ラグビーW杯開幕まで51日、連載「楕円の軌跡―レジェンドトーク2019」第8回は留学生選手の先駆け、ラトゥ志南利氏

 9月20日に開幕するワールドカップ日本大会まで50日あまり。サンケイスポーツで20年以上にわたり楕円球を追い続けたラグビーライター吉田宏氏が、日本ラグビーを牽引し続けてきたレジェンドたちの、日本代表ワールドカップ成功への熱い思い、提言を綴る毎週水曜日の連載「楕円の軌跡―レジェンドトーク2019」。

 第8回は、第1、2、3回ワールドカップで、日本代表の中心選手として活躍したトンガ王国生まれのNO8ラトゥ志南利氏が登場。留学生選手の先駆けとして日本での活躍の道を切り開く一方で、ワールドカップでは日本生まれの選手の活躍が欠かせないと説く。日本国籍を取得してパナソニックの営業マンとして活躍しながら、日本とトンガの架け橋としてワールドカップの盛り上げにも力を注ぐ。

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 蒸し暑い平日の午後、熱い胸板にボタンが外れそうなワイシャツ姿で現れた。

 ラトウ志南利――。ラグビーファンなら「シナリ・ラトゥ」と書いたほうがピンとくる。

 大東大で“トンガ・パワー”として猛威を振るい、在学中に日本代表入りすると、桜のジャージーでもFWに留まらずチームの核として活躍。1989年スコットランド戦では、相手選手を病院送りにするゴール前のハードタックルで28-24の大金星を大きく引き寄せた。2011年には日本国籍も取得。選手、ファンの誰からも愛称の“ビル”と呼ばれ、慕われた。日本代表の誇りも、日本人マインドも、日本生まれの選手以上に持つ桜のジャージーの英雄だ。

「いまの仕事はパナソニックの営業です。大型空調を担当していますけど、ドーム球場などの空調システムは、三洋電機時代からいまのパナソニックでも強い分野なんです。営業でいろんなところに行きますが、どこでもラグビー関係者がいると、仕事でも助けてくれる。会うのが難しい人でも面会できたりね。ラグビーの人脈はビジネスでもすごく役立っています」

伝説の桜の戦士は今、“企業戦士”として活躍中

 現役時代と変わらないハスキーボイスで、よどみのない日本語がどんどん口をつく。街中では図太い首や腕、体の厚みは際立つが、温厚な話しぶりや優しいまなざしは営業マンとしての武器になる。肩書は空調広域開発営業部開発課主幹。大学など大型施設の空調が担当。「これから小中学校も冷暖房を設置していくから」と、巨体を揺らして全国を飛び回っている。

 開幕まで2か月を切ったワールドカップ。いまや祖国となった日本が舞台となる祭典の開幕を、ラトゥ氏は驚きの感情を抱きながら待つ。

「まさかワールドカップが日本に来るとはね。思ってなかったことです。第1回大会からプレーしてきたが、その当時だって、いつか日本に来るなんて考えたこともなかった。決まったときは驚いたけど、それだけ日本のラグビーが強くなったということですよ。世界が実力を認めてくれたと思います」

 まぶしそうな表情で、桜のジャージーの後輩たちについて語ったラトゥ氏だが、海外出身ながら日本代表の中心選手となり、日本人にもなった男には、独自のジャパンへの思い入れがある。

「僕の時代、代表でプレーする外国人は2、3人だった。みんな長く日本で生活をしていた選手ばかり。僕自身、外国人であり日本人という立場で難しい部分もあるけれど、僕の時代の人数なら、みんなこれは日本のチームだと認めてくれていたと思う。でも、いまのように半分以上が外国出身者だと『どこの国の代表?』と思われてしまうこともある」

 外国人選手でも国代表になれるというスポーツ界でもユニークルールについては、ラトゥ氏もその柔軟さ、寛容さを認めている。現在の日本代表も、規約に則り外国人選手を選考している。その一方で、トンガ時代より長くなった日本での生活の中で、日本人価値観、考え方を知り尽くすからこそ、感情論としての“日本人選手”が代表でプレーすることの重要さを感じ取る。

ラグビールールをあまり知らない人には、『あのオールブラックスでもフィジーやサモア、トンガから来た人たちが入って世界最強のチームになっている。その国でプレーすれば代表に選ばれるのは、ニュージーランドでも日本でも同じことだ』と話しているんです。でも、納得できない人の気持ちもわかる。これは気持ちの問題だから。何人(の外国出身者が代表戦に出場できる)かは決めてほしいなとは思いますね」

 その日本人としてのこだわりは、代表強化にも及ぶ。

「サンウルブズがスーパーラグビー(SR)に参戦したときも、僕の考えは日本人選手を鍛える場なんですよ。だから負けてもいいんです、SRを日本選手に経験させることができれば。でも、蓋を開けてみたら、最近は日本人選手はほとんどいないじゃないですか。日本代表にも関係ない選手ばかり。勝つことを優先して、という説明は聞いたことはあるけれど、成績も残せていない。もっと将来日本代表になるような日本人プレーしてほしいというのが僕の思いです」

ラトゥ氏の理想は「日本人選手が80分間走り回るラグビー

 日本選手にこだわるのは、ラトゥ氏が思い描く日本代表スタイルが反映されている。理想像を再確認できたのは、エディー・ジョーンズ日本代表HCの指導であり、求めるラグビースタイルだった。

