アイドルグループ・乃木坂46桜井玲香が今月8日、ブログで卒業を発表した。2011年、乃木坂46の1期生としてデビューした桜井は、キャプテンとしてグループを牽引してきた。乃木坂46での最後の活動は、夏の全国ツアーのファイナルとなる9月1日の東京・神宮球場でのコンサートとなる。

乃木坂46ではここへ来て西野七瀬などメンバーの卒業があいついでいるが、折しも、現在公開中のドキュメンタリー映画「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」では、桜井が仲間であるメンバーの卒業について、ようやく最近になって本人たちの決断として受け止められるようになったと語る場面があった。彼女が卒業を決めたのも、そうした仲間たちの姿を見ながら、考えた末でのことだったのだろう。

若手演出家・俳優による「半神」に夢の遊眠社の面影を見た
桜井玲香はここ1年ほど、グループを離れて単独で舞台に出演することが増えていた。昨年は、野田秀樹の代表作のひとつ「半神」、イギリス発の人気ミュージカルサスペンス「レベッカ」にあいついで出演、今年も、来月には乃木坂46の全国ツアーの合間を縫って、同じくイギリス発のサスペンスコメディ「THE BANK ROBBERY!〜ダイヤモンド強奪大作戦〜」でヒロインを演じ、さらにグループ卒業後の11月には帝国劇場でのミュージカル「ダンス・オブ・ヴァンパイア」への出演も決まっている。

私は、桜井の出演した舞台では、2015年に同じ乃木坂46生田絵梨花が主演したミュージカル「リボンの騎士」(手塚治虫の原作を現在のジェンダー観から大胆にアレンジしていたのが記憶に残る)と、昨夏の「半神」を観ている。

「半神」は、野田秀樹が萩尾望都の同名の短編マンガをもとに戯曲を萩尾と共同執筆し、1986年、当時野田が主宰していた「劇団夢の遊眠社」によって初演された。野田は演出を手がけるとともに、老数学者などの役で出演もしている。同作はその後もたびたび再演されてきた。

桜井が出演した公演は、新進気鋭の演出家である中屋敷法仁が演出し、キャストも中屋敷の主宰する劇団「柿食う客」のメンバーをはじめ若手が中心となった。桜井は藤間爽子(劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」所属)とのW主演で、それぞれ結合双生児の姉・シュラと妹・マリアに扮した。シュラが醜い容姿ながら高い知能を持つのに対し、マリアは誰にも愛される美しい容姿だが知能が低く、言葉も話せない。シュラはそんなマリアを憎みつつも、体がつながっているのでいつも行動をともにせざるをえなかった。桜井と藤間は、そんな姉妹の動きを息を合わせて見事にリンクさせながら、それぞれの役を演じていた。

姉妹の衣裳は、かつての野田秀樹の演出ではつながっており、中屋敷も当初それを踏襲しようとも思ったが、桜井と藤間の演技を見ていたら、二人がくっついていると信じられる瞬間がたくさんあったので、衣裳をつなげるなどのギミックはやめたという。中屋敷はまた、二人の役を日替わりで交代してやりたかったが、結局スケジュールの都合で断念したとも明かしている。桜井は、中屋敷と藤間との座談会でそれを知って、《意外とチェンジしたら今の役よりしっくりいくかもしれないね。相手の役についていろいろ感じているだろうから》と語っている(「半神」公演パンフレット)。もし同じキャストで再演の機会があるなら、二人が役を替えたバージョンもぜひ観てみたい。

「半神」は、姉妹の両親や家庭教師のほか、スフィンクスユニコーンなどといった化け物も登場して、複数の次元を行き来しながら壮大なスケールで展開する。野田秀樹お得意の言葉遊びも、ときに物語を動かす上で重要な鍵を握っていた。私は残念ながら夢の遊眠社には間に合わなかった世代だが、小規模の舞台を若い俳優たちが縦横無尽に駆け回り、世界観の広がりを表現するのを観ているうち、遊眠社の舞台もこんな感じだったのだろうかと、ふと思ったのだった。それまでにも野田の文章は、戯曲もエッセイもそれなりに読んできたつもりだが、彼の言葉はやはり舞台でこそ生きるのだということを(そんなことはファンには常識だろうが)、恥ずかしながらこのとき初めて実感できた。

