NHKの朝の連続テレビ小説なつぞら(https://cho-animedia.jp/tag/natsuzora/)
』で、主人公の奥原なつ(広瀬すず)が東洋動画に入社して最初に手がけたのが『白蛇姫』という作品だった。これは昭和33(1958)年に公開された日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』をモデルにしている。当時、東映動画(現東映アニメーション)で『白蛇伝』の制作に携わっていたアニメーターのひとりが、喜多真佐武さんだ。現在発売中のアニメディア9月号では、そんな『白蛇伝』について喜多真佐武さんに語ってもらったインタビューを掲載中。超!アニメディアでは、本誌に入らなかった部分を含めたロング版をお届けする。

――喜多さんが東映動画に入社されたのは昭和32(1957)年のことですが、そもそも東映動画に入社しようと思われたわけではなかったそうですね。

 ええ。私が芸大(東京藝術大学)の彫刻科を卒業して、これからどうしようかと思ったときに、彫刻で食っていくのは大変なのでサラリーマンになろうと思って、(実写映画を制作していた)東映に入ったわけです。東映なら映画関係で美術部があるので、私にもやることがあるんじゃないかという単純な発想ですね。

――それが、なぜ東映動画に移ることになったのでしょう?

 入社したその日に、東映の大川(博)社長から直々に「東映動画という会社ができたので行きなさい」と言われまして……。

――それはすごいですね。大川社長が新入社員にいきなり直接話しかけて異動を指示するわけですか。

 びっくりしましたよ。大川さんという人は、社員に対して人を介して物を言うのではなく、直接本人を見て言うんですね。そういうところが、大川さんのいいところでした。

――よく“ワンマン社長”なんて言われていましたが……。

 そうそう。だから違う意味で“ワンマン”なんですよ。ひとり(ワンマン)ずつ向き合っているんだから。この人はどういう人間か、肌で感じていたのでしょうね。だからみんな大川さんを慕ったのですよ。

――喜多さんはいきなり東映動画への異動を命じられて、抵抗などはありませんでしたか?

 なんのこだわりもありませんでした。「じゃ、行きます」って言って、来ちゃったんです。

――喜多さんが東映動画の第一期生ということなんですね。

 会社は私が入社した前の年からあったのですが、(東映に買収された)日動映画の人たちしか在籍していなかったので、東映動画としては私が第一期生です。日動の人たちは作画スタッフだけじゃなく、企画、演出、録音など20人ぐらいがいました。東映の京都撮影所などからも人が来ましたが、みんなアニメの作品を作ることに関しては素人ですから、最初のころは日動の人たちの言うことを聞いて仕事をしていました。こちらも最初からアニメーションを作ろうと考えていたわけではないですから。その一方で、(のちにスタジオジブリを設立して『となりのトトロ』などを手がける)宮崎駿さんは最初からアニメを作りたいと思って入社していましたけどね。

――当時は「アニメ」ではなく「漫画映画」と呼ばれていたそうですが、喜多さんは「漫画映画」についてどのようなイメージをお持ちでしたか?

 私は好きでしたよ。戦前はニュース映画館に行くと、ニュースの前に『ポパイ』などの漫画映画が上映されるんです。それが観たくて、父親によく連れて行ってもらっていました。日本でも漫画映画は作られていましたが、一般向けに上映されていなかったので、私はあまり知りませんでしたね。まさか自分が芸大を出て、アニメを作る会社に入るとは思ってもいませんでしたよ。

――東映動画に入社されてから、どんなお仕事をされたのでしょう?

 入社してからは、すぐに作画を教えられて、作画のグループに入りました。養成期間は非常に短かったです。子どものころから横山隆一さんの漫画なんかを写して描いていましたから、他人の絵をマネして描く感覚が私のなかにあったんです。だから、抵抗なく他人が作ったキャラクターを描くことができました。最初から自分の絵があった人は難しかったと思いますよ。私はまっさらな状態から始めたのがよかったと思っています。

――彩色の仕事はされましたか?

 いや、最初から作画でした。見学はしましたが、仕事は最初から動画でした。私が入社したころには『白蛇伝』の作画はかなり進んでいましたね。

――同期で作画を担当された方には、どなたがいらっしゃいましたか?

