フィリピンのトランプ」との異名をもつドゥテルテ大統領の最大の政敵は、麻薬王でも、野党でもなく、本家と同様、同大統領や政権に批判的なメディアだ。

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 5月の中間選挙で圧勝したものの、中国船によるフィリピン船への当て逃げ問題や、人気を下支えしてきた経済成長の鈍化が表明化、メディアのドゥテルテ大統領に対する風当たりは一層厳しさを増している。

 批判の急先鋒で知られるフィリピン最大の民放テレビ局、ABS-CBNの経営存続が危ぶまれている。

 2020年3月が期限とされる同放送局の今後25年間の営業権更新を盛り込んだ下院法案が6月、議会下院審議で凍結されたからだ。

 7月22日に再開される下院審議で法案が再提出されない場合、同放送局の営業認可は更新されず閉鎖が濃厚となる。

 下院議長であるアロヨ元フィリピン大統領は下院審議最終日、「審議案件はすべて終了した」とABS-CBNの法案に言及することはなく、完全無視を決め込んだ。

 汚職や選挙法違反で逮捕されたアロヨ元大統領を復権させたのは、ドゥテルテ大統領だ。その大統領の意に沿う形での法案凍結だといえる。

 2022年の大統領選を目前に、ドゥテルテ大統領連邦制導入、大統領再選を許可する憲法改正を目論む。フィリピン政界を長年牛耳り、現在は野党となったアキノ派の打倒、阻止を図る地固めの一環だ。

 ABS-CBNの営業権更新問題の発端は、2016年5月の大統領選で、同放送局がドゥテルテ氏の選挙広告放映を拒否したこと。

 その一方で、政敵のトリリャネス上院議員陣営の反ドゥテルテ広告を積極的に放映したためドゥテルテ大統領が同放送局への不満を募らせたとされる。

 実際、同放送局の営業権許可の法案審議は、ドゥテルテ大統領就任以来、2016年11月から凍結されてきた。一方、ABS-CBNのライバル社などのドゥテルテ政権派メディアには営業権がすんなり許可されてきた。

 国家権力を振りかざしてテレビ局の営業権許認可を凍結、ドゥテルテ批判の急先鋒メディアに圧力をかけたわけだ。

 ある下院議員は「メディアの営業認可には、大統領のサインが必要。ドゥテルテ大統領が同放送局の営業認可をさせない方針である限り、法案が提出され、審議される可能性は低いだろう」と明かす。

 昨年末には、まるでギャングかやくざがものを言うように、「お前たちは、もう終わりだ。営業許可は絶対に更新させない。なぜって? お前らは、『どろぼう猫だからだ!』」とABS-CBNに通告した。

 一方ABS-CBNは、こうした動きに公然と反発はしないものの、放映停止の可能性も視野に入れながら、オンラインサービスへの進出を強化しているとも言われる。今のところ両者が歩み寄る気配はない。

 そもそも、ドゥテルテ大統領は、マスコミ嫌いで知られる。特に、これまでも自分に批判的なメディアの一掃や閉鎖を進めてきた。

 2016年6月に大統領に就任するまで務めたフィリピン南部のダバオ市長時代には、ドゥテルテ氏を痛烈に批判してきたラジオコメンテータージュン・パラ氏がドゥテルテ氏の自警団に射殺される事件が発生した。

