2019年6月にCDデビュー5周年、結成6周年を迎えた6人組ガールグループ・東京パフォーマンスドール(通称:TPD)。

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この夏は「SUPER DUPER SUMMER 2019」と題し、メンバーそれぞれが個人・ユニット活動を精力的に行っており、グループの活動だけでは見えなかった新たな一面を披露している。

そこでザテレビジョンでは、来たるべき2020年のTPD結成7周年へ向けて、「ROAD TO TPD2020 with TTV(ザテレビジョン)」と題し、メンバー1人1人の魅力に迫る個人インタビュー連載企画を開始。

グループでのインタビューでは見えなかったホンネや、デビュー当時の心境、現在の目標などをロングインタビューで掘り下げ、毎月1人ずつ掲載していく。

第1弾は、TPD/赤の流星として活動する他、「Ray」の専属モデルを務め、さまざまな美容系メディアに出演したり、地元・愛知でラジオ番組にレギュラー出演したりと活躍の場を広げる“美容番長”上西星来が登場。

子どもの頃になりたかった夢や、CDデビュー当時のこと、結成6周年ライブや赤の流星としての活動など、前編・後編にわたってたっぷりと紹介する。

――そもそも、子どもの頃からアイドルになりたいと思っていたんですか?

幼稚園の頃の夢は“アイドル”で、幼稚園の卒園文集には「私は絶対アイドルになります!」って書いてあるんです。

絶対アイドルになると思っていたから、家では窓を鏡に、リモコンマイク代わりにして、ずっとアイドルのまねをしていました。そんな私を見ていたお母さんも「この子アイドルになりたいんだな」って思っていたみたいです。

――アイドルになるためにアクションを起こしたことも?

小1の時、ハロプロオーディションを受けました。第2次、3次と進んだのですが、結果的に不合格。それからは、アイドルになりたいとは思わなくなっていて、それよりも雑誌が大好きだったのでその世界に入りたい、モデルになりたいって思い始めたんです。

でも、学校の友達にはなかなか言えなくて…。1人の親友だけに「モデルになりたい」という話をしました。だから、人前で夢を発表するような“1/2成人式”とかでは「バレリーナになりたい」と言っていましたね。

その後、中学校3年生ぐらいからはCAさんになりたいなと思っていたんですけど、高校1年生の時にオーディションを受けてみたら合格して、今こういう人生を歩んでいます。

――オーディションを見つけたときは「これだ!」って思ったんですか?

その時は「絶対、芸能人になる」とはあまり思っていなくて、母親がこういうオーディションがあるよって勧めてくれて、じゃあ受けてみようかなという感じでした。

――幼稚園の時にアイドルのまねをする娘を見ていたお母さんが「チャンスかもしれない」と後押ししてくれたんですね?

はい。本当にありがたいなと思っています。

――まだ、学生ですから芸能界入りを反対されてもおかしくない状況。

オーディションに受かって最終まで残って「東京に来てください」って言われても両親から反対されませんでした。

――オーディションに受かった時、CAやバレリーナになるという夢はもうなくなっていましたか?

なかったです。まずはグループ活動から始めるって聞いていたので頑張ってやってみようと。その中で、いろんなことを進めていけたらいいなと思っていました。

――モデルになりたいという夢は?

TPDの結成当初は、全く考えていなかったです。デビューしたタイミングの頃から少しずつモデルやってみたいなって思うようになりました。

――学生時代の自分を分析すると、どんな女の子でしたか?

自分からは発言しない、手も挙げないタイプ。先生から「質問、ある人?」って言われても「はい!」と積極的に動くような生徒ではなかったです。でも、小学校6年生の時、急に先生に呼ばれて「学級委員やってくれない?」って言われたんですよ。

――先生は、何か感じるものがあったんですかね?

そうなんですかね(笑)。「あなたに学級委員をやってほしい」と。「あなたの一言でいつも全部がまとまるから」って言われたんですけど…。「あ、私そういうことできないんで」って。

――えっ、断ったんですか!?