 坂本雄作が同期でした。彼は手塚治虫さんの虫プロに行ってしまったんです。私も誘われましたが、「ちょっと違うな」と思ってお断りしました。

――作画の参考として“クレイモデル人形”を作られていたともお聞きしました。

 『白蛇伝』のときだけですね。あとは、芸大の彫刻科の先輩にあたる今宏さんに引き継いでもらいました。絵は平面ですが、アニメは平面の中でいかに立体に見せるかが大切です。そのときに参考にするためにクレイモデル人形を作りました。ディズニーアニメ映画)を視察に行ってきた人たちが、向こうでもそうしていたということで始めたものです。

――『なつぞら』の劇中では、ライブ・アクションの様子も描かれていました。これは実際にあったのですか?

 ええ、東映に所属していた俳優の佐久間良子さんや水木襄さん、松島トモ子さんがキャラクターの扮装をして演技したものを撮影して、作画の参考にしていたらしいです。役には立ったと思うけど、それに頼っていては時間もお金もかかりすぎてしまいます。アニメーターは自分なりの感覚で立体を捉えてキャラクターを描かなければいけません。フィルムは1秒あたり24コマで動きますが、作画は当時2コマごとに描いていましたから、1秒12コマで、絵を動かしていました。

――『白蛇伝』は作画枚数がとりわけ多かったそうですね。

 (間髪入れずに)大変だったんだよ(笑)。徹夜、徹夜が続いてね。でも、TVアニメの時代は、もっと大変でした。6日で1本のアニメを仕上げなければいけない。作画からトレス、彩色、背景をつけて、撮影、録音までしていると、これは大変な作業でしたよ。

◆『なつぞら』の主人公・なつは、アニメーターの奥山玲子がモデルとされている。東映動画では喜多さんの後輩にあたる女性だ。作画スタッフのリーダーにあたる仲努(井浦新)と井戸原昇(小手伸也)のモデルとされているのは、森康二大工原章。『白蛇伝』の原画はこのふたりがほとんど手がけていたという。

――奥山玲子さんはどんな方でしたか?

 しっかりした女性でした。自己主張もちゃんとする人でしたね。『なつぞら』ではなつが北海道から上京することになっていますが、奥山さんは宮城出身の方で、大学も卒業しています。お兄さんがいるって話も聞いたことなかったなぁ(笑)。

――ドラマとはちょっと違うわけですね。

 奥山さんは絵も器用で、女性を描くと上手でした。

――『白蛇伝』は森康二さんと大工原章さんのふたつのグループに分かれて作画を行っていたそうですね。喜多さんはどちらの班にいらっしゃったのでしょう?

 私は森さんの班ですね。

――劇中に登場するパンダレッサーパンダのミミィなどのかわいらしい動物を中心に作画されていたのですね。ちなみに当時、パンダのことはご存知でしたか?(日本に初めてジャイアントパンダがやってきたのは1972年のことである)

 知らなかったです。中国のお話だからパンダを出したんでしょうね。(構成美術を担当した)岡部一彦さんの目のつけどころはさすがですよ。それに応えた森さんもすごかった。資料もほとんどありませんでしたから、クレイモデルを作るのも大変でしたよ。

――クレイモデルを作る間は、アニメーターの仕事は中断していたのですか?

 いえ、アニメーターの仕事をしながらクレイモデルを作っていました。あと、私が入った昭和32(1958)年の8月には次の新人が入社していたので、アニメーターの仕事を教えることもありました。こっちが教わってから数か月も経っていないうちに、もう人に教えていたんですよ(笑)。忙しくて大変でした。

――設立当時の東映動画の勢いを感じさせるエピソードですね。

 新しく入ってきた人たちは「アニメをやりたい!」という希望を持っている人ばかりでした。私のような人間とは考え方も違うし、押されっぱなしでしたよ。自分を鍛える場でもありましたね。

――森さんのお仕事はいかがでしたか?

