先週は参院選の特番で放送休止だった大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」。2週前の7月14日放送の第27話は、鯛焼きをめぐる古今亭志ん生ビートたけし森山未來)のエピソードから始まった。

出産祝いに尾頭付きの鯛ならぬ鯛焼き
長女の美津子、次女の喜美子に続き、長男の清(のちの落語家金原亭馬生)が生まれたとき、産婆に支払うカネがなく、生まれたものをまた元に戻してもらうわけにもいかないからと、鯛焼きをご祝儀代わりにごちそうしたという話である。これは志ん生が自伝『びんぼう自慢』などでも語っていて、ファンにはよく知られたエピソードだが、こうして映像にすると、なかなかに悲壮感が漂う。加えてドラマでは、産婆さん鯛焼きを食べようとしたところ、幼い娘たちと妻のおりん(夏帆)の腹が鳴って、みんなに分けて食べざるをえないという演出で、せつなさが増していた。そもそも志ん生=美濃部孝蔵森山未來)がこれほどまでに貧窮した生活を送っていたのは、新たに柳家三語楼(廣川三憲)の弟子となり、柳家東三楼の名で寄席に出ていたのに、師匠の羽織と着物を曲げて(質屋に入れて)遊んでいたのがバレ、破門されたからだ。

孝蔵は、どうにか家にカネを入れるよう、おりんから尻を叩かれて納豆売りを始めるが、噺家のくせに表で売り声を上げながら歩くことができず、すぐに投げ出してしまう。おかげで売れ残った納豆は、毎日、美濃部家の食卓に供されることになり、孝蔵はおりん逆ギレ。怒ったおりんは、自分が納豆を売って来ると家を出ていく。妻がいなくなったところで、孝蔵は幼い娘たちに向かって「ミッちゃん、キミちゃん、こんな甲斐性なしの飲んだくれを世話してくれるのは、三千世界広しと言えども、母ちゃんしかいないんだよ。うん。本当だよ、器量だって悪かないんだから」と本心ではおりんに感謝していることを打ち明けるのだが、戸口に目をやれば、おりんはまだ出かけていなかった。「まだいたのかい!?」ときまり悪そうな孝蔵に、おりんは「私は、寄席へ出てほしいんですよ。高座に上がってほしいんですよ。それだけなんです」と涙ながらに訴えるのだった。酒飲みが、妻への感謝を独りごちたところ、出かけたはずの本人がまだいた、というのは今回のサブタイトルにもなった落語「替り目」のサゲそのままである。

第27話では、ドラマの前後半の主人公である金栗四三(中村勘九郎)と田畑政治(阿部サダヲ)が、初めてまともに言葉を交わし、金栗から田畑へのバトンタッチを思わせる場面も用意され、まさに「替り目」と呼ぶにふさわしい展開となった。

兄の死により人生の岐路に立つ四三
今回面白かったのは、四三と田畑の体験がどこかシンクロしていたことだ。一つ目のシンクロは、「兄の死」である。田畑は前回、実家である浜松の造り酒屋を継いでいた兄が死んで帰郷したところ、母(根岸季衣)から家は弟が継ぐと告げられる。それは、少年時代に病気で死にかけた田畑には、好きなように生きてもらおうという母の心遣いであった。

これに対して四三を、早くに死んだ父親代わりとなって東京の学校に行かせ、ストックホルムオリンピック出場に際しては旅費を捻出するため奔走するなど、常に弟を支え続けたのが兄の実次(中村獅童)であった。その実次がある日、ひょっこり四三の東京の下宿先である播磨屋に現れる。彼が上京したのは、オリンピック遠征費を工面して届けに来たとき以来、16年ぶりのことであった。今回は9歳になる四三の長男・正明(久野倫太郎)も連れての上京となる。正明はしばらく見ないうちに少年時代の四三そっくりになっていた(少年時代の四三を演じた子役が演じているのだから当然だが)。

このとき、実次は四三と久々に東京見物に繰り出し、しばらく日本橋のたもとで話していたところ、見計らったように弟に「そろそろ熊本に帰ってこんね」と切り出した。今回の上京の目的はそれだったのだ。