エディーが代表HCになる前に、サントリーでの指導、練習を見ていて感じたものがありましたね。パワフルではなかったけれど、小さい日本人選手が走り回る。80分間疲れを知らないラグビーを見て、これはすごい、これをワールドカップに持っていけば強くなれると思いました。前回ワールドカップ南アフリカ代表戦でも、終盤に相手は足が止まっていたけれど、日本は最後まで全然止まらなかった」

 このラグビーを実現するためには、ラトゥ氏は俊敏さと持久力を持ち合わせた日本選手が必要だと考えている。7月27日に行われたフィジー戦でも、日本代表は従来よりもキックを使わずパスとランでボールを動かす戦い方で、過去3勝14敗の難敵を34-21で倒した。

ジェイミーHCが就任してからキックを織り交ぜたスタイルにしたけれど、今は、それ以前のスタイルに戻してきている印象。いい試合をしている。日本には、ボールをまわすラグビーが合っていると思います。大事なのは走るスタミナ。日本人なら、それができる。もちろんパス、キックを、相手によって使い分けながら戦っていけばいい」

 多くの外国出身選手が日本代表メンバーリストを埋める現状に疑問を抱きながらも、日本代表への熱い思いは現役時代と変わらない。

 ワールドカップへ向けて、代表OBとして大会アンバサダーに就任。各地でイベントトークショーに参加して大会を盛り上げる。その一方で、母国で出場国でもあるトンガ代表からもチームサポートを頼まれている。日本を知り尽くし、日本での高い知名度を期待されてのオファーだ。大会期間中はチームに帯同しながら、イベント参加など多忙を極めそうだ。

 トンガ代表以上に気がかりなのが日本代表の後輩たちだ。8強進出という挑戦には期待と厳しさを覗かせる。

「決勝トーナメント進出って、すごく厳しいと思う。簡単じゃない。でも、大きいのは地元というアドバンテージです。地元での応援は、間違いなく選手の力になる。そこに賭けたいなと思いますね。勝つのは簡単じゃないけれど、可能性は0じゃない。十分あります。4年前の南アフリカ戦でも、周囲は誰も勝つと信じてなかった。4年前と比べると、今回は地元の応援がある。勝たないといけないプレッシャーもあるけれど、楽しんでほしい。われわれみんなが応援しているから」

95年のW杯アイルランド戦では敗戦チームから異例の最優秀選手に

 歴代日本代表の中でも、トライの危機を救う強烈なハードタックルや、強豪国相手でも負けないパワーで、常に日本代表を体を張って牽引してきた。「歴代最強のNO8」の呼び名もあるが、そのラトゥ氏が、あまたの国際試合でいまも最高の思い出と語るのが、95年ワールドカップアイルランド代表戦だ。

 日本代表にとっては大会2試合目。プール戦の組み合わせから、初戦のウェールズ、そして、このアイルランドを倒して決勝トーナメント進出というシナリオを描いていた。だが、ウェールズには10-57と完敗。ここで勝てなければ、プール戦突破の夢が絶たれるという正念場だった。

「結局試合は28-50で負けたんですけど、チームとしてもいい試合だったし、僕はマン・オブ・ザ・マッチMOM=試合の最優秀選手)に選ばれた。ワールドカップで負けたチームからは初めてだと聞かされたので、すごく嬉しかった。この試合では、トライもしたし(トライの)アシストもした。タックルもすごくよかった」

 実は、この大会を最後に日本代表を引退することを心に決めていた。“引退試合”を先送りにするためには、アイルランドに勝つことが最低条件だったことも、ラトゥ氏の闘争心を燃え上がらせ、異例の敗戦チームからの選出という結果につなげた。

 実はMOMには、メダルや盾のような記念品はない。ラトゥ氏が受け取ったのは高級なワインひと箱だった。

「本当はボトルだけでも持ち帰れば(MOMを受賞した)いい記念品になったけど、試合からホテルに帰るチームバスの中で、チームのみんなで飲んじゃいました。ホテルに着いたときには、もう全部空っぽだった。(ボトルも)そのまま置きっぱなしでしたね」

 賞品はアルコールとともに消えてしまったが、ラトゥ氏がアイルランド戦、そしてワールドカップで得た自信と誇りが消えることはない。

 日本最強のNO8が、MOMに輝いた大会から24年の歳月が流れた。日本代表が目指す8強入りのためには、多くの選手がMOMに選ばれる活躍が欠かせない。ワールドカップ開幕が目前に近づく中で、桜のジャージーの後輩たちがラトゥ氏と同じ“美酒”を味わえるときを心待ちにしている。

ラトゥ志南利(らとぅ・しなり)
1965年8月25日、トンガ王国生まれ。同国から日本の大東大に留学し、NO8、FLとして活躍。2度の大学選手権優勝に貢献。同大在学中に日本代表入りし第1回から3大会連続でワールドカップに出場。通算32キャップ三洋電機ラグビーで活躍後の02年に母校・大東大監督に就任(08年退任)。13年から同大学アドバイザー。11年に国籍をトンガから日本に変更して改名。長男・クルーガーも大東大でプレーして、現在パナソニック(前三洋電機)所属。(吉田宏/Hiroshi Yoshida)

吉田 宏
サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。ワールドカップは1999、2003、07、11、15年と5大会連続で取材。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表ブラジル撃破と2015年ラグビーワールドカップでの南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かして、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。

日本代表の中心選手として活躍したラトゥ志南利氏【写真:Getty Images】