 仕事に厳しい方でした。人が描いた原画を受け取ると、黙って直して戻してくれるんです。その代わり「こうしなさい、ああしなさい」なんて細かいことは一切言わない。そういうところが立派でしたね。私は作画監督だったときも、つい文句を言ってしまっていましたから。

――では、大工原さんのお仕事ぶりはいかがでしたでしょうか?

 あの人は妖艶な女性を描くのがとにかく上手なんです。『白蛇伝』の白娘も蛇の化身ですからクネクネッとしていて妖艶なんですよ。それに悪者を描けば、とにかくダイナミックで怖い。すごい才能を持った人でした。森さんと大工原さんは好対照の存在でした。ふたりでなんとか絵を合わせて作画されていました。白娘の妖艶さを見せる場面は大工原さんが描いて、許仙と白娘が会う場面は森さんが描くこともあったようです。ふたりでひとつの作品を作っていた感じがします。

――すばらしいコンビネーションですね。

 そうですね。私と奥山さんは森さん派で、(川島明が演じる下山克己のモデルとされる)大塚康生さんや(のちにエイプロダクション<現・シンエイ動画>を設立する)楠部大吉郎さんは大工原さん派でした。(貫地谷しほりが演じる大沢麻子のモデルとされる)中村和子さんは森さん派。中村さんは女子美術大学(女子美)出身ですが、東映動画には女子美の卒業生がたくさんいました。

――脚本と演出を務めた(木下ほうかが演じる露木重彦のモデルとされる)藪下泰司さんはどのような方でしょうか?

 藪下さんをはじめ、当時の日動から来た方はなんでもオールマイティーにできたんです。そのなかで藪下さんはあまり物を言わない方でした。けっして無口な方ではなかったと思いますが、我々の前では押し付けがましいしゃべり方はしませんでした。当時の現場は大人の人が多かったですね。

◆約7ヶ月の作画期間、原画1万6474枚、動画6万5213枚を費やして、アニメ映画『白蛇伝』は完成した。昭和33(1958)年10月22日に公開され、興行的にも成功を収めたほか、数々の映画賞を受賞するなど作品としても評価され、海外でも高い評価を得ることに成功した。また、『白蛇伝』を映画館で観て東映動画に入社したのが宮崎駿だった。アニメーターを志した若者たちが東映動画に集まり、新しいアニメ作品を次々と作り出す。

――大変な苦労をして完成した『白蛇伝』をご覧になった感想はいかがでしたか?

 それはうれしかったですよ。その後もいろいろな作品を作りましたが、そのたびにみんなで試写をして、反省会をして、ケチョンケチョンに言われて……(笑)。でも、みんな一生懸命でしたから、相手の言うことは真剣に聞いていました。

――原画、動画スタッフの間でのディスカッションはよくされていたのですか?

 それは始終やっていました。仕事がいち段落したら、会議室に集まってああでもないこうでもないと反省会をしたこともありますし、一杯やりながら語り合ったことも何度もありました。物を作るということは、考え方の違う連中が集まって作るんだから、それは喧々囂々となりますよ。人間のやることだから、今も昔も変わりませんよ。

――まだ東映動画の建物も真新しかったと思いますが、制作現場の雰囲気は?

 当時のスタジオは『なつぞら』で描かれたように部署で部屋が分かれていなくて、大きな部屋に原画も動画もトレスも彩色も、みんないたんですよ。衝立はありましたが、立ち上がれば、スタジオ中の全員を見渡せましたね。

――当時のスタジオの様子は『白蛇伝』の予告編で見られますね。

 ああ、ありましたね。そのころは彩色の仕事を担当する女の子が多かったんですよ。私は東映動画でバレーボール部を作ったんです。最初は昼休みに遊びでやる程度でしたが、(東映動画のスタジオがあった)練馬区のほうから大会に出てほしいと言われたので部にしました。

――たしかに『なつぞら』でもお昼休みに女性たちがバレーを楽しんでいました。

 バレー部は今でも続いているんです。ボウリング部とかスキー部とか山岳部とか、ほかにもいろいろな部がありました。会社が部費を出してくれるんです。

――『なつぞら』の劇中では、原画・動画の仕事が終わったアニメーターが彩色の仕事を手伝う場面がありましたが、実際にこのようなことはありましたか?

