(舛添 要一:国際政治学者)

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 カシミール地方を巡って、インドパキスタンの対立が激化している。

 今年2月にカシミールのインド支配地域でインド治安部隊がテロ攻撃を受け、その報復として、インド空軍機が越境してパキスタンを攻撃するなど、軍事的対立が続いている。

ヒンズー教徒の「入植」に対する危惧も

 イギリス植民地であったインドは、第二次大戦後にパキスタンインドに分かれて独立を果たすが、カシミール地方については、両者、それに中国も加わって領有権を争っている。カシミールは、インド支配地域、パキスタン支配地域、中国支配地域に三分割されており、しかも三国とも核武装をしている。

 第二次大戦後に、インドパキスタンは三度戦火を交えているが、そのうち二度はカシミールをめぐる紛争である。

 カシミールの住民の多数はイスラム教徒であり、インドは支配地域のジャム・カシミール州に自治権を与えてきた。独立当時、この地を支配するマハラジャ(藩王)はヒンズー教徒であり、最終的にインド帰属に決まったのである。

 このような事情があるため、インドは憲法370条でこの地に自治権を付与したのであるが、8月5日インド政府はこの自治権を剥奪する措置に出た。

 パキスタンカーン首相は、ヒトラーチェコスロバキア併合を認めた1938年の「ミュンヘンの融和」を引用し、それと同じようなことを世界は認めるのかとツイートして反発している。カーン首相は、住民の自治を踏みにじり、事実上のインドへの併合、直接統治を目指す暴挙だと言っているのである。インド政府は、州外の住民の土地取得禁止の規定も撤廃したため、ヒンズー教徒による「入植」が始まると危惧している。

ミュンヘンの融和」については、私の近刊『ヒトラーの正体』(小学館新書)でも詳しく説明したが、オーストリアを併合したヒトラーチェコスロバキアを次なる標的としたとき、戦争を避けるために英仏が妥協し、ヒトラーの領土的野心を許したのである。この融和姿勢がヒトラーを増長させ、第二次大戦へとつながった。

 パキスタンは、国連安保理の開催を求め、常任理事国の中国がパキスタンを支持し、安保理開催を要求したため、16日の安保理での協議が決まった。安保理は「カシミールは中立地域で住民投票によって帰属を決定すべきである」という決議を採択している。

 ナチス政権時代の1935年1月、国際連盟の管轄下にあったザール地方の帰属について住民投票が行われ、90%以上の得票でドイツ帰属が決まった。戦勝国フランスは鉄鉱石や石炭に恵まれたこの地域をフランス化しようとしたが、もともとドイツ人の住んでいた地域であるため、住民投票をすればドイツ帰属が圧倒的多数になるのは当然で、ナチスも住民投票に賛成であった。これに対して、カシミールはイスラム教徒が多数で、住民投票をすれば同じ宗教のパキスタン帰属となる危険性がある。そこで、インドは断固として住民投票を拒否しているのである。

「カシミール州自治権の剥奪」が選挙公約

 先週、本コラムで香港情勢について解説したが、香港市民が反政府デモを行っているのは、一国二制度の約束にもかかわらず、中国政府が香港の中国化を進めているからである。その中国化の流れがさらに進めば、自由や民主主義を守れなくなるという危惧が多数の市民を行動に駆り立てたのである。

参考:中国が「第二の天安門」化を本気で警戒する香港騒乱
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57285

 背景はイスラム教ヒンズー教の対立であるが、カシミールとインドの関係は香港と中国の関係に似ている。一国二制度、「港人治港」というように香港は高度の自治を享受してきたが、ジャム・カシミール州もまた高度の自治が憲法上保証されてきた。

 ところが、ヒンズー至上主義を掲げるインド人民党(BJP)のモディ政権は、この4〜5月に行われた総選挙で、公約に「カシミール州自治権の剥奪」を掲げたのである。選挙は、BJPが圧勝し、単独過半数を維持した。その結果、早速、公約の実現に乗り出したというわけである。

