中国メディア・東方網は20日、中国人観光客が愛してやまない日本の人気観光都市・大阪について「どうして昔は『大坂』だったのに、今は『大阪』になったのだろうか」とする記事を掲載した。

 記事は、大阪について「古代には日本の首都だったこともある」としたうえで、古くは浪速または難波と呼ばれていたが、緩やかな坂が多かったことから「大坂」と称されるようになったと紹介。鎌倉時代から江戸時代にかけての武士の世の中では、大坂は重要な戦略拠点と考えられ、中でも豊臣秀吉が1583年に3万人を動員し3年の時間をかけて巨大要塞の大坂城を建設したこと、江戸時代に入ると商業の街として大いに栄えて発展したことを伝えている。

 そして、大政奉還により天皇に実権が戻った明治時代に入ると、大坂の名称は「大阪」と改められ、大阪城の敷地は陸軍の基地や兵器工場として用いられるようになったと紹介。また、明治に入って「大阪」となった理由として「坂」という文字の作りが「士族の反乱」を想起させるからであり、明治天皇によって改められたと説明した。

 記事が紹介した「士族の反乱」により明治新政府が大坂を大阪に改めたというのはあくまで所説あるうちの1つに過ぎず、実際のところはっきりとした理由は分かっていない。また、「大阪」の文字は江戸時代の文献中に見ることができるため、明治以前から多少なりとも使用されていたとの考え方が有力のようだ。

 それはともかく、外国人の中で「大坂」が「大阪」に変わったことを知り、興味を持つのは日本と同様漢字を日常的に用いる中国人ならではと言えそうだ。江戸時代から明治時代の間に漢字表記が変わった地名は大阪以外にもあり、「箱館」から変化した「函館」もその一つ。函館も大阪と同様中国人観光客には人気のスポットであることから、同じように「どうして漢字が変わったのか」関心を持つ人も少なくなさそうだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)

漢字を使う中国人らしい疑問「どうして大阪は『坂』から『阪』になったの?」