【元記事を音楽ナタリーで読む】

各界の著名人に“愛してやまないアーティスト”について話を聞くこの連載。今回は作家のしまおまほに、こよなく愛する米米CLUBの魅力について語ってもらった。

【大きな画像をもっと見る】

こんなに面白くて、セクシーな男の人、初めて!

私が米米CLUBの存在を知ったのは、小学生のとき、若手のお笑い芸人や注目のバンドを紹介するテレビ番組「冗談画報」でした。その後、テレビの音楽特番「メリー・クリスマス・ショー」を観て、一気に好きになってしまったんです。「メリー・クリスマス・ショー」は、桑田佳祐さんが企画・出演したクリスマスの特番で、松任谷由実さん、忌野清志郎さん、チェッカーズ吉川晃司さんなど当時の人気ミュージシャンがそろって出演していました。米米は1987年の回に登場したんですが、その面子の中ではまだ新人バンドだったから、司会の明石家さんまさんがカールスモーキー石井さんのことを「米米の彼」と呼んでいたのを憶えています(笑)。その番組で、米米とCHARさんがThe Rolling Stonesの「Jumpin' Jack Flash」と、敏いとうとハッピー&ブルー「星降る街角」のマッシュアップで共演して。あの頃はマッシュアップなんて言葉はなかったですけど、それがとにかく面白くて夢中になってしまったんです。それまではチェッカーズ、シブがき隊、光GENJIを普通に好きな小学生だったんですけど、なぜだか石井さんのビジュアル、妖艶なメイクと襟足が特徴的なヘアスタイルに強烈に惹かれてしまった。「こんなに面白くて、セクシーな男の人、初めて!」って感じで。米米にハマってからは、地元の豪徳寺の商店街にあったレンタルCD店「DORAMA」に通い詰めました。米米のほかには、聖飢魔IIのアルバム、あとは野沢直子「生理でポン」や山瀬まみの「親指姫」なんかを借りていました。その頃から一風変わった面白げなものに惹かれる体質だったんでしょうね。

“女カールスモーキー石井”を目指してました(笑)

中学生になると、TBSラジオの「米米CLUB10分天国~略して10テン~」という番組を入口にラジオにもハマっていくんですが、同じ中学校にものすごい米米ファンの先輩がいて。ビデオやファンクラブの会報を貸してくれて、そこでいろんな知識を擦り込まれたことも大きかったと思います。先輩はその頃からSUE CREAM SUE(米米CLUBの専属ダンスチーム)のコスプレをして、踊りも練習していたんですが、私はそっちには行かなかったんですよね。私は“女カールスモーキー石井”になることを目指してました(笑)。カッコいいし、面白いし、キメるときはキメる。その絶妙なバランスと、空気を読むということを一切しないところも含めて「天才!」だなと。でもファンの間では定番だった“テッペイちゃん”という愛称で呼ぶことには抵抗がある派で。自分なりにこだわりのあるメンドくさいファンでした(笑)。そういえば、米米を教えてくれた“師匠”である中学の先輩に2年前に25年ぶりに偶然会ったんですよ。ちょうど「おせきはんツアー」(2017年)の直前だったんで、米米のコの字も出さずに「行くの?」とだけ聞いたら、「行くよ」って(笑)。感動しましたね。「師匠はまだ師匠だったー!」って。それ以来、先輩とまたLINEでつながって、米米の話題で盛り上がってます。

米米CLUBは「ライブを観なくちゃ始まらない」と言われていますが、私がちゃんとライブを観たのは2006年の再結成ツアー(「a K2C ENTERTAINMENT 米米CLUB 再会感激祭 マエノマツリ編・アトノマツリ編」)の横浜アリーナのみ。小中校時代はコンサートのチケットが取れなくて行きたくても行けなかったし、ファンも私より年上の人が多くて敷居が高いというイメージがありました。ずっとビデオで観る在宅派なんですが、先輩の「年代順に観ろ」という教えに従い、初めて観たビデオは1986年の日本青年館のビデオ「DEBUT SHARISHARISM」。一番好きなのは、「ANTI SHARISHARISM 右脳と左脳の恋物語 UNO編・SANO編」(1991年)ですね。今日持って来た、その頃の「月刊カドカワ」の米米CLUBの総力特集は、ボロボロになるほど読み込んでます。石井さんには憧れもあるけど、自分の表現活動のルーツは子供の頃にあるという石井さんの話を読んで、どこか共感を覚えたんです。この「月カド」で岡崎京子さんにも興味を持つようになったし、私にとっては“神号”ですね。

米米がちょっと遠くへ行ってしまった

「君がいるだけで」(1992年)が大ヒットしてからはファンが急増し、コンサートもアリーナクラスが増えて、米米がちょっと遠くへ行ってしまった感がありました。その頃、私もスチャダラパーが大好きになったりして、米米熱が少し落ち着いてきたんです。スチャダラパーの「スチャダラ大作戦」(1990年)に「Beat Punk Sucker's」というビートパンクやバンドブームを揶揄する曲が入ってるんですけど、「もしかして、その目線で見ると、米米もスチャダラにイジられる対象なのかな?」と思って、人知れず葛藤したこともありました。今思えば、90年代が始まった頃って時代のちょっとした変わり目だったんだと思います。でも、スチャダラパーのNHKのドキュメント番組に米米のプロデューサーでもある音楽評論家の萩原健太さんが出演しているのを観て、「私は間違ってなかった!」と思ってホッとした記憶があります(笑)。