 小さな会社ではあったと思いますが、東映動画ではありませんでした。彩色は彩色の専門の人を養成して、しっかり分業をしていました。東映動画では各部の交流はあまりなく、むしろ部活動で各部と交流していたんです。私もいろいろな部に首を突っ込んでやっていましたね。ボウリングの平均のスコアは200で、練馬区の大会にも出ましたよ(笑)。

――当時のみなさんの年齢はどれぐらいだったのでしょう?

 みんな若かったですよ。私が大学を出たばかりで、ほかの人たちはもっと若かったりしましたから。日動から来た人にはトレスの進藤みつ子さんや山田みよさんのようなベテランもいましたが、それでも5~6歳上でした。でも、頭は上がりませんでしたね。若いころの5~6歳の差は大きいですから。

――『なつぞら』でも女性は元気があって強かったですね。

 労働組合の活動でも女性が強かったですよ。奥山玲子さんはとくに激しかった。言いたいことはガンガン言うしね。私なんか彼女の言いなりになっていましたから(笑)。中村和子さんもしっかりした女性でした。労働争議は大変でしたが、結束力は高まりました。ただ、組合を作ったので、昇給できなくて頭に来たこともありましたけど(笑)。

――『なつぞら』では、なつが社内で知り合った演出担当の坂場一久と結婚しますが、東映動画の社内の恋愛事情はどうだったのでしょうか?

 そりゃあ、ありましたよ。(『なつぞら』でアニメーション時代考証を担当する)小田部羊一さんと奥山さんも一緒に作品を作って結婚したんですから。宮崎駿さんと大田朱美さんもそうでしたね。大田さんのほうが先輩で年上でした。演出なのに彩色の女性と結婚した人もいましたよ。みんな青春だったね。青春の塊の中で作業をして、自分たちのやりたいことをやって、本当に楽しかった。

――『白蛇伝』をはじめとする東映動画の数々の作品は青春の証ですね。

広報の方 喜多さんの奥様も社内で出会われたんですよね。

――あっ、そうでしたか。

 そうなんです(笑)。フィルム編集の女性だったんです。もとは実写の編集をしていましたが、アニメの編集もすることになって東映動画に来たときに会って、スキーなどに誘って……。

――本当にアニメの青春時代という感じですね。ありがとうございました。

<白蛇伝 Blu-ray BOX(初回生産限定)>
 『白蛇伝』は公開当時、日本初の劇場用長編カラーアニメーションとして話題を集めた。今回、公開当時の映像を4Kマスターとして復元。特典として、復刻B2ポスターなど、当時を彷彿とさせるアイテムが収録される。

東映ビデオより10月9日発売。14,800円(税別)
STORY 白蛇の精・白娘は幼いころ、人間の男の許仙にかわいがってもらった恩を返すため、美しい娘に化けて許仙のもとに現れた。ふたりはすぐさま恋に落ちる。だが、妖怪に魅入られた若者の行末を心配する法海和尚は白娘と許仙の仲を裂こうと決意する。さまざまな事件を経て引き離されてしまったふたり。やっとの思いで白娘は許仙のもとにたどり着いた彼女のもとに、法海和尚が立ちはだかる。

『白蛇伝』公式サイト
https://www.toei-video.co.jp/special/hakujaden/

連続テレビ小説なつぞら』情報>
4月1日(月)〜9月28日(土) 全156回(予定)
<総合>[月~土]午前8時~8時15分/午後0時45分~1時(再)
BSプレミアム
[月~土]午前7時30分~7時45分/午後11時30分~11時45分(再)
[土]午前9時30分~11時(1週間分)
【ダイジェスト放送】
なつぞら一週間」(20分) <総合>[日]午前11時11時20分
「5分で『なつぞら』」 <総合>[日]午前5時45分~5時50分/午後5時55分~6時
※放送予定は変更される場合があります。

脚本/大森寿美男
制作統括/磯 智明 福岡利武
プロデューサー/村山峻平
演出/木村隆文 田中 正 渡辺哲也 田中健

出演/広瀬すず 松嶋菜々子 藤木直人 草刈正雄 他

語り/内村光良

なつぞら』公式サイト
https://www.nhk.or.jp/natsuzora/

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