アイスランドからやってきたサスペンス映画『隣の影』を見て、あまりの身近さになんとも言えない気持ちになった。どこにでもあるご近所トラブル。最初は笑って観ていたものの、とんでもない顛末に浮かんだ笑顔が引きつってしまう。

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 日本でもヒットした『幸せなひとりぼっち』という映画がある。妻に先立たれ、孤立した老人が新しい隣人を受け入れることで、夢と希望を見出していく心温まる内容のドラマだが、監督のハンネス・ホルムに取材した際、「スウェーデンも日本と同じように謙虚さを大事にする国なので、孤立した老人が増えています。知らない人に対して、壁を立てやすいんです」と話していたことを思い出す。

「NO」と言わない日本人などと言われ、世界的には意見しない国の代表のように思われている私たちだが、外国人みんながみんな、言いたいことを言うわけではない。『幸せなひとりぼっち』で感じた予感を『隣の影』で確信した。主張を胸にしまって、最後は我慢しきれず大爆発するのは日本人だけじゃない。遠い国のように感じていた北欧の人々にシンパシーを抱かずにはいられない。

凄惨な「ご近所トラブル」

 マンション暮らしのアトリとアグネス夫婦はどこかの部屋から毎日のように聞こえてくる激しい喘ぎ声に悩まされていた。眠れず、昔の彼女の動画を見ていたアトリはその姿を妻に咎められ、浮気と勘違いされて三下り半。家から追い出されてしまう。

 取り付く島もなく、妻から接近禁止を言い渡され、娘にも会えない状態に。思い余って、幼稚園から娘を連れ出すと誘拐騒ぎになってしまう。

 修復しようとすればするほど、ほつれていく関係。誤解が雪だるま式に膨らんでいく転落劇。けれど、アトリの不幸はまだ始まったばかりだった。

 彼の実家である閑静な住宅地にある一軒家はもっと凄惨なご近所トラブルに巻き込まれていく。

木の陰、飼い犬、車のパンク

 ことの発端は、隣家のポーチにアトリの実家の大きな木が影を落としていることが要因だった。「嫁がポーチで日光浴するのに、木が陰になってしまうので、切ってくれませんか」「じゃあ、剪定します」。隣家の男性とアトリの父とのやりとりは当初、単純なものだった。

 ところが、その木はアトリの母にとって、大切なもの。「陰になっていないところもあるのに、なぜ陰になっているところでわざわざ日光浴をするのか」。もともと隣家に嫁いできた、健康づくりに余念のない、意識高い系中年女性が気に食わなかった母は怒り心頭だ。

「以前はそんなことを言わなかったのに、あの嫁が来てからというもの、いい格好がしたいばかりに!」

 日中、さほど家にいない男性なら気にならないことでも、専業主婦なら気づくこともあるだろう。

 今度は母親が隣家にクレームをつける。「隣の犬がいつもうちの庭を我が物顔で通るせいで猫が怯えてる!」。

 憤慨した母親はこれまでは黙って始末していた犬の糞を件の女性に投げつける。その翌日、なぜか家の車がパンクしていた。これは隣家の仕業に違いない。防犯カメラを付けて戦闘態勢だ。

 一軒家の住人にとって、ご近所の犬猫の糞尿トラブルは大きな悩みの種。気取った隣家の女性に糞を投げつけるシーンは思わずスカッとしてしまう。それにしても狭い住宅事情の日本ならともかく、北欧の豪邸のような巨大な敷地でも、お隣さんでもめるなんて。なんだか救われるような、救われないような。

 漏れ聞こえる声や気配からなんとなく感じる隣の様子。でも真相まではわからない。アトリの家は母親がアルコール依存気味で、毒舌ばかりはいている。口を開けば悪口。隣家は彼女を嫌悪するが、実はアトリの兄が自殺していた。母にとって、木は幸せだった頃の思い出のものなのだ。一方、隣家の中年夫婦は結婚したばかりだが、子供がなかなかできない。母親が「若作り」と見下している女性は妊活中なのだ。お互いに事情を抱えている二組の家。心を酌み合い、助け合うこともできたはずなのに、どちらも歩み寄ろうとしない。憎しみは募る一方だ。

 やがて愛猫がいなくなったことから、母の心のバランスが一気に崩れ、彼女のとった衝撃の行動が予期せぬ事態を引き起こす――。

「やり過ごせる不満」があるくらいがちょうどいい

 他人事ではない。隣人のことなんて、よく知らないし、知りたくもない世の中だ。遠い記憶だが、幼い頃に一度だけ、母に言われ、隣の家に醤油を借りに行ったことがある。コンビニがあるいまでは考えられないが、昔は日常的なことだったろう。いつからこんな殺伐とした環境になったのか。

 騒音を恐れ、近所に保育園を作ることを反対した老人が世間から糾弾され、体調を崩したそうである。以前、マスコミで取り上げられた騒音おばさんは、実は相手に嫌がらせを受けていた被害者だったという説、いやその前がある、などと都市伝説のようになっている。後を絶たないご近所トラブルは「どちらが悪い、どちらが始めた」などとは、決められないものなのだろう。

 対処法は口をつぐむことぐらいか。親切がおせっかいになり、相手にプレッシャーを与えることにもなる時代。木の影になるくらいで権利を要求しなかったら、毎日、不平を言いながらも、なんだかんだとやり過ごして暮らしていただろう。もはやご近所に不平があるくらいがちょうどいい幸せ具合なのだと思うしかない。

『隣の影』

監督・脚本:ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン

撮影:モニカ・レンチェフスカ

編集:クリスティアン・ロズムフィヨルド

音楽:ダニエル・ビヤルナソン


出演:ステイソウル・フロアル・ステイソウルソン、エッダ・ビヨルグヴィンズドッテル、シグルヅール・シーグルヨンソン、ラウラ・ヨハナ・ヨンズドッテル

2017年/アイスランドデンマークポーランド・独/アイスランド語/カラー/89分/DCP

原題/Undir Trénu  英題/Under The Tree

配給:ブロードウェイ

7月27日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

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