今年6月に大阪で開催されたG20サミット首脳会議の夕食会では、安倍首相が各国首脳を前にスピーチした。その際、会場となった大阪迎賓館にほど近い大阪城について紹介するなかで、「(大阪城の再建で)一つだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」と発言したところ、バリアフリーを否定するものだとして身障者団体をはじめ各方面から批判を浴びた。

 安倍首相としてみれば、批判はある程度見越したうえでの、渾身のジョークだったのだろうか? だが、そもそも昭和初期に再建された大阪城の天守閣は鉄筋コンクリート建てであり、完全な復元を企図したものではないし……と、くだんのスピーチにはツッコミどころもたくさんあった。

安倍首相ジョーク、誰かに言わされている?

 内容以前に私が気になったのは、ジョークを発する安倍首相が、まるで誰かにそう言わされているかのような口ぶりだったことだ。ジョークというのは本来、スピーチライターが原稿を作成するにしても、それを発する人物の人柄だったり知性や教養をうかがわせなければ成立しないはずである。それにもかかわらず、安倍首相ジョークは心から発せられているという印象が希薄で、無理して言っているような感じすらした。せっかく用意したのに、首脳たちにさほどウケず、一般にも「たぶんジョークなのだろう」と微妙な受け止め方をされたのも、きっとそのためだろう。

 安倍首相にかぎらず、日本で生まれ育った人間は全般的に、公の場で気の利いたジョークを交えながら話をすることが苦手なのかもしれない。今年5月、トヨタ自動車の豊田章男社長が、母校であるアメリカ・バブソン大学の卒業式で、ジョークもふんだんに盛り込んだスピーチを披露して話題を呼んだ。しかしこれにしても、ボディランゲージを交えたオーバーな話し方が不自然に見えない英語のスピーチだからこそ、という気もする。

「株、上がれ!」は滑っていたが……

 では、日本の指導者が、日本語でごく自然にジョークを飛ばすのはまったく無理なのかといえば、そういうわけでもないだろう。そこで私が思い出すのは、ちょうど20年前に首相を務めていた小渕恵三だ。1998年に首相となった小渕は、就任直後に視察先の青果店に並んでいたカブを両手に握り、「株、上がれ!」と叫んだことがいまも記憶に残る。ギャグとしてはあきらかに滑っていたとはいえ、そのパフォーマンスには、「人柄の小渕」と呼ばれたキャラクターがにじみ出ており、けっして無理な感じはなかった。

 小渕は翌年、1999年には、「ブッチホン」の語(小渕が、雑誌で自分について言及した人やメールをくれた一般人にいたるまで誰彼かまわず電話をかけていたことを指す、本人による造語)で、新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれている。このときの大賞は、プロ野球・西武の松坂大輔の「リベンジ」および巨人の上原浩治の「雑草魂」(所属チームはいずれも当時)と同時受賞となり、授賞式に駆けつけた小渕は、「私も中曽根、福田総理の間で雑草魂で頑張りました。この間の総裁選もやりまして、リベンジにも縁があるんです」と、両者の言葉を自分にかこつけてスピーチしてみせた(※1)。

“やさしい”小渕のあからさまな「リベンジ

 スピーチで小渕が口にした「中曽根(康弘)、福田(赳夫)総理」とは、同じ群馬の選挙区で争った自民党の大先輩である。また「総裁選」とは、この年9月に行なわれた自民党総裁選を指す。この総裁選で一騎打ちとなった加藤紘一に圧勝したあとにも、小渕は記者団との一問一答でこんな造語を披露していた。

記者:これまで、鈍牛、猛牛、闘牛と変じたが、総裁選が終わり、今度は何牛になりますか。
首相:今度は「ジュウギュウ」だ。
記者:ジュウギュウ?
首相:やさしい牛だ。やさしい牛。「柔牛」でいく。(※2)

 一見するとおとなしそうな人柄から「鈍牛」とも呼ばれた小渕だが、総裁選では対抗馬の加藤紘一に闘志をむき出しにし、「猛牛」「闘牛」と化した。その戦いを終えて今度は「柔牛」と行くと宣言しながらも、彼はこのあとの内閣改造で、加藤に対しあからさまな報復人事を行なっている(流行語大賞授賞式のスピーチでの「リベンジ」とはそれを意味した)。表向きには親しみやすい人柄を見せながら、裏では権力の座に執着し、自分を阻む者を許さない。それこそが小渕の凄味であった。

 ともあれ、小渕の首相在任中、新聞各紙の政治面に掲載される首相の一日の動向を伝える欄では、毎日のように上記のような記者との一問一答がとりあげられ、名フレーズ・迷フレーズもたびたび飛び出した。これについては爆笑問題太田光が、当時、テレビでよくネタにしていたのを思い出す。

「生きています。生きている実感があります」

 小渕は「一日一生涯」「生きている」といった言葉をよく口にした。たとえば、国会への出席のほか、スケジュールに追われるなか、記者から「きょうは国会後も忙しい日程ですが」と訊かれたときには、「生きています。生きている実感があります。一生涯は時間が決まっていますから、どうせなら忙しいほうがいい」と答えている(※3)。1999年6月24日、翌日の62歳の誕生日を前に、記者から「明日から始まる1年間をどう過ごしたいですか」と問われたときも、「まあ……生きてることだな」とだけ述べた(※4)。それから1年も経たないうちに小渕が病に倒れ、2000年5月14日に亡くなることを思えば、この言葉に重みを感じずにはいられない。彼としてみれば、首相の職務に日々、命懸けで取り組んでいたのだろう。ジョークパフォーマンスが滑って国民にいくら嘲笑されようとも、小渕の発言には、何事も必死にやらなければならないという人生哲学が込められていたのだと、いまさらながら気づかされる。

パーソナリティをセールスポイントにしない安倍首相

 ひるがえって、安倍首相にそうした人生哲学はあるのだろうか。思えば、安倍首相が自分のパーソナリティを前面に押し出したところを、私は見たことがない。第1次内閣が倒れたあと、その一因とされた難病も克服して、再び首相に返り咲くまでには、おそらく人知れず努力や苦労も重ねてきたはずだが、それをセールスポイントとしたこともほとんどないはずだ(せいぜい再チャレンジできる社会づくりを訴えて政権に復帰したときぐらいではないか)。

 安倍首相の口にするジョーク不自然に思えてしまうのは、人柄を見せないところにも一因があるのではないか。もっとも、政権復帰からすでに6年8ヵ月が経ち、長期政権を維持している以上、いまさらわざわざ人柄をアピールする必要もないのだろう。では、世の多数派であるはずの安倍首相を支持する人たちは、彼の人柄ではなく、純粋にその政策に共鳴して支持しているのだろうか。それもちょっと違う気がするのだが……。

※1 『読売新聞1999年12月2日付朝刊
※2 『朝日新聞1999年9月23日付朝刊
※3 『朝日新聞1998年12月5日付朝刊
※4 『朝日新聞1999年6月25日付朝刊

(近藤 正高)

大阪G20サミットの視察をする安倍晋三首相