兄が熊本に戻ってからも、答えを出せずにいた四三だが、ある朝、いつものように冷水浴をしていると、兄の危篤を知らせる電報が届く。急いで帰郷したときには、兄はすでに息を引き取っていた。父が死んだときと同じだ(あのときは四三が医者を呼びに行っているあいだに亡くなった)。母のシエ(宮崎美子)によれば、実次は「四三のこつばいつも心配しとったよ」。先日、東京から帰って来たときも「もう心配なか! 嘉納先生に会うて、四三がお世話になりましたってきっちり御礼ば言うてきたけん。もういつ熊本に戻してもかまわん」と笑いながら家族に語っていたという。それを聞いた四三は、苦笑しながら「兄上が嘉納先生と会うはずがなか。そぎゃんウソついてまで、おる(俺)ば熊本に……」と、終始自分のことを考えてくれていた兄に思いをはせる。

そこへ義母の幾江(大竹しのぶ)が嫁のスヤ(綾瀬はるか)に連れられて現れた。四三が来ているのにわざと知らないふりをしてか、「弟はへらへらして家に寄りつかんけんね」と嫌味を言う幾江だが、足が弱り、めっきり老け込んでいた。幾江がシエに、同じく息子に先立たれた母親として同情すると、シエは四三に「四三、あんたは長生きして親孝行せんばいかんばい」と言う。そうだ、四三は金栗家から地元の庄屋である池部家に婿入りして、幾江の養子となった身なのだ。この縁組みも実次が画策したものだった。四三は弟思いだった兄を回想しながら、「そろそろ潮時ばい」と決意を固める。

占いを覆して30過ぎても生きながらえた田畑
四三と田畑の二つ目のシンクロは、他人がふと口にしたことをいったんは聞き流すも、すぐに大事なことに気づいて訊き返したことだ。田畑の場合は、水連の主要メンバーである松澤一鶴(皆川猿時)・高石勝男(斎藤工)・鶴田義行(大東駿介)・野田一雄(三浦貴大)とともにラジオの「水上座談会」に出席した際、進行役のアナウンサー・河西三省(トータス松本)がふと「私も田畑さんと同じ32歳で」と言ったのに、一瞬間を置いてからハッとなって訊き返した。それというのも、前回描かれたように、田畑は4年前の1926年暮れ(昭和改元の日だった)、日本橋の「Barローズ」のママ・マリー(薬師丸ひろ子)に占ってもらったところ、30歳で死ぬと言われていたからだ。短命の家系ということもあり、そのことをしばらく気に病んでいた田畑だが、1928年のアムステルダムオリンピックのあと、次のロサンゼルスオリンピックに向けて、世界標準の競技用プールの建設や、オリンピックの前哨戦として強豪アメリカチームを招いての日米対抗戦の開催などの計画を立て、実行すべく奔走するうち、自分の年齢を数えることすら忘れてしまう。

それが河西の一言で、自分がいつのまにか30歳を超えていたことに気づいた田畑は、すぐさまローズに駆け込む。そしてマリーに「あんたの占いは当たらないって証明されたんだ!」と言い放つと、さらに勤務先の朝日新聞社の主催で実現が決まった日米対抗戦の結果を占わせた。マリーアメリカが勝つと告げると、彼は日本の勝利を確信する。

一方、四三は、熊本に帰る前に嘉納に挨拶するため体協を訪れた。このとき、嘉納は東京市長の永田秀次郎(イッセー尾形)から10年後の1940年の東京オリンピック開催を相談された直後だったが、それを詳しく話す暇もなく、四三から打ち明けられる。帰郷の理由について「兄が亡くなりました」と言う四三に、嘉納は「そうだってね。聞いたよ。あんなに元気だったのに……」とさりげなく口にする。四三はこれを受けて「兄がいなければ俺は嘉納先生と出会わんだった。そん兄ば失い、母も高齢。いいかげん恩返しばせんと……」と言いかけたところ、ハッと気づいて「いま、何とおっしゃいました?」と訊き返した。

嘉納によれば、実次は先に上京した際、ひそかに講道館へ嘉納を訪ね、柔道の勝負を挑んできたという。相手の素性を知らないまま受けて立った嘉納だが、一本背負いを決めてから、相手の帯に「金栗」と刺繍されているのを見て、ようやく彼が四三の兄であることに気づいた。このあと、実次は「順道制勝の極意、しかとこの身に受けました。一生もんばい」「嘉納先生、弟が大変お世話になりもうした。ありがとうございました!!」と御礼を言ったという。熊本に戻った兄が家族に言っていたことはウソではなかったのだ。その事実を知って四三は感極まる。

