投資の初心者が知っておくべきこと、勘違いしやすいことを、できるだけ平易に解説しようと思います。為替レート、株価、金利など、過去の相場を知ることは投資判断に役立つはずです。そこで、今回は欧州通貨の歴史を振り返ります。

二度の世界大戦を含む紛争が繰り返されてきた反省から、第二次世界大戦後、欧州は統合による恒久平和を目指す動きを模索してきました。
○為替相場を安定させる試み

為替市場では、欧州各国通貨の相場変動を安定させるために様々な試みがなされました。1979年に欧州委員会によってERM(為替相場メカニズム)が創設され、加盟国は通貨バスケット(※)であるECU(エキュ、欧州通貨単位)に対する自国通貨の変動幅を一定範囲内(±2.25% 、1993年に±15% に拡大)に収めるよう求められました。

(※)複数の通貨を一定の比率で組み入れて作った合成通貨のこと
○東西ドイツの統合

1989年12月ソビエト崩壊により、旧共産圏の各国は次第に資本市場に参入。1990年10月には東西ドイツが統合され、両国の経済格差にもかかわらず、当時の西ドイツコール首相の英断により東西ドイツマルクは1対1で交換されました。これにより、旧東ドイツの生活水準は一気に高まりましたが、強すぎるマルクは旧東ドイツ経済の大きな重石となりました。
○単一通貨ユーロの導入

さて、ERMをさらに前進させたのが、単一通貨ユーロの導入です。EU(欧州連合)加盟国のうち、ドイツフランスイタリアなど11カ国が1999年1月1日ユーロを導入し、ユーロ圏を形成。参加基準を満たせなかったギリシャは2年後に参加しました。当初、ユーロは帳簿上のみの通貨でしたが、2002年1月1日に現金の流通が開始され、各国通貨は役割を終えました。

ユーロの導入により、参加国間の商取引から両替のコストが消滅、経済の効率化が期待されました。一方で、通貨が単一であり、金融政策もECB(欧州中央銀行)に一元化されたため、ユーロ圏内の経済格差をならす手段は財政政策のみとなったのです。
○欧州財政危機

財政政策への過度な依存は、リーマンショック後に大きな弊害を生みました。南欧州の国を中心に、景気刺激策のために財政状況が急激に悪化したのです。2010年ギリシャ財政の粉飾発覚に端を発し、2012年にピークを迎えた、いわゆる欧州財政危機です。南欧州の国々の国債が売り込まれてドイツフランスの国債との利回り格差が大きく拡大。南欧州の国々は資金調達が困難になりました。
○ドラギ総裁の宣言で危機終息

2011年11月に就任したECBのドラギ総裁は、2012年7月に「ユーロを守るために何でもする用意がある」と宣言。ECBはユーロ圏各国の国債買入れを開始しました。同年10月に金融支援制度であるESM(欧州安定メカニズム)も立ち上がり、財政危機はようやく終息に向かいました。

もっとも、その後もユーロ圏経済の低迷が続き、各国の経済格差も拡大したままです。財政危機以降に厳しい財政ルールが導入されたことも、各国国民の不満の鬱積につながりました。さらに近年では中東からの難民問題が深刻化したことで、欧州各国でポピュリズム(大衆迎合政治)が急速に台頭しています。
ギリシャユーロ圏離脱は回避

2015年1月のギリシャ総選挙で、SYRIZA(急進左派連合)が勝利。それによりグレグジット(ギリシャユーロ圏離脱)が懸念されましたが、土壇場でチプラス新首相がユーロ圏に譲歩し、グレグジットは回避されました。イタリアでは2018年3月の総選挙で、欧州統合に批判的なポピュリズムの連立政権が誕生。財政赤字拡大の可能性がユーロ圏の懸念材料の1つとなっています。

