【インタビュー②】2016年に2度目の渡欧 自ら「失敗」と表現した苦悩の日々とは?

 ガンバ大阪にあの男が帰ってきた。6月24日ドイツ1部アウクスブルクからFW宇佐美貴史が完全移籍で加入すると発表された。3年ぶりの古巣復帰で、7月20日にアウェーで行われる第20節・名古屋グランパス戦からの出場となる。ドイツでの戦いを終え、日本に帰国した宇佐美は今、何を思うのか。発表から間もない頃、大阪府吹田市の万博練習場で汗を流す宇佐美を直撃。全4回で宇佐美が思い描く現在、過去、未来をお届けする。第2回は「ドイツでの“失敗”」について――。

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 2度目のドイツ挑戦を終え、G大阪へ復帰した宇佐美は、発表翌日の6月25日に会見へ臨んだ。「2度目も個人的にはダメだったという印象が、清々しいくらい自分の中にあった」。2016年にドイツ1部アウクスブルクへ完全移籍し、17年夏に当時2部だったデュッセルドルフへ期限付き移籍。昇格に貢献し、デュッセルドルフ2年目となる18-19シーズンに臨んだが、勝負の1年はブンデスリーガ19試合1得点と不本意なものに終わった。宇佐美は3年にわたる2度目の挑戦を、「清々しいくらいダメ」と表現した。

「成功だけを続けられる人がベストやとは思う。ずっと階段を上り続けられる人。でも、そういう人ばかりじゃないし、若くから注目してもらって、若い時には強気な発言とかもしたけど、自分のなかで揺るぎない自信がずっとあったわけじゃない。キャリアのなかで、成功して階段を上ってまた落ちて、を繰り返すことができる幸せ。そういうのを噛み締めないと」

 京都府長岡京市に生まれ、長岡京SSに所属していた小学生時代から「天才少年」ともてはやされた。中学でG大阪ジュニアユースへ入り、ユース、トップへも飛び級で昇格。高校2年生でプロデビューし、「至宝」として育てられた。一気に駆け上がった階段だったが、19歳で決断したドイツの強豪バイエルン・ミュンヘンへの移籍から徐々にそのスピードは落ちてきた。欧州での壁は高く、13年夏に当時J2だったG大阪へ復帰。シーズン残り半分を18試合19得点で駆け抜けてJ1昇格に貢献し、翌14年には三冠を獲得した。15年は19ゴールで得点ランク3位、16年夏に再びドイツへ旅立った。上がっては落ちて、落ちては上がって……。10代の頃から何度も繰り返し、「失敗」するたびに明るい道を探ってきた。

再びぶつかった“壁”で求めたのは「爽快感」

「失敗して戻ってきたからと言って、『爽快感』を忘れたらあかんと思う。俺、逆に上手くいってる時こそ、慎重に、むしろちょっとネガティブに『俺、大丈夫か? このままいって』という感じになる。失敗した時、落ち込んだ時は上がるきっかけになる。失敗してネガティブになったら『失敗の意味』がなくなるから。その悔しさを欧州で晴らすことが理想形やとは思う。でも、自分は帰ってくることを決断して、次の成功をガンバで落とし込む。あのドイツ(アウクスブルク、デュッセルドルフ)での経験があったから、『こういう表現ができている』というのをガンバでできれば。(復帰を)喜んでくれる人も、ものすごく多いやろし、与える影響も大きい。そういう意味で『清々しいくらいダメ』と言ったかな」

 では、なぜ2度目のドイツでつまずいたのか。アウクスブルクでは11試合無得点に終わり、17年夏に2部のデュッセルドルフへ渡った。冬にはチームに馴染み、右ウイングの主力として出場。4試合連続ゴールを記録するなど、28試合8得点で昇格に貢献した。だが、ロシアワールドカップを経て戻ったチームでは、宇佐美の“居場所”は見当たらなかった。1部に昇格し、また戦い方を変えていたからだ。

「(ボールを)持たれて、持たれて、追い回して、というサッカーのなかで自分を輝かせるところで、つまずいた感は否めない。2部の時はもうちょっとリーグのレベルが下がって、自分たちがボールを保持できた。どれだけ(相手に)持たれても40%は持てた。でも1部に上がって、引いて全員で守って堅守速攻。自分は裏に飛び出して、というよりも、(ボールを)触りながら……というタイプやから、ギャップは生まれていた。しっかり後ろでファイトして体張って、という順応はできても、(カウンターで相手DFの)背後一本をつける選手のスピード感(で勝負するの)は、最後の半年間、この土俵で戦うとキツイなと思った」

 もちろん、順応しようとした。ドイツへ渡ってから個人トレーナーと走り方の改革を行い、泥臭いプレースタイルを手に入れようと努力した。正しい走り方を身につけ、運動量増加を図った。昨年12月15日のフライブルク戦(2-0)では、走行距離11・28キロ、スプリント回数はチーム2位の40回。自分のプレースタイルとは程遠かったが、新たな自分を見つけることができた。それでも、葛藤から逃れることはできなかった。

「失敗」のなかから見つけ出したもの これまでとの“イメチェン

「自分はボールを触りながら、いろんなアイデアを作りながら、いろんな選手と関わりながらサッカーがしたいと思った。(今の)ガンバは70%保持されるという試合はあまりなかったし、だからそこに自分を落とし込むイメージはすんなりできた」

 運動量で勝負する、フィジカルで勝負する。今までの宇佐美貴史からはあまり想像ができなかったかもしれない。だからこそ、確かに“失敗”したことで意味があった。

「向こうで得た守備面は残しながら、もっと攻撃的なイメージ。何も考えていなくても、どんどん(アイデアが)湧き出てくるようなタイプやから。得たことは残して、攻撃に関わっていけば、だいぶ力になれると思う」

 その意味を体現する舞台は自ら選んだ。

 あのドイツでの経験があったから――。宇佐美はどんな過去でも決して無駄にせず、現実を知り、未来へと突き進んでいく。(Football ZONE web編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

3年ぶりの古巣復帰が発表されたFW宇佐美貴史【写真:Getty Images】