台湾の李登輝元総統(90歳)は、5月初旬に日本を訪れる考えだ。李元総統は3月に入院しており、体調をみた上で最終決定するという。第二次世界大戦末期に神奈川県内にあった飛行機工場の「高座海軍工廠」に台湾から来ていた元台湾少年工との交流式典に参加することが訪日目的で、招待を受けた李元総統は即座に快諾したという。中国新聞社などが報じた。

  「高座海軍工廠」の元少年工は300人あまりが台湾から式典出席のために訪日する。李元総統は式典以外に、東京都内でも講演を行う。日本との関係をさらに強化したいとの考えという。

  李元総統は2000年の任期終了後、6度目の訪日。前回の訪日は2009年だった。

  李元総統は10日、民進党が行った昼食会に出席した。3月30日からの入院について「ひどい下痢をしてしまい、5日間入院しました。2キログラムもやせました」と説明した。さらに「先週の土曜日(4月6日)には痛風の発作を起こしてしまいました。たまらなく痛かった。日曜日に注射をして、なんとかなりました」と話した。

  4月末に身体検査を受け、その結果を見て訪日について最終決定するという。

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◆解説◆
  高座海軍工廠は、座間市から海老名市にかけての敷地に1943年に設置された飛行機工場。戦闘機「雷電」などを生産した。当時の労働力不足のため、台湾から15−19歳の少年が「少年工」として募集された。少年らは、5年後に上級学校の卒業資格がもらえ、台湾に帰れば技術者として就職できるとの条件に魅力を感じて募集したとされる。

  台湾少年工の総数は約8000人。来日後は、日本語、神社参拝などを含めた日本の習慣になじむ訓練が徹底的に行われた。また日本の寒さと食糧不足は少年らを苦しめた。米軍の空襲などで死亡する少年もいた。

  日本の敗戦にともない、台湾少年工は自治組織を設立し、警備など各種業務を行った。年長者の統率に従い、整然と集団生活を継続したという。帰国が始まったのは1946年1月。一部に残留者がいたが、大部分が台湾に戻った。(編集担当:如月隼人)