 そのために、カシミールでは緊張が高まり、8月15日にも、インド軍とパキスタン軍の銃撃戦があり、双方の兵士8人が死亡している。

 インドと言えば、第二次大戦後、ネルー首相、その娘のインディラ・ガンジーの率いる「インド国民会議」が政権を担い、日本の自民党のように多様な階層にアピールする包括政党で、一党優位制(one party dominance)を維持した。しかし、2014年総選挙では543議席中44議席しか得ることができず、282議席を獲得したモディのBJPに惨敗している。

 宗教に関しては、国民会議派がキリスト教イスラム教に寛容なのに対して、BJPはヒンズー教以外を排除する。このヒンズー至上主義は、白人至上主義やトランプアメリカ第一主義と同様に、自己中心主義、排外主義的色彩を帯びる。

 インドの領土でありながら、ヒンズー教徒が多数を占めない地域が残っており、しかも、そこではヒンズー教徒の自由な活動が阻害されるのは問題だと主張する。また、パキスタンが裏で糸を引くイスラム教徒のテロが、インドによる統治を困難にしているとBJPは強調する。これが功を奏して、総選挙の大勝につながったのである。

 しかしながら2014年以来5年間政権の座にあるモディ政権に何の問題もないわけではない。格差の拡大が大きな社会問題になっている。

 トランプ大統領の座に押し上げたのは、繁栄から取り残された白人労働者たちである。「ラストベルト(錆び付いた工業地帯)」と呼ばれる地域では、工場は閉鎖され、失業や麻薬中毒に喘ぐ人々の群れがいる。その不満を上手く利用したのがトランプであった。

 ゼロを発見したインド人は科学技術に優れ、ムンバイなどがIT産業で栄えていることは日本にも報道されている。モディ政権下で、年率6〜8%の経済成長を遂げているが、年間2000万人の雇用を生み出すという公約は果たされず、700万人程度にとどまっている。その恩恵に浴さない農民や低所得層の不満は高まっている。

 1%の富裕層がインドの富の半分を所有する格差社会である。農家の所得を倍増させるというモディ首相の公約は実現されておらず、貧困に喘ぐ農民の自殺者は年間1万人を超えている。2018年6月時点での失業率(男性・女性)は、都市部で7.1%・10.8%、郊外で5.8%・3/8%と、6年前の調査より上昇している。

「ヒンズー至上主義」の下にイスラム教徒に暴行

 そのため、選挙前にはBJPは苦戦が予想されていた。しかし、モディ首相は、カシミール問題でパキスタンを空爆するなどして、支持率アップを画策したのである。つまり、経済格差に伴う国民の不満を宗教感情やナショナリズムに向けさせることで、選挙を乗り切ったのである。トランプの手法と似通っている。

 インドの宗教構成を見てみると、ヒンズー教が9億6620万人(79.8%)、イスラム教が1億7720万人(14.2%)、キリスト教2780万人(2.3%)、シーク教が2080万人(1.7%)、仏教が844万人(0.7%)である。人口の8割がヒンズー教徒であるが、モディ政権の誕生とともに、「ヒンズー至上主義」の旗印の下に過激なヒンズー教徒がイスラム教徒に暴行を加えるなどの事件が多発している。

 人種的、宗教的少数派に対する差別や迫害は、移民や難民を排斥する極右の台頭という世界的現象と軌を一にするものである。差別や排外的ナショナリズムは、失業などの経済的苦境に対する不満のはけ口となっており、ポピュリスト政治家たちが、それを利用して政権の座に就く。その結果、社会全体に非寛容の風潮が生まれる。

 これは選挙で勝つための大衆迎合主義であり、トランプもモディもボリス・ジョンソンも同じである。しかも、SNSがその傾向を助長する。

 民主主義の根幹であるはずの普通選挙が、民主主義そのものを破壊するという皮肉な現象が起こっている。民主主義は生き残れるのか。86年前にヒトラー政権を生んだワイマール共和国は、遠い過去の話ではなくなっている。

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