東京を去る四三に田畑が質問をぶつける
そんな感動的な場面で、あいかわらず空気を読まない田畑が顔を出した。嘉納に呼ばれたからだが、しばらく待つよう言われ、思いがけず四三と二人きりとなる。しばらく沈黙が続いたのち、田畑が思いついたように「ひとつ参考までにうかがいたんですがね、あなた、いままでに3度オリンピック出ましたな。そのなかで一番の思い出は何ですか?」と訊ねた。「私は今度初めてオリンピックに行くんですよ、何が待ち受けているかわくわくしますな」という期待から、そんな質問をぶつけたのだ。これを受けて四三はしばし考え込む。頭のなかには、ストックホルムオリンピックの思い出が走馬灯のように駆け巡った。開会式、三島弥彦(生田斗真)のこと、そして出場したマラソンでの棄権……だが、考えた末に四三の口から出たのは「紅茶と甘〜いお菓子がおいしかったね」ということだった。あまりに予想外の答えに田畑は拍子抜けする。じつはそれは、四三がマラソンコースから外れて倒れ込んだとき、介抱してくれた現地の人たちに菓子や紅茶を与えられたことを思い出して出た言葉だった。苦い体験も、ときが経って甘美な思い出になったということだろうか(このあたり、冒頭の志ん生の鯛焼きの話にもつながる)。

四三の答えに半ばあきれた田畑だが、四三が部屋を出ていってから、こんなふうに独りごちた。

「いい大人が甘いお菓子だって。まあでもね、何しろ元祖ってのは偉えや。初めて世界で戦った日本人だからね。元祖オリンピック三千世界広しと言えども、金栗四三ただ一人だ。そういったことじゃ、俺は認めてんだ。てえしたもんだ」(このセリフは、ビートたけし演じる志ん生の噺とあわせて語られた)

続けて、「水連はいままで陸上のことをずっと目の仇にしてきたけれど、金栗さんだけは認めないわけにはいかない……うん。あれは本当に韋駄天……」と言いかけたところで、まだ四三が部屋にいたことに気づくや、「って、まだ行かねえのかい!」と、「替り目」のサゲそのままにツッコミを入れる田畑。四三は最後に「さようなら」と笑顔で言い残して立ち去った。こうして金栗四三から田畑政治へ、直接バトンが渡されたところで「つづく」。

ここまで四三と田畑のシンクロをあげたが、二人の体験は重なり合いつつも、その方向はまるで正反対だ。四三が、兄の死を機に東京から熊本へ家のために戻る決意を固め、表舞台から去っていったのに対し、田畑はこれらの体験を通して、生きる活力を見出し、次のオリンピックに向けてますます意気盛んとなった。まさに行く人、来る人。今後の田畑の活躍はもちろん楽しみなのだが、このまま四三が熊本に帰って、出番が少なくなると思うとやはり寂しい。

長嶋登場は志ん生の「その後」に向けた伏線か
さて、四三が東京を去り、田畑が頭角を現す間に、世の中では金融恐慌(1927年)に続き、ニューヨークのウォール街での株式大暴落に端を発して世界大恐慌(1929年)が起き、銀行の取り付け騒ぎや倒産があいつぎ、街には失業者があふれかえった。世界標準の競泳用プールとなった神宮プールの建設にあたっても、不況の真っ只中とあって田畑ら水連の幹部は資金集めに苦慮したようだ。そのなかで、体協の理事の一人から体協首脳に協力を仰ぐことを勧められ、人一倍頭を下げるのが嫌いだった田畑も重い腰をあげて、会長の岸清一らに頼みこんでカネを出してもらったという(ベースボールマガジン社編・発行『人間 田畑政治』)。

経済が低迷するなかで、中国大陸への進出を訴える声も強まっていく。帝都復興祭が行なわれ、東京市オリンピック開催案が持ち上がった1930年には、軍部の反対を押し切って軍縮を推し進めていた首相の浜口雄幸が右翼の活動家に狙撃されるという事件も起きた。きょう放送の第28話では、さらに満州事変、5・15事件と大事件があいつぎ、ますます時代がきな臭くなっていくさまも描かれるようだ。そのなかでスポーツはどんな役割を担っていくのだろうか。

第27話でもう一つ気になったのは、冒頭で志ん生の弟子・五りん(神木隆之介)のガールフレンドの知恵(川栄李奈)がテレビの野球中継を見ながら、巨人の長嶋茂雄を応援していたこと。史実ではこの年、1961年の暮れ、志ん生が巨人がらみである事態に直面することになるのだが、ここへ来ての長嶋の登場は、それに向けての伏線なのだろうか?(近藤正高)

※「いだてん」第27回「替り目」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:大根仁
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)

イラスト/まつもとりえこ