学校の同級生には米米のファンはあんまりいなかったんです。ドリカムDREAMS COME TRUE)、プリプリ(プリンセス プリンセス)、X JAPANT-BOLANが人気で、そんな中でかまいたちファンの男子、たまファンの男子と3人で浮いていました(笑)。米米ってすでにメジャーだったと思うんですけどねえ。ホント、同学年にはファンがいませんでしたね。高校に入るとアムラーブームになってしまったので、今度はスチャダラパーを語り合える同級生にも恵まれず、米米に続いて孤独な応援活動を続けていました。私にとっては、米米もスチャダラも音楽はもちろん“ユーモアセンス”を大尊敬してるんです。雑誌「オリーブ」は読んでいたけど、フリッパーズ・ギターに行かなかった理由は、たぶんそこだったと思います。カッコよすぎるんですよね~。だって、無口でしょ? まあ、そっちに行けないのが自分のコンプレックスであり、モテない要因の1つでありって感じですかね(笑)。

米米が解散を発表した1996年頃は、スチャダラパーに夢中だったのと、前年のRYO-Jさんとジョプリン得能さんの脱退で、「解散やむなし」と思っていたような気がしますね。その後しばらくは“昔、大好きだったバンド”の枠に入っていたんですが、友人が主催するイベントでDJのまねごとをする機会が何度かあり、そこで米米CLUBの曲だけをかけて歌うようになって、そのたびに熱が上がっていった気がします。

メンバーに会えたのは雑誌の仕事で出版社に行ったとき、たまたまカールスモーキー石井さんがいらしていて、そこで一緒に写真を撮ってもらったのが最初です。米米熱は落ち着いていた時期でしたが、とはいえ、ドキドキでした。そのとき一緒にいたクラムボンの原田郁子ちゃんが最高に興奮した私を生温かく見守っていてくれたこと、今でも忘れません(笑)。

若い世代に米米を伝えていきたい!

私の中で本格的に米米熱が再燃したのは、「タマフル」(TBSラジオライムスター宇多丸ウィークエンドシャッフル」)で、「2016年時事ニュース meets 米米CLUBメドレー」という企画を放送した頃からですね。時事ネタに合わせて、不倫の話題で「ひとすじになれない」、藤原紀香の水素水の話題に合わせて「H2O」など、米米オンリーで選曲したんですが、そこで米米の音楽を聴き直して、改めてその素晴らしさを思い知ったんです。知り合いのDJから「君がいるだけで」以降の曲や再結成後の曲もいいよと教えられて。「抱きしめたい」「恋し魔法・愛し魔法」「WE ARE MUSIC!」など、めちゃくちゃいい曲がたくさんあったことを知りました。ファンキーだったり、ポップだったり……どれも完成度の高い名曲ばかりなんですよ。それまではライブのコントやMCなど米米の面白い部分ばかりの記憶が鮮明だったんですが、私は米米の音楽がすごく好きなんだなと改めて確信しました。

ジェームス小野田さんのボーカル曲もカッコいい曲がたくさんあって大好きです。「OH!」「あ!あぶない!」「美熱少年」どれもいいですね。「Primitive Love」も隠れた名曲。とにかく1回聴いてみてほしいです。今、音楽好きな人が自分のオピニオンスパイスを入れたいなら、絶対、米米です!

「俺色にそまれ」(1994年)がリリースされた当時、渋谷系に心が惹かれていた私としては「”俺色”かあ……うーん」とか思ってましたけど、今じゃヘビロテしてます。大人になってから聴いてわかることってあるんですよね。沁みてくるというか……もうね、完全に「米色にそまって」ます。

「若い世代に米米を伝えていきたい!」という一心で、最近はイベントに出るたびに必ず米米の話題を出すようにしています。これを私は「米米の授業」と呼んでいます(笑)。先日の「YATSUI FESTIVAL」のスペシャル歌合戦ではNONA REEVES西寺郷太さんと、郷太の“ご”とまほの“ま”で“ごまごまCLUB”と称して「ひとすじになれない」の間奏に米米豆知識をハメ込んで(笑)、デュエットさせてもらいました。前年に郷太さんは「TIME STOP」を歌われたんですが、郷太さん、実は米米のアルバム「GO FUNK」が大好きだそうで。高校生の頃にうっかり入ってしまった京都のぼったくりバーで「TIME STOP」をカラオケで歌い、あまりの歌のうまさに難を逃れたことがあるそうなんです(笑)。その話を聞いてから郷太さんは私の中で完全に“米米枠”に入っています。

アートスクール=文化学院出身の友人同士が始めたアート活動の延長にあのトリプルミリオンを記録した「君がいるだけで」がある。そのカッコよさ、偉大さは尊敬してやみません。そんな関係が35年以上も続いている。オリジナルメンバーがほとんど変わっていないんです。ファンとしてこれほどに信頼がおけることってあるでしょうか? 昔も今も変わらないメンバーの関係性も、米米の魅力ですね。

この間、友達に初めて米米のライブ映像を観てもらったんですよ。そうしたら「まほちゃんの笑いのツボと完全に一致しているのがわかる」って言われて。「これが原点なんだね」って感心されました。私は米米の面白さを伝えたかったんだけど(笑)。でも、同時にうれしかったですね。私、ブレてないんだって思った(笑)。この仕事を始めてから、私も米米から多大なる影響を受けていると思うようになりました。ユーモアとインテリジェンスと下ネタと。ときにマニアックでときに大衆的で。そして音楽、演劇、コント、美術、面白いところをめがけてあらゆる手段を駆使する姿勢、大真面目にエンタテインメントに向き合う大切さは、米米から学びました。おこがましいとは思いつつ、今後も“女カールスモーキー石井”の道を精進したいと思っています。

しまおまほ

1978年東京生まれの作家。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。

取材・文 / 佐野郷子 撮影 / 相澤心也

しまおまほ