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もくじ

戦後登場したアルピーヌ
アルピーヌA110の誕生
レースでも活躍
オンザレールのA310
実用性重視のGTA
英国ではルノーブランドで
荒々しいが上質
夢中になれるA310
オーナーたちの話

戦後登場したアルピーヌ

(本記事は2016年5月に発行されたクラシック&スポーツカー誌の再掲載です)

警官が「リア」を覗き、ターボチャージャー搭載の2.5ℓエンジンを見つけると、困惑した表情がさらに広がる。「これは何でしょうか?」手がかりを求めてノーズからテールまで検分した後、ついに訊ねてきた。バッジを見てもわからないらしい。筆者は、この謎のクーペがアルピーヌ・ルノーだと答えたものの、その警官は納得できないようだった。その情報を咀嚼するために間が空き、このクルマUFO、すなわち未確認フランス製物体に分類し終えた後、警官はようやくうなずいた。

オーナーであるアンドリュー・ジョーンズ氏が後で筆者に語ったところによれば、よくあることらしい。GTAは、1986年から1992年まで、英国で初めて販売されたアルピーヌ・ルノーであるが、右ハンドルモデルはわずか582台にとどまるため、英国の公道で目にするのは珍しい。英国における販売台数はわずかな台数にとどまったものの、ドーバー海峡の向こう岸におけるアルピーヌ・ルノーの40年以上にもわたる経歴は、長く、輝かしい。

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アルピーヌの物語は、1950年代初頭、ディエップから始まる。フランスにおける最年少のルノーディーラーであったジャン・レデレが4CVベースレースバージョンを数多く手がけ、ナビゲーターのルイ・ポンとともに複数のレースで印象的な勝利を飾り始めた。レデレは、1950年1951年のモンテカルロラリーで優勝しかけ、また1952年のミッレミリアでは、大差でクラス優勝し、1953年1954年も優勝を重ねた。

戦後のフランスが誇れるスポーツカーを生産したいという想いがレデレのアグレッシブな精神に芽生えた。フランス国内ではコーチビルダーの関心を引くことができなかったため、4CVをベースにしたクーペの製作を1952年ドイツのビルダーに委託した。スタイリングを手掛けたのはミケロッティだった。そのクルマこそが、最初のアルピーヌであるA106の生産へとつながり、次に、ドーフィンベースにしたA108を生み出した。A108の丸みを帯びた小型のベルリネッタモデル1961年に登場する。

アルピーヌA110の誕生

レデレとのその従兄弟ロジェール・プリュールが設計した丸い鋼管をバックボーンにしたシャシーを特徴とするベルリネッタは、スタイリングと実用性の両方の点で、アルピーヌの方向性をはっきりと示していた。膝の高さ分盛り上がったファーストバックのFRP製ボディを持ち、ゴルディーニのチューンしたエンジンをずんぐりしたリアに積んだA108は、1963年に4気筒エンジン搭載の決定版とも言えるA110に置き換えられた。

A110も、その先代と同様、カブリオレや2+2ドアクーペ、そしてベルリネッタなど、さまざまなボディで提供されたものの、青色のレーシングマシンの精神を受け継ぐというレデレの夢から、量産モデルでも、スポーツ性が大きく重視されたことは意外ではない。

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A110は、ボディの内側のメカニズムをドーフィンのものからR8のものに変更した。そえゆえ、足回りはフロントダブルウィッシュボーン・サスペンション、リアにはスイングアーム、全輪にディスクブレーキが採用された。エンジン180度回転させ、アルピーヌの盛り上がったリア・フードの中、R12ゴルディーニ・トランスミッションの後部に、R8用のノリの良い56psの956ccエンジンから、16TS譲りの1565ccエンジンを徹底してチューニングしたウェーバー製ツインキャブ版まで、驚くほど多彩な4気筒エンジンラインアップを搭載した。

ベルリネッタは、乾燥重量が545kg(1200ポンド)ということもあって、うらやましくなるようなパワーウェイトレシオを誇った。それが、A110の優れた動力性能を保証した。だが、意外かもしれないが、このクルマの最大の強みは、驚くべきコーナリング性能とトラクションにあった。

レースでも活躍

ネガティブ・キャンバーの角度を大きくしたことに加えてサスペンションのストローク幅を短くし、重心を限界まで下げたことで、非類のないコーナリング性能を誇った。ジョンボルスターがAutosport誌に寄稿した際には、トラクションがあまりにも際立っており、あらゆる合理的な説明を受けつけないとまで述べている。「リアがかなり外側に膨らむ場合もあるものの、それでも、リアエンジン搭載車特有の思いがけない制御不能なスリップにまで至ることは決してない」とボルスターは熱狂的に語った。だとすれば、スウイングアクスル・サスペンションの信頼性が極めて高かったと予測される。