舞台がアイドルのスキルアップと目される時代
さて、乃木坂46のメンバーで舞台で活躍しているのは桜井玲香だけではない。桜井と同じ1期生の生田絵梨花は、ミュージカル界のホープとして注目され、昨年出演した「モーツァルト!」などの演技に対し今春、菊田一夫演劇賞が贈られた。今年に入ってからも「ロミオジュリエット」で2年ぶりにジュリエットを演じ、8月には同じく2年ぶりとなる「レ・ミゼラブル」の公演を控える。また2期生の伊藤純奈もここ数年、舞台出演が目立つ。昨年には演劇をテーマにした手塚治虫のマンガの舞台化である「七色いんこ」で主演(男役)し、今月末から来月にかけて「オリエント急行殺人事件」にも出演する。

乃木坂46ではこのほかにも外部の舞台への出演経験を持つメンバーがおり、複数人での出演も多い。なかには前出の伊藤のほか、衛藤美彩(今年3月に卒業)、久保史緒里が主演し、ほかの役もすべて女性によってチェーホフの名作を上演した「三人姉妹」(2018年)のように、挑戦的な企画もあった。乃木坂メンバーが出演してきた舞台は、ストレートプレイにミュージカル、その内容も古典から2.5次元まで幅広い。これほどまでに同グループが積極的に演劇にかかわるのは一体なぜなのか? その前提として、以前よりアイドルが舞台に出演することが珍しくなくなっていたという状況がある。

アイドルが小劇場の舞台に出演した先駆けとしては、1981年に元キャンディーズの伊藤蘭が夢の遊眠社の公演に客演したケースがあり、同劇団が広く知られるきっかけにもなった。だが、これは当時としては異例中の異例だった。「第三舞台」「劇団☆新感線」で数々の公演をプロデュースしてきた細川展裕によれば、80年代にはまだ俳優のあいだでは《売れている人はテレビ。/こだわっている人は映画。/売れてない人は演劇》といったヒエラルキーがあったという(細川展裕『演劇プロデューサーという仕事』小学館)。そうした状況が変わっていくのは90年代以降のことだ。

90年代後半から2000年代に入るころには、パルコ劇場、セゾン劇場(のちのル テアトル銀座)、Bunkamura・シアターコクーンなどの舞台に、テレビや映画でもおなじみの俳優たちが立つようになった。細川はこれについて一概な分析や評論を退けながらも、その理由の一つとして「生の芝居が俳優をスキルアップさせると考えるようになった」をあげている(前掲書)。このことはアイドルの舞台進出の大きな理由になっているように思う。事実、アイドル出身の俳優には、舞台経験を経て演技に開眼した者も少なくない。そこできわめて大きな役割を果たした劇作家・演出家の一人が、つかこうへいである。

70年代に小劇場界にブームを巻き起こしたつかは1982年にいったん演劇活動を休止するも、平成に入って劇界に復帰し、公演でアイドルを含む若手を積極的に起用する。そこから阿部寛、石田ひかり草なぎ剛、内田有紀、広末涼子、石原さとみなどが俳優として育っていった。つかが2010年に亡くなったあとも、彼の薫陶を受けた演出家・プロデューサーの岡村俊一がつか作品を再演するたび、松井玲奈(元SKE48)、北原里英(元NGT48)、今泉祐唯(元欅坂46)などグループを卒業したばかりのアイドルを起用している。

坂道シリーズと演劇の親和性
秋元康が総合プロデューサーとして2005年に、AKB48の結成とともに秋葉原に劇場を設け、毎日公演を始めたのも、もともとは彼が高校生だった70年代つかこうへいの芝居を観て感激した体験が原点にあるという。ただし、AKB48は劇場で芝居を上演するわけではなかった。

