ステイシーは15歳で生んだ男の子がよりよい生活を送るように、養子に出すという心が痛む決断をしました。あまりに若くて親になる準備ができていないので、赤ちゃんを抱くことなく、悲しい別れをしました。

スティーブン・ストロウンは成長し、好奇心にかられ、彼の実母の証拠を探し始めました。しかし、その時は自分の元の出生証明書は洪水でなくなり、探しても無駄だということを全く知らなかったのです。

2017年11月に、法律が改正され、養子が実の両親の名前が掲載されている出生証明書を入手できるようになり、スティーブンは調査を再開しました。「何年も探しましたが、調査は行き詰まりました」とスティーブンはABC放送に語りました。最後の砦として、35歳で決意を固めると、彼は情報を調査会社に送りました。たったの1ヶ月で、骨の折れる長い調査は終わりました。

写真提供:Stephen Strawn

「とてもホッとしました」とスティーブンはそのときの感想を述べました。母親のステイシーの名前が証明書に記載されていたのです。彼はFacebookステイシーを見つけ、翌日に母親にメッセージを送りました。

「すごく変なことを聞きますが」とスティーブンは楽しそうに質問しました。「1982年男の子を養子に出しましたか」

写真提供:Stephen Strawn

ステイシーは「はい」と答えました。スティーブンは「あなたは私の実母だと思います」とだけ返信しました。二人で会うことを話し合う前に、スティーブンはサプライズを手配する絶好の機会があることに気付いたのです。空軍の退役軍人であるスティーブンは、養母が退役軍人を支援し資金調達する団体であるチームレッドホワイト・アンド・ブルー(RWB)のピッツバーグ支部のメンバーであることを思い出しました

写真提供:Stephen Strawn

ステイシーはピッツバーグ・ハーフマラソンを走る約束をしていました。信じられないことに、スティーブンはRWBオハイオ支部のメンバーであり、自分もレースを走る予定なので、この絶好の機会は逃せませんでした。

ピッツバーグ支部長の助けを借り、スティーブンはメディアがいることを確認し、疑いを持たない母親を驚かせる絶好の瞬間を待っていました。

レースが始まる前に、誰かがステイシーに手書きカードを渡しました。「最後に私に会ってから13,075日が経ちました」とスティーブンのきちんとした手書きでこう書いてありました。「1日たりとも待たせたくありません」。ステイシーの表情がすべて物語っていました。誰が自分の後ろにいるのかが分かり、腕で抱きしめたくなる衝動を押さえました。もらい泣きするような、感動的な再会でした。

「私は本当に言葉に詰まってしまいました」とスティーブンはインサイドエディション誌に語りました。「二人が抱きあっている時に、母親は『あなたを抱きしめたことがなかった』と言いました。心が痛みました」


幸せでいっぱいのスティーブンは、サプライズの準備を手伝ってくれた異父姉妹にも会うことができました。

母と息子は並走してレースを走りきりました。「レースは素晴らしかったです」とスティーブンは後に語りました。「私たちは2時間50分で完走しましたが、スピードを競うものではありませんでした」実際は失われた時間を埋め合わせることでした。 そして、レースの後、家族で楽しくにぎやかなバーベキューをしました。

スティーブンと彼の妻は異父妹の卒業式に招待されたお礼に、ステイシーと彼女の家族をオハイオ州の夏のバーベキューに招待しました。「映画で見るような光景でした」とスティーブンは微笑みました。「すべてが完璧でした」

大紀元日本ウェブ編集部)

(L: Photo courtesy of Stephen Strawn, R: YouTube Screenshot | Thomas Faix Jr)