2001年に出版した小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館刊)が300万部以上のメガヒットを記録した作家・片山恭一氏。その最新エッセイのタイトルベストセラーのタイトルモチーフにした『世界の中心でAIをさけぶ』新潮社刊)だ。

アメリカシアトルに飛び、「シンギュラリティ」をめぐる思索を深めた片山氏。AI(人工知能)は私たち人類の存在をどう変えるのか。インタビュー後編では、シアトルで見たもの、そして文学の今後についてうかがった。

聞き手・執筆/金井元貴(新刊JP編集部)

インタビュー前編を読む

■世界の最先端を進み続けるIT企業で感じた「行き詰まり」

――本書で片山さんが訪れたのはAmazonの企業城下町であるシアトルを中心としたワシントン州です。2年前にはシリコンバレーを旅されたそうですが、その2つの土地をめぐったのはなぜですか?

片山シリコンバレーシアトルというプランは最初からあって、僕らの生活の風景を変えつつあるIT企業が生まれた場所を知りたかったんです。

カリフォルニアで感じたのは、IT企業が生まれる雰囲気ですね。自由で明るい。日本にいる僕たちがメディアを通して受け取るアメリカの情報は、トランプ大統領の発言とか、銃による無差別殺人とか、ネガティブニュースが多いのですが、カリフォルニアにいるとそんな暗さはほとんど感じません。住んでいる人たちはのんきでフレンドリーで、イメージをだいぶ修正しないといけないと思いました。こうした自由で多様性がある場所から新しいアイデアが生まれてくるんだなと。

シアトルではAmazonを中心に、Microsoftなんかも見たんですが、IT企業の行き詰まりを感じたのは事実です。表面的はすごく成長しているけれど、ここからどうしたらいいのか分からないという感覚があるんじゃないかな。Amazonで働いている人たちは健康志向が強くてみんな体型がスリムだし、ドッグランで犬を散歩させたりしているんだけど、裏を返せば犬を連れてこないと仕事できない職場ってことですよね。

すごく働きやすい職場なのは確かでしょう。でも、それは仕事自体が非常にストレスフルであるということを穏やかに表現にしているのだと思います。あれだけ居心地の良いオフィスでないと彼らの仕事はこなしきれなくなっているのではないか、と。

――彼らの仕事がストレスフルであるということが、何を示しているのでしょうか?

片山ムーアの法則をご存知ですか。集積回路上のトランジスタ数は18か月ごとに倍になるという考え方です。彼らの仕事はコンピューターを相手にしているわけですから、コンピューターの成長ペースに合わせていかないといけない。そして、18か月ごとに商品の性能は良くなっていく。これは商品を使う側にとっては良いことだけど、開発したり管理したりする側にとってみれば、そのスピードビジネスを合わせていかないといけないということですよね。これは相当ストレスフルなことだと思います。

シアトルを案内してくれた人はしばらく前にMicrosoftをやめたそうですが、「疲れた」と言っていました。これ以上はやっていけないと。そうした過度にストレスフルな環境を生き延びている人たちが、AmazonMicrosoftエリート社員なのだろうと思います。

――本書の下敷きの一つともいえるユヴァル・ノア・ハラリ氏の『ホモ・デウス』には「ユースレス・クラス」という概念が出てきます。人類の中に「無用な階級」が出てくるという示唆ですが、片山さんは本書の中で分断について書かれています。これはコンピューターの発展についていけなくなった人たちがそのユースレスに転落するということなのでしょうか?

片山:そう考えることはできるでしょう。アメリカだとウォルマートで買い物をして、肥満化した人たち。ただ、もしユースレス・クラスが地球規模で出現しても、そういう人たちを肥満化させる体力は地球にはないはずです。

では、地球規模で生まれたユースレス・クラスはどう生きていくのかということですが、僕は映画の『マトリックス』しかないんじゃないか、と。仮死状態になり、バーチャルな世界で幸せになってもらう。エネルギーをほとんど使わない状態で飼い殺しになって、データだけ搾取されるというような方向性しかないんじゃないかと思うんです。ユヴァル氏は「ケミカルに幸せになってもらう」と言っていますが、資源やエネルギーを使わない形で幸せになってもらうという可能性は十分に考えられますよね。

今、人々に自由で平等な幸せをもたらす役割を果たしているのがスマートフォンです。僕はスマホは強力なドラッグだと思っています。それが一台あれば音楽も映画も観られるし、アダルトサイトも見ることができる。おそらくはバーチャルな性行為もできるようになるでしょう。スマホを通して人々の快楽を提供するので、幸せになってください、と。

■人生がAIに帰依する時代の文学の形

――現代はその人がどんなウェブサイトを見たかという行動データを通して、嗜好にあった広告を見せることができたりします。つまり、自分の好みにあるものしか見なくなる時代になっていますが、そういう時代の文学・フィクションはどのように変化していくのでしょうか?

