インテリアデザイナーアウトドアプロダクトデザイナーの、二足のわらじを履く宮崎秀仁さん。アウトドア界隈では「38パレットのミヤさん」、「六角会のミヤさん」、「自作ギアのミヤさん」、「ほら、あの軽自動車をカスタマイズしている…」など、実にさまざまな呼ばれ方をしている。それらすべてをひっくるめて「38exploreのミヤさん」が形成されているのだ。呼ばれ方の数だけアイディアがある。Instagramで1万5千人近くのフォロワーを持つミヤさんとは。

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もしあのままアメリカに行ってたら、違う人生になっていたかも知れない
山梨県道志村のとあるキャンプ場。あいにくの雨でもいつもと変わらず難燃性のタープを張り、焚き火台を前にして暖を取るミヤさん。傍らには自身のブランド、38exploreで制作販売している「38パレット」があり、仲間と時間をともにする「ヘキサテーブル/TheArth」がある。使うキャンプ道具は自作したものが多い。既成品が不便ならば、もっと良いものを作ればいい。なければゼロから生み出すだけ。ミヤさんのサイトには実用性とデザインと兼ね揃えた機能美なギアが並ぶ。

ターニングポイントだらけの人生でした。でも、自分がやりたいことにはブレない。そのためのスキルをつなげる仕事選びが、今の自分につながっていると思います」。

そう語り始めたミヤさんは、今でこそ、インテリアデザイナーアウトドアプロダクトデザイナーとして活躍しているが、若かりし頃に設計事務所の住み込み修行時代があるなど、聞くに相当な苦労をしてきた。

「18、19だったかな。名古屋イタリアンワインハウスバイトしていたとき、たまたま現場に来ていた設計事務所の人に『うちに来ないか』と、誘われました。たぶん、僕がおもしろかったんでしょう(笑)。後で知ったのですが、その事務所の人は有名な設計士の先生で、全国から入りたい人が集まっては断られる。そんなところでした」

その設計事務所でミヤさんはアメリカ人、カナダ人とともに住み込みで働き始める。「昔ながらの師匠に付く修行」と、本人は当時を懐かしそうに振り返った。つねに腹ペコだった宮崎青年は、住み込みの仲間たちと仕事終わりに路上ライブもして、食費を稼いでいたという。趣味の登山も設計事務所の仕事を期に辞めた。

そんな設計事務所での修行時代には「一緒にコロンビア大学に来ないか」と、誘いもあったが、当時付き合っていた彼女のおめでたが発覚。人生の岐路は結婚を選んだ。「その時アメリカに渡っていたら、違う人生になっていたかも」。もしそうだったら、アウトドアプロダクトデザイナーのミヤさんもInstagramで1万5千人近くのフォロワーを持つミヤさんもいなかったかもしれない。

デザインは仕組みであり、気になることはトコトン追求する
2年間の住み込み修行を終えた宮崎青年は、次の仕事に電気工事を選ぶ。理由は「施工の現場にずっといるのが電気屋さんだから」。設計事務所では机上での仕事が多く、毎日現場に行くことはない。そのため、もっとモノづくりの現場にいたいと考え、電気工事の職に就いた。それから2年後、宮崎青年は再び新しい職に選ぶことになる。

電気工事をするうちに「家づくりを最初から最後まで全部できるようになりたい」思うようになり、次に選んだのが大工さん。6年を現場で過ごし、設計から電気、大工と、職種は異なれど建築の仕事を突き詰めていく結果に。この当時から「スキルにつなげる仕事」を意識していたという。一貫してブレないモノづくりスタイル。今の38exploreはこのバックボーンがあったからこそだろう。

デザインと仕組みはイコールの関係性。さまざまなモノづくり現場を経験していくと、どうしても仕組みが気になってくる。デザイン的にどうこうだから仕組みはこうなる、とかね。『仕組みを考えるのはデザイナーの仕事ではない』と言われたことも。結果、そんな言葉は当時も今も気にせず、デザインと仕組みはイコールなんです」

38exploreのクラフトマンスピリットは、建築の現場から生まれた。

根底にあるのが独立精神。自分のチカラを試したい、勝負したい
設計事務所、電気工事、大工の後、一念発起して独立する。今でこそフリーランスとして、インテリアデザイナーアウトドアプロダクトデザイナーの顔を持つミヤさんだが、当時は最初の独立なのでどうも上手くいかない。気を改めて2年後に店舗設計・施工の会社に就職する。このとき。ミヤさん29歳。さまざまな店舗のデザインを手がけ(中には誰もが知るほどの有名店も!)、会社の東京事務所設立とともに上京。そこから東京での暮らしが始まる。趣味の登山も再開した。

「当時仕事で出会ったのが木材加工会社ビッグベアーの大熊規文さん。今はヘキサテーブルで人気のTheArth 大熊さんです」と、アウトドア仲間との出会いはこのころからだった。

店舗設計・施工の会社を10年ほど勤めて再度独立。「組織に属することに興味が無くなった」「自己責任の世界で勝負したかった」「自分のブランドで自分の名前を残したい」「好きなことを仕事にしたい」。これまでのモノづくりスキルとこれら“今の気持ち”がクロスオーバーするところがアウトドアだったという。そんなミヤさん、小学校のときの“将来の夢”に「歴史年表に載りたい、名前を残したい」と書いていただけあって、幼いころから成功を夢描いていた。「悪いことで名前を残るのではなく、ですよ(笑)」ミヤさんはチャーミングに笑う。

経験やスキルアイディアが製品を生む
38exploreの人気作品「38パレット」は、カメラ三脚にテーブルをドッキングさせたもの。じつはこのアイディア、建築現場での立ちながら打ち合わせするときに、実際に使われていたものがベースにあるという。測量の現場ではつねに三脚があり、職人さんたちとの打ち合わせにはテーブルが必要。ならばと三脚に取り外しができるテーブルが非常に重宝するそう。

キャンプだとよく立ち話とかしますよね。建築現場と同じだ……そう思いました。ならばこんなテーブルがあったら便利なんじゃないかと」38パレットが生まれた背景には、ミヤさんの経験があった。それにミヤさんは建築の仕事時代からよく写真を撮る。現場写真から始めたカメラの腕はすでに熟練の域で、Instagramとも相性もバッチリ。経験、スキルアイディアのすべてがセルフプロデュースにつながった。そしてバズった。250人だけのフォロワーだったとき、「いいね」が500件以上も付いた。それからは他の人がリポストしてくれてフォロワーが一気に増え、気づけば1万人超え、今では1万5千人に近づきつつある。フォロワーが増える分だけ38exploreが知られるようになる。38パレットの注文も右肩上がりに増えていった。

「自分が良いと思うものに対して人も良いと思ってくれる。自分の好きなことに賛同してくれる」。勤め人時代は自分が良いと思うものが100%通ることがなく、どんなに良いものを作っても自分の名前が出ることはなかった。だが今は違う。「これまで仕事で反対や否定していた人たち、ホレミロ! と言いたい」ミヤさんはスッキリとした表情で答えてくれた。

「これからは定番となるものを作りたい」そのための情報交換やフィールドテストを欠かさない。ミヤさんのモノづくりはまだまだ続く。

text早坂英之

photo比留間保裕
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掲載:M-ON! Press