これに対し、「AKB48の公式ライバル」として2011年に結成された乃木坂46は、その翌年から「16人のプリンシパル」と題して、観客が第1幕での演技を観て、投票で第2幕の出演者を決めるという企画を行なうなど、当初より積極的に演劇を活動に採り入れてきた。メンバーが外部の舞台に出演する下地もここから培われたといえる。

乃木坂46は現在、その後結成された欅坂46日向坂46とあわせて「坂道シリーズ」というグループを形成している。このうち乃木坂に次いで舞台に積極的に挑戦しているのが日向坂46だ。まだけやき坂46というグループ名だった昨年には、柴幸男作の「あゆみ」、人気スマホゲームの舞台化である「マギアレコード 魔法少女まどかマギカ外伝(「・」は正しくは星印)」とあいついで舞台を踏んでいる。初舞台となった「あゆみ」は、2008年に柴幸男が主宰する劇団「ままごと」によって初演され、その後も再演を重ねている作品だ。一人の平凡な女性の一生を描く同作では、演じ手たちが女性のほか家族や友人など彼女を取り巻く人々(なかには飼い犬も含まれる)を交代で演じながら劇を進行していく。そのスタイルは、曲ごとにセンターをはじめ歌うポジションが変わっていくアイドルグループと相似形を成しているようでもあり、けやき坂の舞台初挑戦にふさわしい演目だった。

他方、欅坂46と舞台のかかわりは、いまのところ「ザンビ」という坂道シリーズ合同のプロジェクトの一環となる舞台にメンバーが出演しているぐらいである。ただ、欅坂の場合、一曲ごとに物語があり、ダンスもそれに合わせて振り付けられ、メンバーのフォーメンションも曲中に次々と変わるという具合に、パフォーマンスそのものが演劇的といえる。同グループの絶対センターともいうべき平手友理奈は、映画「響-HIBIKI-」での憑依型の演技も印象深いだけに、演劇にもぜひ挑戦してほしいところである。

再び、乃木坂46桜井玲香が出演した「半神」に話を戻せば、同公演では舞台上に、ボルダリングの壁を思わせるようなでっぱりのついた背景(奥に向かって傾斜している)とあわせ、床が斜面になったセットが設けられた。その壁を登るのが大変なのはもちろんだが、床に立っているだけでも体にかなりの負担がかかる。こうした床のセットを演劇の世界では「開帳板(開帳場)」と呼ぶ。開帳板は山や坂道の場面などで使われるものだが、この「半神」では、さほど広くない舞台を奥行きがあるように見せるうえでも効果を発揮していた。

往年の夢の遊眠社の舞台でも、開帳板がよく使われた。「半神」の初演当時、野田秀樹は対談で《開帳板いいですよ。役者がきれいに見える。ふくらはぎが、ハイヒールの原理と同じで、キュッとしまる》と語っている(萩尾望都・野田秀樹『戯曲 半神』小学館)。開帳板で役者がきれいに見えるのは、ようするに斜面から滑り落ちないように足腰に力を入れているからだ。

この野田の発言から、私はふと、坂道を表すのにも使われる開帳板が、乃木坂46の隠喩のようにも思えてきた。彼女たちが華麗に見えるのは、舞台俳優が開帳板の上でグッと足を踏めるように、人の目につかないところでひそかに努力を続けているからではないか……と、そんなことを考えたのである。

現実の坂道には、歩いているうちに風景が変わっていくなど、平地よりもどこかドラマチックなところがある。そう考えると、坂道シリーズの各グループは、名前に「坂」と名づけられたときから、演劇的となるべき宿命を背負わされていたのかもしれない。(近藤正高)

一昨年に刊行された桜井玲香のファースト写真集『自由ということ』。桜井はこの夏は、キャプテンを務める乃木坂46で各地でコンサートを行なうとともに、個人でも舞台出演を控える