はい、断りました。だから、学級委員はやっていません(笑)

――先生にそこまで言われたら、例え「嫌だな」と思っても引き受けてしまいそうですけど、しっかりと自分の意見を持っていたんですね。

学校の廊下で断ったことを今でも覚えています。私は、そういう子でした(笑)

インタビューとかで「星来ちゃんってどういう子?」って、他のメンバーたちが質問されることがあるじゃないですか? そういう時も「客観視していて、星来ちゃんが最後に意見を言うと、その通りになることが多い」ってよく言われるんです。もしかしたら、小学生の頃からあまり変わっていないのかもしれません。

――先生も、じょにーさんのそういう一面を見抜いて学級委員にしようと思ったんでしょうね。

もしかしたら、見てくれていたのかもしれないですね。断りましたけど(笑)

――CDデビューの前に舞台「PLAY×LIVE『1×0』」やバラエティー番組「東京号泣教室~ROAD TO 2020~」に出演しましたけど、当時を振り返ってみていかがですか?

あの期間は忍耐力が鍛えられました。グループ活動に自分の青春を注ごうって決めてはいましたけど、やっぱり友達と遊びたい時期でもあったので。修学旅行にも行けなかったですから。でも、TPDとしてコツコツ頑張ろうって思いながら頑張っていたので我慢するということを学んだような気がします。

――高校生で親元を離れたわけですけど、ホームシックは?

もちろん、ありました。毎日が忙しかったので、家族と会う時間がなかったです。メンバーみんなで集まって泣いたりしていました。その時に、メンバーの存在って大事だなって。みんながそばにいたから、ホームシックも乗り越えられた感じ。たぶん、メンバー全員同じ気持ちだったと思います。 

――メンバーに助けられたことが多かったんですね。

みんなが頑張っているから、自分も頑張ろうっていう気持ちになれたし、落ち込んでいる場合じゃないなって。それまで家族とはずっと一緒にいたけど、東京に来てからはメンバーたちと毎日一緒。

学校に行くのも、レッスンを受ける時もいつもそばにいる。自然な感じで家族のような存在になっていましたね。

――「絆」という言葉では言い表せないような“つながり”があるのかもしれないですね。

メンバーとは友達という関係でもないので、何か変な感じですね。それぞれの良いところも悪いところも全部分かっているし、これをやったらどういう反応をするのかも想像できる。もう、一生嫌うことはないんだろうなと思っています。

■ 上西「どんな時も初心を忘れずに頑張っていきたい」

――2014年の6月にシングルBRAND NEW STORY」で念願のCDデビュー。当時のことは覚えていますか?

覚えています。結成からCDデビューまで1年あったので、デビューしないままこのグループは終わってしまうんじゃないかなって思っていました。

――CDを出せないかもという不安があったんですね。

結成から1年って下積みという意味では短いと思うんですけど、でもやっぱり1年間なんですよ。

日数にすると365日。自分たちは舞台だけやって、メジャーデビューとかCDを出すなんていうことはないんだろうなって思ったりすることもありました。

「PLAY×LIVE『1×0』」の平日公演は客席がガラガラの時もありましたから。だから、CDデビューが決まった時は素直にうれしかったです。当時の活動は東京だけだったので、全国のお店で自分たちのCDが並ぶなんて信じられませんでした。

――CDデビューから5年。歌うことへの思いは変わってきましたか?

歌に対してということではないんですけど、CDデビューが決まったと知った時の気持ちを今でも忘れずに持っておかなければなって思います。あの時の自分の心の輝きとか、曲を出せる感謝とかを忘れないようにと思いながら歌っています。

デビューの日に池袋のサンシャインシティリリースイベントをやったんですけど、ファンの方の喜んでいる顔やスタッフさんが泣いていた姿、お母さんも見に来てくれていたんですけど、やっぱり泣いていて。あの光景は自分の中で一生大切にしたい。どんな時も初心を忘れずに頑張っていきたいと思います。

――慣れることはもちろん大事だけど、慣れ過ぎてはいけないということ?

今年6月12日リリースした「SUPER DUPER」は8枚目のシングルなんですけど、やっぱり当たり前に(CDを)出せるものじゃないんだなって。そういう気持ちは、いつまでもしっかりと持っていようと思います。

――そして、2015年には連ドラ「セカンド・ラブ」(テレビ朝日系)で女優に挑戦! 歌やダンスとは違う表現が求められる現場です。

いい意味なんですけど、なんかピリッとしていた現場だったなという印象があります。

香盤表(スケジュール表)の見方やセリフの覚え方、カット割りだったり、共演者の方たちとの接し方などを、当時のマネジャーさんをはじめいろんな方々に教えていただいて。慣れない環境なのでいつもオドオドしていましたけど多くのことを学んだ現場でした。

――自分の芝居をOAで見た時はどう思いました?