今後も、ユーロ圏の政策運営はたびたび困難に直面するとみられ、通貨ユーロにとって打撃となる局面はありそうです。
ユーロの対米ドル相場の推移

1999年の導入直後からユーロは対米ドルで下落しました。域内に経済基盤の弱い国を抱え、また各国の経済格差の大きさが政策運営を困難にしたからでしょう。ユーロ2000年10月に1ユーロ=0.8230米ドルの大幅なアンダーパー(1ユーロが1ドルを下回ること)で底を打ち、2001年初の現金流通開始とともに上昇に転じました。そして、リーマンショック直前の2008年7月15日に1ユーロ=1.6038米ドルで最高値を付けました。その後はユーロ圏の財政危機や景気低迷、ECBの大幅な金融緩和などを背景に、総じて対米ドルで軟調な推移となっています。

○基軸通貨を降りた英ポンド

米ドル以前の基軸通貨は英ポンドでした。米ドルが基軸通貨の地位を確立したのは、第二次世界大戦後のブレトンウッズ体制によって、金1オンスと35米ドルの兌換による固定相場制が採用されてからです。ただし、第一次大戦以降、疲弊した英国経済を反映してポンドの凋落は明らかでした。
イングランド銀行を打ち負かした男

自国の独自性を重視する英国が上述のERMに加盟したのは、創設から11年後の1990年でした。しかし、手厚い福祉や国有化による英国病にむしばまれた英国がポンド相場を維持するのに大きな困難を伴いました。1992年9月、ジョージ・ソロス氏ら投機筋がポンドを売り込む一方で、イングランド銀行(中央銀行)がこれを買い支えるという攻防が繰り広げられた末、最後にはイングランド銀行が全面降伏。英国はわずか2年でERMを離脱しました。そして、ソロス氏は「イングランド銀行を打ち負かした男」として名を馳せました。
リーマンショックブレグジット

英国は、ERM離脱後のポンド安や北海油田の開発などを背景に経済の活力を取り戻します。そして、1999年ユーロ圏創設時、英国はEU加盟15カ国の1つでありながら、スウェーデンデンマークとともに参加を見送りました。

2000年代に入ると、金融センターとしてのロンドンの重要度が増大し、ポンドは堅調に推移。しかし、2008年リーマンショックでは英国の金融機関も大きな打撃を受け、またロンドンの不動産バブルの崩壊もあって、ポンドは大きく反落しました。

そして、2016年6月の国民投票によって、よもやのブレグジット(英国のEU離脱)が決まるとポンドはさらに下落。その後も英国とEUの交渉が難航してブレグジットの先行きが不透明であることがポンドの重石となっています。
○英ポンドの対米ドル相場の推移

英ポンドは変動相場制移行後に対米ドルで大幅に下落し、1985年初めには一時1ポンド=1米ドルのパリティ(等価)に接近します。その間の例外は1970年代後半で、2度の石油ショックや米経済の低迷により米ドルが下落する一方、中東のオイルダラーが英国に流入したことで英ポンドは上昇しました。

1985年以降は、米ドル高是正の国際協調や英国経済の復活でポンドは比較的堅調に推移し、2007年11月に1ポンド=2.116ドルの近年の高値を付けます。その後、リーマンショック前後に大幅に下落、さらに2016年6月の国民投票を受けて同年10月には一時1ポンド=1.184ドルの安値を付けました。

本稿執筆時点ではブレグジットの先行きは不透明であり、EUとの合意なき離脱の場合には、英ポンドが一段と下落して1985年にも実現しなかったパリティに達するとの見方もあるようです。なお、英ポンドの対円相場は1971年8月のニクソンショック前の1ポンド=約860円から足もとで同130円台前半まで減価しています。

○執筆者プロフィール : 西田 明弘(にしだ あきひろ)

マネースクエア 市場調査室 チーフエコノミスト1984年、日興リサーチセンターに入社。米ブルッキングス研究所、三菱UFJモルガン・スタンレー証券などを経て、 2012年にマネースクウェアジャパン(現マネースクエア)入社。「投資家教育(アカデミア)」に力を入れている同社のWEBサイトで多数のレポートを配信(一部は口座をお持ちの方限定で公開)する他、投資家のための動画配信サイト「M2TV」でマーケットを日々解説。
(西田明弘(マネースクエア))

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