今日から夏の高校野球が始まる。今年は第101回大会。そこで、第1回大会から前回100回大会までの高校別通算勝利数ランキングを作成した。ベスト6にはどのような高校が入っているのか、紹介しよう。

 今日から夏の高校野球が始まった。今年は第101回大会、そこで、第1回大会から前回100回大会までの高校別通算勝利数ランキングを作成した。

 戦後の学制改革によって、それまでの中等学校が現在の高等学校に変わったが、この前後において全国各地で学校の離合集散があり、どの学校をもって今の学校の前身とするかに異説がある場合もあるが、その変遷も含めて紹介したい。

 ではベスト6にはどの学校が入ったのか、ランキングを下位から見ていこう。

 第6位は2校が並ぶ。1校は早実(43勝28敗1分)。1915年の第1回大会に出場した名門で、1980年代後半から90年代にかけては低迷したものの、戦前戦後を通じて強豪の地位を保ち続けている。早実で一番印象に残っている試合を挙げるなら、2006年の決勝戦、駒大苫小牧高との試合だろう。駒大苫小牧高の田中将大投手と斎藤佑樹投手の投げ合いで勝負はつかず、延長15回1-1の引き分け再試合となった。そして翌日、早実が4-3で勝ち、優勝している。

 6位タイのもう1校は広島商(43勝15敗)。こちらも第1回大会に出場した名門で、戦前だけで優勝4回(春1回、夏3回)を数え、戦後もしばらくは全国屈指の強豪として活躍していた。

 同校はバントを多用して確実に1点を取り、投手を中心として守り抜く野球を身上としていた。そのため、池田高やPL学園高に代表されるパワー野球が広がるにつれて出場回数が減少。21世紀以降、夏の出場は2004年の1回しかなく、この時も初戦で浦和学院高に敗退している。

PL学園1976年~87年の11年間に何勝したか?

1976年から87年までで31勝した
PL学園高は高校野球の盟主の座に!

 4位には2校が同数で並んでいる。1校目は天理高(48勝26敗)。野球部自体は戦前から予選に参加していたが、甲子園に出場したのは1954年の春が最初、夏の大会は1959年が初めてだ。以来一貫して一定の力を保ち続け、60年間で48勝を積み上げた。

 そしてもう1校はPL学園高(48勝13敗)。こちらは学校の創立が戦後の1955年で、甲子園初出場が1962年1970年夏に準優勝すると、以後2009年までその名を全国にとどろかせた。

 特に、1976年から1987年にかけて夏の甲子園出場成績はなんと31勝2敗(優勝4回、準優勝2回)、敵なしと思われる強さを発揮した。その破竹の勢いから、あらゆる記録を塗り替えるかと思われていたが、内部事情で専任監督が不在となり、2016年夏の府大会を最後に休部、翌17年には高野連を脱退した。現在再開のめどは立っていない。

 第3位は松山商(56勝21敗1分)。夏だけで優勝4回、準優勝3回、「夏将軍」という異名をとるほど夏に強かったが、2001年夏にベスト4に進んだのを最後に甲子園に出場できていない。4位の天理高が8勝差まで詰めてきており、このまま未出場が続くと逆転されそうだ。

 なお、松山商は戦後のごく一時期、松山東高に吸収されて、同校の商業科となっていた。その間の1950年夏には松山東高として甲子園に出場し全国制覇している。この時の4勝を加えると通算は60勝となる。また、1分とあるのは、1969年夏の決勝戦の三沢高との延長18回引き分け再試合である。

 第2位は龍谷大平安高(61勝31敗)。現在の校名になったのは2008年のことで、年配者には平安高の方がなじみがあるだろう。戦前からの名門だが、初出場したのは1927年と昭和になってから。予選の同地区(かつては京滋、現在は京都)に強力なライバルが少なかったことから、出場回数も34回と北海高(38回)に続いて全国第2位。1990年以降も着実に勝ち星を重ねており、当分2位を維持しそうだ。

 全国最多の勝ち星を誇るのは、多くの通算記録部門でトップに立つ中京大中京高(78勝21敗)。2位とは17勝もの差がある。当分1位の座は安泰だろう。

 戦前から、中京商、中京高、中京大中京高と名前を変えながら、一貫して全国トップクラスの実力を保ち続けている。そのため、第1回大会の頃から活躍していると思っている人も多いが、実は同校が創立されたのは、第9回大会が行われた1923年。大会当初はまだ創立されていなかった。

 ところが1931年に初めて甲子園に出場すると、夏の大会でいきなり全国制覇、しかもそこから未曽有の3連覇を達成した(その時のエースだった吉田正男投手は夏が14勝0敗、春の勝敗も合わせると23勝3敗)。以降、1980年代後半から90年代後半にかけて一時低迷したものの、2009年夏にも全国制覇するなど、現在でもその勢いは衰えていない。

 ちなみに、昨年までの通算試合数は99試合。今年は残念ながら地区予選の準決勝で誉高(旧・尾関学園高)に敗れてしまったため、史上初の夏の大会100試合は持ち越しとなってしまった。

(姓氏研究家、野球史研究家 森岡 浩)