セカンド・ラブ」に出演した年は、舞台「ダブリンの鐘つきカビ人間」でヒロイン役をやらせていただいたんですけど、稽古をする前に事務所の先輩方に手伝っていただいてワークショップをしていたんです。

それは、舞台の演技をする稽古だったので身振り手振りを大きくするお芝居を求められていて。ちょうど、その頃にドラマの撮影をしていたので芝居が大き過ぎて、見ていても違和感しかなかったです。

1話を見終わった時にふと思い出したのは、現場で監督から「芝居が大き過ぎる」って言われたこと。その時に、あらためて舞台と映像では演技の強度のようなものが違うんだなって思いました。

――アイドルとしてのグループ活動、女優業と来て、その次はモデルの仕事。子どもの頃の夢がどんどん実現していきますね。

アイドルモデル、どっちも夢がかなっているんですよね。本当にありがたいです。「Ray」の専属モデルに決まるまでは半年間ぐらいテスト期間がありました。

オーディションみたいな感じで何回か連続で雑誌に登場させていただいて。とにかく必死に頑張りました。初めて編集部に行った時は何を聞かれてもいいように携帯のメモ帳に好きなファッションとかを“箇条打ち”したんです。

――“箇条打ち”?

携帯なので“書き”ではなく“打ち”ということで(笑)

――素晴らしい(笑)

どんな質問が来ても完璧に答えられるようにしました。「美少女図鑑」というページに載せていただくことになって。それが最初の「Ray」のお仕事です。めちゃくちゃ気合いが入ったのでダイエットも頑張りましたよ(笑)

――しっかりと、準備をして臨むタイプなんですね。

めちゃめちゃ準備するタイプですよ(笑)。「美少女図鑑」の時は、カメラマンさんが以前「Popteen」で撮ってくださった方だったので、すぐ打ち解けることができました。そのおかげで現場の雰囲気も和やか。

TPDのスタッフさんも3、4人ぐらい立ち会っていたのかな。それって私1人に対してスタッフが多過ぎなんですけど…(笑)。でも、“上西星来を売りたい!”というスタッフの皆さんの熱い思いが編集部の方たちに伝わったのかもしれません。

おかげで毎月呼ばれるようになって、半年後に専属モデルになることができました。

――写真を撮られる時に意識することは?

たぶん、私は自然になれるタイプ。今、ちょっとかっこいいこと言いました?(笑)

――名言が出ましたね(笑)。自然な感じでカメラの前に立っていると。

カメラの前に立つと違う人になるね」ってよく言われるんです。自分の中で別人になろうなんて思っていないんですけど。私はメイクポイントを置いた雑誌でモデルをやることが多いので、このメイクと髪形のバランスだったらこういう表情がいいかなって頭の中でイメージを膨らませることはありますけど、基本的には自然体ですね。

――これからモデルさんになりたい人へ向けてアドバイスをお願いします!

私は小学生の時にモデルになりたいと思っていたんですけど、1人の親友にしか言えなかったんです。でも、TPDのメンバーとして活動を始めてからは「モデルになりたい!」って、ずっと公言していました。

そうしたら、実際に動いてくださった方がいらっしゃいましたし、ファンの方たちも応援してくれました。やっぱり、自分の夢や思いを誰かに話すことって必要なのかなって。そうすれば自分の意識も変わってくるような気がするんです。

モデルになりたいならきれいな体のラインを作るためにヨガを始めたりして自分を磨くことに努力する。私自身、何の根拠もないのにライブのMCとかで「ランウェイを歩く!」って言い続けてきて今年実現したので、自分から発信することの大切さを学びました。自分がやりたいことを堂々とみんなに話すことから始めてみるといいかもしれません。(ザテレビジョン・取材・文=月山武桜)

上西星来がインタビュー連載企画トップバッターを務めてくれた