 その際、殺人を批判するどころか「悪質なジャーナリストは、死んで当たり前!」とあたかも殺人を容認する発言が飛び出し、物議を醸したこともある。

 さらに、家賃未払いを口実に有力日刊紙「フィリピンデイリー・インクワイヤ―」の株主一族が運営するビルを突然封鎖した。

 このように、ドゥテルテ大統領に批判的なメディアを容赦なく弾圧、排除する政策を採り続けてきた。

 独裁的だったマルコス政権崩壊以降、フィリピン政府はメディアとの激しい摩擦があっても、これまで直接的な強権介入は避けてきた。

 しかし、マルコス元大統領を尊敬するドウテルテ大統領は、こうしたメディアとの関わりも、マルコス流を復活させようとしているわけだ。

 しかし、表面的にはドウテルテ氏とメディアの「戦争」にみえる対立の裏には、マルコス時代から続く「政権側と財閥の権力争い」という因縁が隠されている。

 実は、フィリピンでメディアを牛耳っているのは、ロペス財閥といわれている。

 今回、ドゥテルテ大統領と免許更新問題で争うフィリピン最大のテレビ局ABS-CBNは、このロペス財閥の傘下にある。

 ロペス財閥は、ABS-CBNを筆頭に、ケーブルテレビのスカイ・ビジョン、通信会社のバヤン・テレコミニュケーションズのほか、新聞社やラジオ局、さらには多くの雑誌を発行するフィリピン最大のメディアコングロマットだ。

 同局の番組は、世界の50の国や地域で放送され、香港拠点の「フィニックス・テレビ」と業務提携を結び、今年9月からABS-CBN放映のドラマや映画が、北京語広東語で放映される予定のほか、トルコでも4月に同局のサスペンスドラマの放映が開始されたばかり。

 フィリピンでメディアビジネスの国際化に最も成功しているアジアを代表する放送局で、多くの著名歌手やタレントも所属している。

 しかし、ロペス財閥のメディア事業は、同財閥が抱える事業のほんの一部。同財閥の主力事業は、電力、高速道路建設、通信コミュニケーションなどで、国のライフラインインフラを一手に掌握している。

 このため、外国企業や投資家が経済活動を行うとき、ロペス財閥を無視してビジネスはできない。

 ロペス一族は、その強力な経済力を武器に政治にも介入してきた。メディアを牛耳るロペス財閥は、カネの力で世論を操り、歴代のフィリピン大統領の選出に深く関与してきた。

 ただし、支援する人材の選択を誤れば財閥にとって命とりになる。いくらカネを持っていても政治権力にはかなわないからだ。

 ロペス財閥が歴史的な失敗を犯したのは、マルコス元大統領への加担だった。

 1960年代、ロペス財閥創始者のユーヘニオ・ロペス氏は、ある人物をフィリピン大統領に押し上げ、政権と財閥一家の蜜月を図ろうとした。その人物が、フェルディナンド・マルコス氏だった。

 ユーヘニオ氏は、マルコス氏を大統領に担いだ見返りに、実弟のフェルナンド・ロペス氏を副大統領に就任させ、同政権下でカルテックス・フィリピンなどの大企業を次々と買収し、同財閥の拡大化に成功、マルコ大統領を経済的傘下に収めた。

 しかし、こうした巨大化するロペス財閥の影響力を憂慮したマルコ大統領は、1970年代に入ると、ロぺス財閥を牽制するため、週刊誌「政治リポート」を発刊した。

 そして、「既存のメディアは、世論を操作し国家を転覆させようとしている」などと、ロペス財閥が所有する既存メディアへの攻撃を展開、ロペス財閥に牙をむくようになった。

 ロペス財閥も対抗意識をむき出しにして、ABS-CBN新聞紙クロニクルを通じてマルコス政権批判を展開した。

 こうした抗争の結果、副大統領だったフェルナンド・ロペス氏は農林天然資源相を辞任して政権から離れ、ロペス財閥は政界への影響力を削がれた。

 しかし、マルコス氏のロペス財閥潰しは、それだけにとどまらなかった。ロペス財閥が所有するフィリピン最大の電力会社、「マニラ電力」へ圧力をかけたのだ。

 電気料金の最低限度の値上げしか許可しなかったり、燃料油価格をつり上げたりして、マニラ電力の経営危機をあおった。

 一方、ロペス財閥は、ガソリンの値上げで打撃を受けたジプニー(フィリピンの庶民の足で人気の乗り合いバス)の運転手たちを裏でカネで操り、大規模なストライキを発動させた。

