7月31日。この日はすべての育成選手にとって重要な節目の日でした。

 シーズン中、各球団が選手の補強、トレード、育成選手を支配下登録出来る期限は7月末日までとなっています。今季開幕前、ホークス育成選手だった川原弘之投手、周東佑京選手と支配下契約を結びました。そして川原投手は開幕1軍を掴むと3、4月は10回1/3を投げて防御率0.00の成績を残し、周東選手は俊足を生かし、走攻守すべての面でアピールを続けチームに貢献してきました。

 ホークス育成選手が支配下登録に至る際、必ず言われる基準は「1軍の戦力となりうるかどうか」。6月24日には、2軍で絶大なパンチ力を見せていたオスカー・コラス選手が支配下登録されました。これで1チーム70名の上限がある支配下選手の登録枠は残り1つになったのです。

エスタ首位打者も支配下登録ならず

「実力で負けてるだけです」

 仲間でありライバルというコラス選手に先を越され、悔しさを表したのは育成3年目の田城飛翔外野手でした。

 田城選手は3・4月度にファーム月間MVPを獲得。コラス選手は5月度にファーム月間MVPを獲得するなど、2人は切磋琢磨しあってきました。3軍時代から共にプレーしてきましたし、2人で食事に行くほど仲も良い同級生。コラス選手は外国人枠とはいえ、田城選手は悔しさを押し殺し、もう1枠の支配下を目指して再び前を向きました。

 多少の波はありながらも、ウエスタン・リーグでは首位打者キープ中です(8月11日時点で打率.318)。2軍とはいえ、多くの1軍級投手も登板する今季のウエスタリーグトップの安打数を放つなどアピールを続けた田城選手。支配下登録期限ラストパートの7月の打率は4割超え。7月31日のウエスタン・中日戦では、4打数4安打。ホームランも放ち、支配下最終アピールに申し分ない活躍を見せ、何としてでも勝ち取るんだという強い決意を感じました。

 しかし、吉報は届きませんでした。

 実は、この7月末日の試合前に今回の支配下登録が見送られたことを告げられたそうです。つまり、悔しさをぶつける試合となったのでした。7月の猛アピールもあって、〈田城選手に支配下登録が近付いているのではないか〉と新聞等の記事も出ていました。今年自主トレで弟子入りした師匠の中村晃先輩からも「お前、本当に(支配下)あるんじゃないか」と鼓舞され、気持ちも高まっていたところでした。

 だけど、叶いませんでした。

「悔しかったけど、今持っている力でやれることはやったので……」

 もちろん、チーム事情もあるはずです。でも、ここまでの活躍で支配下になれないものなのかとプロ野球界の厳しさを痛感しました。

「求めているのは1軍の戦力」

 では、周囲の声はどうだったのでしょう。小川2軍監督は活躍を認めた上で、「まだ身体も細いし1軍の戦力としては足りない」と手厳しい言葉を並べました……。現在身長179cm、体重70kg。食事量や筋量をもっと増やし、1軍で1年間戦える身体作りをもっと欲を持って意識高くやってほしいというのが小川2軍監督の願いでした。

 また、打撃においても“2軍で3割5分以上”を求めているという小川監督。2014年牧原大成選手がマークした当時ウエスタン・リーグ新記録の120安打、打率.374のような圧倒的数字を田城選手には期待しているそうです。

 正直、これまで育成から支配下を勝ち取ってきた他の選手たちの時より「判断の基準が厳しくないか?」と感じてしまいました。

 しかし、小川監督は「求めているのは1軍の戦力。田城には可能性があるから言っている。時間は待ってくれない。やりつくしたと言えるほど出来る限りのことは何でもやってほしい。……もうめっちゃ期待してるんだからね」。素晴らしいバッティングセンスの持ち主だからこそ求めるレベルも高いのだと熱を込めました。厳しい言葉の中に、深い愛情と1軍で通用する状態にして送り出したいんだという強い思いを感じました。

急成長のキッカケは“晃さん”

 7月中の支配下登録を逃してしまったとはいえ、今季大飛翔中の田城選手。昨年までのプロ2年間での主戦場は3軍で、2軍ではわずか2安打だった田城選手がリーグ最多安打を放つまでに急成長した一番のキッカケは、“晃さん”でした。

 勇気を持って今年の自主トレで中村晃選手に弟子入りを志願すると、快く受け入れてもらいました。成人式にも出席せず、自主トレで貴重な学びの時間を過ごしました。すると田城選手の中で何かが変わり始めました。

「晃さんがマジ練習してたんで……」

 先輩の凄まじい練習量を見て、自身の取り組みを変えざるを得ませんでした。練習量が増え、疲れが溜まったせいか寝ている時に金縛りにあうこともあったとか。

 また、積極的に質問をするようにもなりました。「バッティングの常識が全部変わった」というほど発見の毎日でした。例えば、今まで“左手で押し込む”感覚で打っていたのを、“右手ではらう”感覚に変えたことでバットがスッと出るようになり、タイミングが取れるようになりました。

 取り組みが変わると早速3、4月度のファーム月間MVPに輝くなど結果が出ました。少し自信もついてきて、周りからも「田城、バッティング掴んだな」と持てはやされるようになりました。すると、中村選手にこう囁かれました。

「そんなこと言ってたら逃げていくからな」

 師匠は気を引き締めろの合図を送ってくれたのです。どんな時も冷静で黙々と努力し続ける先輩の一言には重みがありました。

どん底から這い上がった高校時代

 その後、調子が上がらず上手くいかない時期もありましたが、先輩のように黙々と練習し続けました。そして一度得たものに固執せず、中村選手から学んだことを試しながらも、自分に合う形を追い求めモデルチェンジしながらここまで戦ってきました。変化を恐れず、進化を求めるシーズンを送っています。

 7月中の支配下を目指してやってきて、それが叶わずくじけそうにもなったけれど、「どこかで誰かが見てくれている」そう信じてやるべきことをやり続けています。

“育成からも這い上がってみせる!”

 高校でもそうでした。名門・青森の八戸学院光星高校時代は3年生の時に春夏の甲子園に出場し、その大舞台でホームランも放つなど輝かしい経歴を持つ田城選手ですが、高校入学当初はどん底からのスタートだったそうです。ABCDの4組に分けられた中では一番下のDから高校野球生活が始まると、入部2日目で練習から出されたこともあったといいます。それでも、多くのプロ野球選手を輩出してきた仲井宗基監督に「レギュラーよりええ振りしてるな」と見初められ、そこから強豪校のレギュラーへとのし上がりました。入学時はベンチ入りできたらいいなと思っていた人が、レギュラーとなり活躍し、育成選手としてプロ野球の世界に飛び込むまでになりました。

 今度は育成から支配下へ。入団1年目の春季キャンプで計測したスイングスピードは鷹の主砲・柳田悠岐選手に次ぐチーム2位のスピードマークし、担当者を驚かせたことがあったのです。能力の高さは既に証明済み。あとは更なる結果を残すのみ! 求められるものが大きい分、プレッシャーもあるかもしれませんが、ゴールは支配下ではなく1軍での活躍。今オフの支配下登録を目指して引き続き猛烈アピールし、来季から一気に1軍で……。私たちも大きな夢を描いてこれからの田城飛翔の飛翔に期待しましょう。

 頑張れたっしー

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(上杉 あずさ

試合での田城選手 ©上杉あずさ