A110レースにおいて印象的な成績を挙げ始め、1971年ラリー・モンテカルロの1位から3位までを独占することで、生産後8年間にわたる高評価を不動のものとし、さらに2年後にもこの快挙を再現したことは驚くには当たらない。小柄な青いクルマが横腹を見せながら雪の中を走る光景は、70年代初頭にル・マンを席巻したマトラと同様、フランスの象徴となった。そして、伝説が生まれた。

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アルピーヌは、その歴史的な勝利にあやかり、新型モデルA3101971年に急いでジュネーブモーターショーで発表した。開発作業は1968年から始まった。常に抜け目のないレデレは、工場の拡張による費用を埋め合わせるため、アルピーヌを利益率の高い高級車市場に移行させる決定を下した。A310は、およそA110を直接後継するモデルではなく、むしろA110を補完する位置づけであり、アルピーヌは、この両モデル1977年まで並行して販売した。

アルピーヌの伝統を受け継いだA310は、FRP製ボディとそれを支えるおなじみの鋼管バックボーンフレームを採用し、ポルシェ911と真っ向から競争した。A110に採用したのと同じR12のゴルディーニ・トランスアクスルの後ろに搭載したルノー17の4気筒エンジンを動力とした。ダブルウィッシュボーン式のリアサスペンションの設定を修正したことも、主な技術的改良点のひとつと言える。ベルリネッタの伝説的なコーナリング性能を損なうことなく改良を加えるため、リアエンドを改良したモデル1973年から、A110の生産が終了するまでの4年間販売された。

オンザレールのA310

A110との最大の違いは、マイケル・ベリゴンドがスタイリングを手掛けたボディであり、その攻撃的かつ鋭角的なラインは、A110の60年代的かつ官能的な曲線美を一目で時代遅れに見せるものだった。このクルマの開発期間中、エアロダイナミクスの専門家であるマルセル・ヒューバートが細部をブラッシュアップした。ガラスカバーの後ろにシビエ製6連ヘッドライトシトロエンSM風に埋め込んだ特徴的なノーズを採用したこともこれに含まれる。

A310は、ラリーのナイト・ステージを想定したような外見だったものの、レースにおいてA110ほどの成績を収めることはなかった。その最も顕著な戦績は、(1974年と76年に行われた)ツールコルサでの3位入賞、そして(1973年にアルピーヌの株式の55%を取得した)ルノーモデルとして1977年に獲得したフランスラリー選手権タイトルである。A310のこうした特性を考慮し、アルピーヌは、レース活動の焦点をル・マンに移した。

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メディアは、それまでと同様、A310ハンドリングを絶賛し、Motor誌は、A310のコーナリングは「まるで線路の上を走るようだ」と書いた。新型車がGTとしての位置づけを狙っていた点を考慮すると、荷室がないことが弱点であり、また、ルノー製の「4気筒」エンジンの性能がスーパーカー風の粋なスタイリングに見合わない点もやや不評であった。

エンジンの問題は、A310の発売から5年後、常にライバルを自認してきた911と互角に渡り合えるモデルがついに登場したことで解消された。1976年のパリサロンで発表され、4連ヘッドライトを備えたよりオーソドックスなフロントエンドと、いかついリアスポイラーを特徴とする上位版は、均整のとれたテールにオールアロイV6エンジンを搭載した。

実用性重視のGTA

シングルチョーク1基とダブルチョーク1基という珍しい組み合わせのソレックス・キャブレターから燃料が供給される2664cc PRVエンジンは、152psのパワーと、フレキシブルな22.5kg-mのトルクを生み出し、0-60マイル加速が7.2秒、最高速度が時速140マイルに達した。メカの信頼性を高めるため、R12のトランスミッションの代わりにR30の堅牢な4速トランスミッションを採用したものの、1980年からは5速トランスミッションも選べるようになった。

6気筒のA3101984年まで生産され、その後継車種が同年3月にジュネーブモーターショーで発表され、その2年後、アルピーヌとしては初めて英国で販売された。

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A310スタイリングも、A110と比べれば大きな前向きの飛躍であったものの、ここで取り上げる3台の内の第三世代であるGTAは、一世を風靡したファミリーハッチバックだった。取り外し可能なサブフレームに設置されたA310のV6を改良した2849ccエンジン162psを発揮した。また、R25から受け継いだ燃料噴射式203psの2458ccターボエンジン1984年秋にラインアップに加わった。

