に当てはめれば分かることだが、重要なのは製作者の“敬意”と、違う作品である“意義”が存在するか否かである。

 はたして「ウルトラマン」と「エヴァ」の表現しようとしている事柄は同じだろうか? 「マッドマックス」と「北斗の拳」を観て視聴者が感じる気持ちは同じだろうか? 局所的な表現方法や雰囲気・世界観などが流用されていたとしても、そこに敬意や称賛の意識と、違う作品である意義が存在する限り、その作品は「オマージュ」の範疇なのだ。

 また、「パロディ」に関しても同じ事が言える。他作品のエッセンス、またはタイトルセリフそのものを引用することで、元作品とは違った面白さを視聴者に与えられるのであれば、それは「パクリ」ではない。例えば、いくら「銀魂」にナメック星人に似た謎の異星人が出てきたからといって、そこから元ネタの「ドラゴンボール」と同質の感動を得られるわけでは無いだろう。

 先ほど挙げた「銀魂」や、1話ごとに1作品のネタを可能な限り引用した「えびてん」、登場キャラクターほぼ全員が横山光輝作品から引用さいれている「ジャイアントロボ THE ANIMATION地球が静止する日」などはその代表例である。内容のポジティブネガティブを問わず、全体として引用元とは違った作品になっていれば、パロディとして成立するというわけだ。

 実のところ、世に出ているアニメ作品において純粋な「パクリ」は(この定義に当てはめる限りでは)なかなか無い。特にアニメの制作費用が大幅に高騰している現在では、単なるパクリ作品を制作させてもらえる環境など、そうそう作れるものではないのである。

 もちろん、元ネタを辿れば似ている作品を探し出すことはいくらでも可能だろう。新しいものでも、オンラインゲームを舞台にした「.hack//」や「ソードアート・オンライン」以前には、バーチャルリアリティを題材にしたSF小説「クラインの壺」(バーチャルリアリティという意味合いではさらに古いものも存在する)が存在するなど、ルーツを辿って行けばキリがない。これを「パクリ」と呼ぶ人は少ないだろう。

 ひとつのアニメ作品を観て「似てるな……」と思ったら、一旦心を落ち着けて、「オマージュ」「パロディ」「パクリ」それぞれの定義に当てはめて考えてみよう。その作品“らしさ”が何なのかを知り、理解することで、これまでより深く・楽しくアニメの面白さを堪能できるはずだ。(文:蒼之スギウラ)

特撮愛が随所に見られる「ヱヴァンゲリヲン」シリーズ(C)カラー