スパイ映画としても出色の出来でありながら、現代韓国を代表するおっさんたちの演技力も堪能できる……。『工作 黒金星と呼ばれた男』は、見どころ盛りだくさんの緊張感に満ちた一本である。

時は90年代北朝鮮の最上部に食い込んだ対北工作員がいた!
90年代前半、朝鮮半島北朝鮮の核開発で揺れていた。すでに核兵器の製造に成功しているという説もあり、韓国の情報機関である国家安全企画部は核開発施設の情報を喉から手が出るほど欲しがっていたのである。そこで白羽の矢が立ったのが、陸軍のパク・ソギョン少佐。安全企画部のチェ室長にスカウトされたパクは、手始めに北朝鮮スパイに扮して韓国国内の科学者を罠にはめ、朝鮮族で北朝鮮の各施設に出入りしている科学者を拘束。安全企画部は学者の話から、北朝鮮の核開発施設の情報を得る。

次なるターゲットはその核開発施設の詳細である。できれば鮮明な写真がほしいため、パクには「黒金星(ブラック・フィーナス)」というコードネームと、北朝鮮の最重要施設へと潜入する任務が与えられる。「軍を離脱し、借金してまで事業資金を作った実業家」というカバーストーリーを与えられたパクは、北京で北朝鮮対外経済委員会のリ・ミョンウン所長に接近。北朝鮮に産まれながら資本主義を学び、外貨獲得の専門家であるリ所長は、軍人でもないのに金正日に直接会うことができるという高官だ。

1995年。中国へ韓国向けの商品を買い付けに来た体裁でリ所長に接近したパクは、急遽資金を必要とする事態に陥ったリ所長から取引を持ちかけられる。金持ちの実業家として北朝鮮にマークされていたパクは信頼を得るために韓国の情報を要求され、また様々な情報で北朝鮮からテストを受ける。果たしてパクはリ所長の懐に入り込み、核開発施設の詳細を探りだすことができるのか。スパイとして本格的に活動を始めたパクだったが、韓国国内の政治状況の変化が思わぬ影響を引き起こし始める。

「黒金星」は実際に90年代の韓国情報部に在籍したスパイであり、史上最も成功した対北工作員として名高い人物である。どのくらい成功したのかというのは映画本編でも語られるのだが、「えっ、マジでそのレベルまで到達できたの……」と絶句するほどの堂々たる実績を残している。『工作』はこの人の実話を基にしたフィクションということで、とても生々しい一本に仕上がっている。

安全企画部のやることはとにかくえげつない。核開発関連の学者1人を釣り上げるために自国のスパイ北朝鮮工作員に仕立て上げて騙し、偽の学会を開いて釣り上げる。北朝鮮の対外経済委員会の資金をショートさせるために韓国に輸入されていた北朝鮮産の食品の産地偽装をわざとバラし、韓国国内に混乱を引き起こす。北朝鮮側も信頼に足る実業家かをテストするために偽の骨董品を処分させて現金の調達能力を見極め、必要とあれば自白剤を投与しての尋問も軽くやってのける。「そこまでやるの!?」という、えげつない諜報戦の世界を堪能できる。

スパイ同士の攻防戦に派手さはない。しかし、おっさん同士が面を付き合わせ、脂汗がタラタラと垂れるようなじっとりねっとりしたバトルは緊張感抜群。黒金星ことパクが危険な仕事をしているのは当たり前だが、パクを取引に引き込んだ北朝鮮側のリ所長も下手を打って金正日の機嫌を損ねたら即死である。スパイ北朝鮮政府高官はいつしか呉越同舟の運命共同体となり、その果てに奇妙な友情めいたものすら生まれ始める。しかし2人は敵同士であり、それを知っているのはスパイであるパクの方だけなのだ。意地と謀略と欺瞞にまみれた諜報の世界に身をおく、おっさん同士の切ないすれ違い……! 身悶えするほど、いい……!

地味な場面ばっかりの長丁場を盛り上げる、役者陣のえげつない演技力
ヒリヒリするような緊張感と脂汗まみれな熱気に満ちた『工作』だが、実のところ派手な場面は全然ない。パクがやっていることといえばコート姿で北京を歩き回り、携帯で電話してばっかり。リ所長にしても見た目は地味なおっさんである。銃撃戦も殴り合いもカーチェイスベッドシーンもなし。ひたすら密室でのじっとりとした会話劇が続き、スパイっぽい小道具といえば盗聴用のレコーダーくらいである。

『工作』はそういう地味〜な映画なので、役者のパワーが物をいう。そういう意味では主役を演じたファン・ジョンミンの底力をまざまざと見せつけられた感がある。なんせパクの役はスパイ。それも「本当は安全企画部に所属している軍人なんだけど、カバーストーリーは金にがめつい軽薄な実業家なので、その役を演じているスパイ」という役である。演技をしている人を演じるという、入れ子構造のような役なのだ。

ファン・ジョンミンはその難しい役を完璧に演じている。普段は全く声を荒げることのない実直で冷静な工作員であり、いざ実業家としての演技が必要になればヘラヘラしたりいきなり激昂したりとテンションが乱高下し、ハードな交渉の後で1人になれば完全に無表情になる。胃が痛くなるような場面の連打の中でそんな演技を見させられるので、ある場面でパクが激怒した時にはおれも「そうだ! お偉方はみんな……みんな現場のことをわかっていないんだ!!」と一緒になって怒ってしまった。ファン・ジョンミン、恐ろしい役者である。

リ所長を演じたイ・ソンミンもすばらしい。ねっとりとした能面のような顔で腹が全く読めず、自分に接近して来たパクをじ〜っと睨めつける視線はどこまでも怖い。しかし物腰はあくまで柔らかく、実は祖国の問題に胸を痛める知識階級であり、そして徐々に気骨のあるところを見せていくという、複雑な役を見事にモノにしていた。というか、リ所長って最初あんな奴だと思わなかったですよおれは! 単純な北朝鮮お偉いさんかと思ったらさにあらず、男の中の男としてギリギリのところで仁義を通す姿には、おれの涙も思わずポロリとこぼれるのである。

役者陣は全員この感じで、ある者は調子に乗り、ある者は権力にすり寄り、ある者は祖国の将来を憂い……という姿を存分に堪能させてくれた。なんせ役者が見所の8割みたいな映画なので、演技だけでしっかり緊張感をキープできるキャスティングはまさに大手柄。長い映画ながら、ギトギトした雰囲気が良すぎて大喜びで見てしまった。

というわけで『工作』は、スパイ映画としても極上、いろんな顔のおっさんを見るために行っても大満足、諜報の世界に身をおく者同士の感情のぶつかり合いに思わず涙……といった具合で、どこを切り取っても濃厚な味わいの一本だ。暑い季節に、さらに息苦しくねっとりした熱気に触れてみたい……そんな人におすすめの傑作である。
しげる

【作品データ】
「工作 黒金星と呼ばれた男」公式サイト
監督 ユン・ジョンビン
出演 ファン・ジョンミン イ・ソンミン チョ・ジヌン チュ・ジフン ほか
7月19日より全国順次ロードショー

STORY
90年代、核開発を本格化させた北朝鮮工作員を潜入させるべく、韓国国家安全企画部は1人のスパイを選抜する。「黒金星」というコードネームで呼ばれた彼は、北京に駐在する北朝鮮の対外機関を経由して、北朝鮮国内への潜入を試みる