7月19日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)に、歌手の三浦祐太朗が登場。三浦友和と山口百恵を両親に持つ三浦が、家族のエピソードや歌手活動など自身の半生を語る中で、三浦のある告白に中居正広が衝撃を受ける一幕があった。
「金スマSP気になる男」として登場した三浦。父が俳優の三浦友和、昭和を代表する歌手だった山口百恵を母に持つ三浦は、幼少期からマスコミに追われる経験をしてきた。
両親はマスコミから子どもを守るために、都心から離れた場所への引っ越しを決めたり、母・百恵は自動車の運転免許を取得したりと、子どもにストレスをかけないよう守ってくれたという。
三浦の音楽活動は、中学時代、友人に誘われてバンドを結成したことが始まり。文化祭で初ステージを踏んで以降、高校進学後もバンド活動を続け、大学に入ってからも音楽への情熱は冷めなかった。
三浦はバンド活動をするに当たって、両親の名前を伏せて活動を続け、音源をレコード会社に送るなど売り込みをしていたことを明かした。
大学3年生のある日、将来について父から聞かれた際、音楽の道を進むことを伝えた三浦。「そんな甘い世界じゃないけど、頑張れよって言ってくれて」と一言言われただけで、以降はノータッチ。母も同様に、頑張ってね、やりたいようにやりなさいと言われたという。
2008年に「Peaky SALT」としてメジャーデビュー。CMタイアップ曲が決まるなど、順調に進んでいたように見えたが、両親の存在が関係者にバレてしまい、音楽とは関係のない取り上げられ方をされたことなどが影響し、バンドは2年で活動休止。
一人で活動を続けること2年。松山千春の舞台のオーディションで本人役を射止めてソロデビュー。ショッピングモールで、無料ライブを計300回以上続けた。
2015年3月には、中居が司会を務める音楽特番で、山口百恵の楽曲をテレビ初披露。この出演をきっかけに、レコード会社から母・百恵のカバーアルバムのオファーがきたとか。
「めちゃくちゃ迷いました。仕事に関して初めて自分で決められなかったというか、当時の母のファンの方たちに失礼に当たらないかとか、息子である自分がいまそれをやっていいのかとか、本当にいろんな意見があるだろうなと思って怖かったですね」と明かした。
悩んだ末、母に初めて相談をした三浦。「どう思う?って聞いて、『私が生きているうちに、カバーアルバムが出て、しかもそのカバーアルバムが息子の声で聴けるっていうのはすごくうれしいことだよ』って言ってくれて」と、背中を押してくれたという。中居は「最高だね、こんな返事してくれる(なんて)」とコメント。
両親の息子であることが誇らしいと三浦。「この言い方が正しいか分からないですけど、僕は本当に両親のファンなんですよ。ファンなんでカバーをできて喜んでくれる人がいて、すごく自分の中ではありがたいこと」と心境を明かした。
スタッフからどこがファンかを聞かれると、「かっこよくないですか。(芸能界を)スパっと辞めて二人の息子を育ててくれたこと。人間としてカッコいいなと思います」とほほ笑んだ。
中居が「失礼な話ですが、夫婦げんかを見たことはありますか?」と聞くと、「これは言わないようにしてるんじゃなくて、本当に1回もない」「両親が仲悪そうなのって1回も見たことない」と告白。
また、「僕のCDとかをネットで頼めばいいのにわざわざCDショップ行って自分で買ってきてくれたりとか。なんなら僕送ってるんですよ、送ってるんですけど…それはうれしい」と明かしていた。
現在35歳という年齢を踏まえて、中居が「結婚とか考えるでしょ?」と聞くと、三浦は「この話、あれなんですけど…二次元ばっかり…」とアニメ好きを告白。
中居は「最後の最後に、何ぶっこんできてんだよ(笑)、今うまく(終わりに向けてまとめようと)なんかやってんじゃん。なんでその話出した、どうしたんだよ」とツッコミを入れた。
三浦は「ずっと僕が好きなのは『冴えない彼女の育てかた』の加藤恵っていうキャラクター」と紹介。中居は「あのー、知り合いで宮田っているのね、紹介してあげる」とKis-My-Ft2の宮田俊哉の名前を挙げると、「知ってます」と三浦。
「宮田さんとたまに飲みに行ってアニメ談議してます」と、すでに親友であることを遅ればせながら報告していた。
SNS上では「三浦さん素晴らしいですね」「カバーアルバムの件、百恵ちゃん嬉しかっただろう」などの反響が寄せられた。また、三浦本人も放送後に「ご覧いただきありがとうございました」とコメントを寄せていた。
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