片山:僕たちが「自分」や「私」といっている存在は、AIに置き換わると考えるべきでしょう。もう少し言うと、僕たちが生まれてから死ぬまでの時間はすべてデータ化され、個人がビッグデータの一つの端末に置き換わるということです。

ただ、僕たちには生まれてから死ぬまでの時間しかないのかというと、そうではないですよね。「未生」という生まれる前の感覚、「未来」という死んだ後の感覚もあるはずです。例えば、肉親が死んでしまったときに、その肉親の死後を感じますよね。そういうものを上手く言葉にしていくことが、僕が考える文学になるような気がします。

――それはこれまでの文学の形ではなく…。

片山:これまでにないものになっていくでしょう。これまでの文学はその人が生きていく間を描くものでした。特に近代文学は「自己とは何か」「自分探し」が大きなテーマです。しかし、人生の時間がAIに置き換わり、自分を見つけてくれるのもAIになるわけですよね。Amazonをのぞくと、勝手におすすめの商品を紹介してくれる。それで「自分ってこんなものが好きだったんだ」と気づくこともある。そんな時代です。

となると、これからは僕の言葉で言うと「自己の手前」、自分の生まれる前や死んだ後をどう物語化するのかが問われると思うんです。生まれ変わったり、異世界に転生するアニメライトノベルが話題になっていますが、今後はそのテーマが本格的に文学として書かれないといけません。ドストエフスキー夏目漱石のような作家が登場して、「自己の手前」を本格的に書いたとき、文学は変わるようになります。

それを僕が書ければいいんだけど、どうも賞味期限が尽きそうで(笑)。だから、その方向性だけは提示しておきたいなと。今、提示しておかないと、もう少し時間が経つとそうした問題意識すら芽生えなくなるのではないかと思うんです。それが一つ形になったのがこの『世界の中心でAIをさけぶ』です。

■「宮沢賢治の中には汲み尽くされていないものがたくさんある」

――今、片山さんがおっしゃる「自己の手前」というものを実際に書いている作家はいらっしゃると思いますか?

片山:いないと思います。ただ、手がかりとして宮沢賢治はそういうものを童話で表現しようとした人だったのではないかと思います。僕が一番気になる作家は宮沢賢治で、彼の中には汲み尽くされていないものがたくさんあると感じます。

人間の面白さは、言葉や感性がすごく先に行くことにあります。宮沢賢治は恐竜の化石みたいなものに「わたくしの遠いともだちよ」と平気で言う人ですから、とても新しい感性を持ちながら、古代的な感受性の強かった人なのでしょう。だから、現代の文脈においても新しいものとして読むことができる。

科学は順序を追って発達するものです。あるものがベースとなり、それが発展するという形ですよね。でも、人間の精神を表現する言葉の世界は、平気で数万年の時間を行き来できる。それは数万年前の人間の感覚が、今を生きる僕たちの中にもあるからじゃないかと思うんです。

この本に書いたように、初めて直立歩行をした人は自分の好きな人に食べ物を運ぶつもりだったんじゃないかという感覚は僕の中にもあります。その物語をつくれば数万年、数十万年前の人類のすぐそばまで行ける。まさに言葉はタイムマシンのようなところがあって、そこに面白さがあるのではないかと。

――本書をどんな方に読んでほしいとお考えですか?

片山:どんな人にも読んでほしいです。僕の書いたこと全てに共感できる人はいないと思いますけど、どこかヒントになる部分があればいいなと。

世界では貧困が進んだり、テロや凶悪な犯罪も発生しています。今後もざわついた生きにくい世界になっていくとは思うけれど、その中でどんな世界が来ても大丈夫というものはあるはず。そうしたものを言葉でつかまえていきたいと思いますね。

(了)

『世界の中心でAIをさけぶ』を上梓した片山恭一さん