レーシングカーであるよりはロードカーであるGTAの設計要件にもとづいて、使い易さ、アクセシビリティスペース、快適性、安定性と操縦性の向上が要求された。誕生したクルマは、明らかにアルピーヌというよりも、ルノーだった。はるかに成熟度の高いコンセプトのもと、日常的に運転することを念頭に置いて設計がなされたことは明らかである。

英国ではルノーブランドで

ハイテク機能には、「PLIP」リモート集中ロック機構と電子ドアハンドルが含まれる一方、センターコンソールは、80年代に生産されたクルマを飾るものとしては間違いなく最も包括的なハイファイシステム、すなわち明らかロックバンドパワーバラードを聴くことを念頭に置いたグラフィカル・イコライザーのボタン群に占領されていた。確かにアルピーヌが、走行性能の代わりにオーディオ機能を重視しだした可能性はあったものの、決して走行性能を捨て切ったわけではなかった。

メディアは、改良点と優れたトラクションを取り上げ、GTAを絶賛した。AUTOCAR誌は、「ルノーは初めて、ポルシェに対抗する強力な武器を手に入れた」と書いた。しかしながら、英国市場は依然として懐疑的であり、英国版にルノーバッジを付けたことも、GTAの魅力を宣伝することには貢献しなかった。英国では、アルピーヌという名前をPSAが所有していたため、右ハンドルモデルは、当初、単純にルノーとして販売された。

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1990年に発売した攻撃的な「ル・マンモデルではフェイスリフトによりボディ幅を広げ、空力特性を向上させた一方、1992年にはTGAを大幅にモデルチェンジし、アルピーヌの名を冠した最後のモデルA610とした。84年に製造を開始したGTAの極めて競争力の高い後継車A610は、その3ℓV6エンジンにより、254psと時速165マイル最高速度を誇った。

今日、アンドリュー・ジョーンズ氏のGTAの運転席に乗り込むと、モトローラ携帯電話とモトクロスが流行した時代に帰っていく。80年代好きなら、ヤッピーの夢見たこの低めのレザーシートが気に入るに違いない。確かに、ダッシュボードスーパーサンクのものと変わらないぐらいプラスティッキーだが、それ以外、乗った者を落胆させるような欠点は一切ない。

荒々しいが上質

ノンパワーステアリングのフィーリングは素晴らしく、乗り心地は優しく、性能は劇的だ。初期のものに存在したターボラグが克服されたアルピーヌは、驚くべき速度で地平線に向かって疾走する一方、驚異的なグリップのおかげで、ベンドをものすごく容易に抜けることができる。

これは猛烈に速く、有能な2+2シーターであり、このクルマの良さを知った人の数が、当時、あまりにも少ないのはとても不公平だ。アルピーヌは、キザか? ペテン師だって! ポルシェを買うのも良いだろう。だが、この大陸横断特急のような素晴らしいスポーツカーを逃すことになる。

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洗練されたGTAに乗った後では、クリスピン・フォースター氏のA110は、騒々しく、荒々しいフーリガンだ。80年代の同じアルピーヌと並べると、さらに小柄だが、体格に似合わないパンチ力を備えている。急加速すると、ゴルディーニ「4気筒」エンジンはしわがれたうなり声をあげ、最初のコーナーに差しかかると、世間がアルピーヌにこれだけ騒いだ理由がわかるだろう。

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アクセルを床まで踏み込むと、A110はうなり声をあげ、ベンドを見事なペースで曲がり、アドレナリンによる信じられないような興奮に景色が非現実的にぼやけ、横を流れていく中にあっても、ステアリングは情報を驚くほど的確に伝えてくる。それは本当に驚異的でありながら、どこまでも上質な体験だ。曲がりくねった山道でこれほど感動的なクルマを他に想像することは難しい。

そのうえ、田舎のコーナリングを楽しむ気分でないのであれば、クルマを駐車し、絶妙な形状と非の打ち所のない細部を愛でれば良い。リアウイングの上部にクロームメッキのバーを取りつけた優美なインテークから華やかで実用的なダッシュボードまで、A110のあらゆるパーツが印象的だ。

夢中になれるA310

ただ、これだけ魅力的なクルマであっても、筆者は、A110で長距離を走りたいとまで思うかどうかには自信がない。しっかりとした乗り心地とぶっきらぼうなサウンドトラックは、おそらく少量ずつ摂取するのが最適であり、筆者は、あらゆる道をどうしてもラリーステージのように扱いたくなってしまい、反則点が増える危険性が高いと思う。そんなわけで、次はA310に試乗する。