 不意を突かれたマルコ大統領は、ストライキ鎮圧で軍隊を出動させ、死傷者を出してしまった。

 この模様をロペス財閥傘下のメディアは連日報道、マルコス政権を激しく批判する世論を形成させた。

 マルコ大統領は国民の理解を得ようと全国放送での演説を計画するも、放送席に座った瞬間に突如停電が発生、中止に追い込まれる事態に。

 この一件で大統領としての権威は一気に失墜した。この停電を裏で操っていたのが電力会社経営者のロペス財閥。マニラ電力はその意を汲み放送局への送電を妨害したのだ。

 怒り心頭に発したマルコ大統領は、ロペス財閥の影響力を封じ込めるため、1972年、戒厳令を敷き、強制的に国内発電を国有化する大統領令を発令した。

 しかも、ロペス財閥の創業者のユーヘニオ・シニア氏の息子、ユーヘニオ・ロペスジュニア氏を大統領暗殺を謀った容疑で強制逮捕した。

 ユーヘニオ氏はマルコ大統領に息子を人質に取られ、当時、数百億ドルの価値があったとされる財閥の放棄を命じられた。

 結局、ユーヘニオ・シニア氏と弟のフェルナンド・ロペス氏の兄弟は米国に追放され、息子は釈放されず、投獄された。

 しかし、1986年マルコス政権が倒され、暗殺された政敵だったベニグノ・アキノ氏の未亡人コラソンアキノ氏が大統領に就任すると事態は大きく動き出した。

 アキノ大統領(福建省の客家系)自身がコハンコ財閥(台湾系)の出身であった背景もあり、マルコス政権下で崩壊させられたロペス財閥は復活を果たしたのだ。

 現在、フィリピンの華人系新興財閥を台湾系資本が牛耳っている由来がここにある。また、ドゥテルテ大統領が中国資本を積極誘致、「親中」で対抗する真の狙いもここにある。

 そして、ロペス財閥はアキノ政権下でマルコ大統領に窃取された財産や企業群を取り戻すことに成功した。

 こうして、アキノ家はロペス財閥一族を救ってくれたかけがえのない恩人となり、ロペス一族はフィリピン経済界、政界に復帰し、現在に至る。

 一方、マルコ大統領時代には軍人でマルコス一家と懇意にしてきたドゥテルテ氏にとってロペス財閥は因縁の政敵。その主力メディアがABS-CBNだ。

 かつてマルコ大統領が強権を振りかざしたように、今、ドゥテルテ大統領ロペス財閥を崩壊させようと躍起になっているのだ。

 5月の中間選挙で圧倒的な勝利を収めたドゥテルテ大統領。娘のサラ氏がダバオ市長再任、息子2人も下院議員やダバオ副市長に当選。

 憲法を改正して大統領再選を実現させ、マルコス王朝以来の強力なドゥテルテ王朝を築こうとする野心を覗かせている。

 一方、野党は中間選挙で全滅。野党が1議席も取れなかったのは、米国植民地時代の1938年以来、81年ぶりとなった。

 アキノ大統領の甥で現職のバム・アキノ氏は次点も果たせず、2016年の大統領選で本命とされながらドゥテルテ氏に敗れた元大統領の孫、マヌエル・ロハス元自治相も惨敗。

 その勢いに乗って、マルコス時代のようにメディアに圧力をかけロペス財閥を崩壊に向かわせようとしているのが、ドゥテルテ大統領というわけだ。

 歴史は繰り返すのか――。フィリピンにおける権力とメディアの戦いは血みどろの様相を呈してきている。

(取材・文 末永恵)

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写真はフィリピン・マニラのABS-CBN放送本社。http://www.maniladailynewsweb.com/congress-freezes-abs-cbn-franchise-firm-takes-movies-to-china-market/