A310は、GTAほど洗練されておらず、A110ほど荒削りでもなく、筆者の印象では、その両者の要素の完璧な妥協点を見出している。A310は、さらに小柄な姉妹車であるA110よりも後に配分されている車量が大きいため、ハンドリングでは、さらにリアが振られるものの、ステアリングは素晴らしく、性能は爽快さに溢れる。

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PRV V6エンジンは決して世界で最もうるさいエンジンではないものの、その運転経験は、全体として、最高度に中毒性がある。A310は、見かけ以上に速い。実際のところ、許せないほど速く、しかも、素晴らしく優雅だ。スポンジの効いたシートは、GTAのものよりもはるかに柔らかく、また、狭く、何とも70年代らしいキャビンも魅力的だ。

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また、奇妙なクラップ・ハンズ・ワイパーからフロアヒンジ式のペダル、そして好き嫌いが分かれるスタイリングにいたるまで、素晴らしい個性に溢れている。これは、あらゆる小型スーパーカーの手本だ。

遠い昔の1979年のことだが、筆者は、数週間分の小遣いをはたいてオブザーバー社の「自動車名鑑」を買った。その本で、初めてA310の存在を知り、当時6歳だった筆者の目はそのクルマにくぎ付けになった。今、その実物を運転していても、筆者は、やはり、この最高に謎めいたスポーツカーにどうしても夢中になってしまう。このクルマについて知る者は、ドーバー海峡のこちら側にはあまりいないものの、そんなことを気にする必要はない。A310は、本当に素晴らしいマシンだ。

オーナーたちの話

クリスピン・フォースター

飾り戸棚メーカーを経営するフォースターが、まともな個体を探すために5年間も費やした後、A110を購入して2年が経った。「フランスのジュラの路肩に停まっているA110を見て、このアルピーヌに惚れ込みました」とフォースター氏は語る。「A110を何台か見て回りましたが、どれもひどい状態でした。最後に、このクルマオランダで見つけた時、捜していたクルマだとすぐにわかりました。オーナーが大切にしていたことが一目でわかりました。

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ロンドンに住むフォースターは、週に何回かアルピーヌに乗り、また、ピレネーまで遠出したこともあるという:「最も忘れられないドライブは、わたしクルマを買った後、夜間の集中豪雨の中、クルマを持ち帰った時のことでした」彼は、次のように言い足した「このクルマレースに参加したことはまだありませんが、次のシーズンにはヒルクライムに持ち込む予定です」

ポール・フレイザー=セイジ

このアルピーヌの権威者は、アルピーヌに40年以上にもわたって関わり、1972年から78年まで数台のA110レースに出場していた。「1968年に4年落ちのR8を中古で手に入れたため、ゴルディーニ・エンジン搭載のR8でナイトラリーに参加しました」とフレイザー=セイジは振り返る。いろいろなことが雪だるま式に膨れ上がり、わたしは間もなく、スペシャリストとして開業しました」

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彼は、これまでにA110を8台、A310を7台、GTAを3台所有した。初代オーナーのためにブルーのV6のメンテナンスを行った後、その2代目オーナーになった。「88年1月のことですが、自分のA310を衝突させた友人が病院からかけてきた電話に出た後、わたしクルマロンドンからシュトゥットガルトまで飛ばしました。朝6時に出発し、10時間後に到着しました。クルマは完璧に走り、200km/hの巡航速度で走り続けました」

アンドリュー・ジョーンズ

アーチェリー選手のジョーンズは、ラリーシーンでA110を見た日からアルピーヌのファンになった。「わたしがこれまでに所有したことのあるGTAは3台です」と、氏は語る。「今のクルマを買って約7年になります。1台目は、およそ25年前に買いました。その頃、わたしは、自分の社用車であった、購入後12ヵ月のローバーを売却しようと考え、あるガレージに販売の代行を依頼しました。意外に聞こえるかもしれませんが、そこのセールスマンが、青のGTAと引き換えにローバーを下取ってくれたのです。わたしは、当初、そのクルマで1年かそこら楽しもうと思っていましたが、最終的にそのクルマにはまってしまい、手許に置き続けました」

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わたしは、GTAで休日にトラックレースに参加しただけでなく、ヒルクライムにも持ち込みました。最も遠出した時は、ロワール渓谷までツーリングに出かけ、多くのフランス人の注目を集めました。多くの対向車かすれ違う時にヘッドライトを点滅させていきました」


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