恋愛において、よく聞く説は、「男性は過去を振り返り、女性は未来を見る」というもの。あるいは「男性の恋愛はファイル保存、女性は上書き保存」というのも聞いたことがある。つまり、男性は一つひとつの恋愛をそれぞれ大切にしておき、女性は一つの恋愛が終わり、次に行く際、以前の恋愛はきっぱり忘れてしまうという。

JBpressですべての写真や図表を見る

 果たして、そうなのだろうか。『火口のふたり』を観ると、男女の恋愛観の差が際立っていて驚いた。

「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」

 離婚して無職の賢治のもとにある日、突然、直子の結婚の知らせが届く。彼女は賢治の幼馴染であり、昔の恋人でもあった。帰郷した賢治は彼女と久しぶりの再会を果たす。どこかよそよそしい賢治と違い、直子は昔のままの距離感で近づいてくる。新生活のために片づけをしていた彼女が取り出したのは賢治が25歳、直子が20歳の頃のアルバムだった。

「なんでこんなもの、取っておくんだよ」
「あの頃のこと、すっかり忘れたの?」
「忘れてはないけど、思い出すこともない」
「私は賢ちゃんのことをしょっちゅう、思い出していたよ」

 再会した二人の会話に「あれ? 過去を振り返るのは男性ばかりではないのか」と身を乗り出してしまった。むしろ、男性の方は「思い出さない」って言い張っているけど、本当なのかしら。もちろん、これは男性の強がりであり、彼が頑なになればなるほど、結婚前の大胆さも手伝ってか、直子はいたずらめかして、誘惑の姿勢を緩めない。

「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」

 直子の言葉をきっかけに賢治は抗うのをやめ、二人は体を重ねる。

 翌日、二人の形勢は逆転。火が点いてタガが外れたようになってしまった賢治に対し、一晩、置いて、すっきりした直子は「一晩だけって言ったでしょ」と冷たく突き放す。過去に戻ってみたら帰り道を見失ってしまった賢治をそのままにして、10日後に結婚を控えた直子は既に前を向こうとしていた。賢治とのことは結婚前の禊、過去への決別の一作業だったのか。やはり、女性は未来を見据えて生きる生き物なのか。

 食い下がる賢治にほだされ、直子は仕方なく婚約者が出張から戻るまでの間の5日間だけと期限を切って、二人は再び20代の恋人時代のように情熱的な日々を送ることになる。

結婚相手とは違う「昔の恋人」の心地よさ

 震災で多くの人の命が失われたことを目の当たりにし、子供を産みたくなったという直子。一人娘の彼女は亡くなった母親の子孫を残したいから結婚を決心したらしい。そんなの、直子らしくないと否定的な賢治。彼の眼に映っているのは20歳の直子のままなのだろう。彼女と再会したことで、当時の気持ち、記憶、感覚すべてが思い起こされる。まさしく保存していたファイルが開かれた状態だ。そのファイルには30歳を過ぎた彼女のことは記されていない。現在の彼女の心境を彼は知る由もないのだ。

 だからこそ、最初、賢治が必死で抵抗していたのもよくわかる。現在の自分は疲れ果てた中年男。直子が夢中で追いかけていた夢も希望もある20代の頃の自分ではない。賢治から見れば、直子は昔のままで、そんなまぶしい存在にいま現在の自分を認められたくないような気持ちもあったのではないか。

 もちろん、新婚生活のための新居に用意された真新しいベッドや布団に怖気づいたこともあるのかもしれない。そんな賢治に「私の勝手でしょ」と直子は肝が据わっている。

 それでも二人は、大人になってからの知り合いのように体裁を整える必要がなく、子供の頃のまま、どんなことも話し、どんな大胆なことも恥ずかしがらず、平気でできる間柄なのだ。会えなかった期間が嘘のように、この世に二人しか存在しないかのような親密な時を過ごす。結婚するであろう相手とは決してこれからも生まれないだろう身近さ、気安さ、心地よさ。このまま、駆け落ちしてしまおうか。直子にとっては賢治に裏切られた過去すらももはや愛おしい。

 夢のような5日間はあっという間に終わり、別れた翌朝、賢治は一本の電話で、直子の結婚式が延びたことを知らされる・・・。

柄本佑と瀧内公美の大胆な演技が光る

 過去の恋愛への執着はいったい男と女、どちらの方が強いのであろうか。

 脚本家である荒井晴彦監督の描き出す世界は扇情的で美しく、賢治と直子、二人の会話の間に観客はさまざまな記憶を呼び起こすことになるだろう。何も隠さない柄本佑と瀧内公美の大胆さも素晴らしい。余談だが、氏の監督作『身も心も』は性描写があまりに艶めかしかったため、下世話だが本当にしているのではないかと疑う人もいたのだが、今回もその衝撃が蘇ってくるほど鮮烈だった(ちなみに『身も心も』で迫真の演技を見せているのは柄本佑の父親、柄本明)。

 試写室の反応は女性の方が断然、いいそうだが、男女で作品の受け止め方が違ってきそうなのは確かである。それぞれで意見を交わすのも面白そうだけれど、夫婦で見ることだけはあまりお勧めしない。

 というのも、この映画を観て、それぞれの脳裏に浮かぶのはきっといまの奥さんや旦那さんとの思い出ではないような気がするのだが、どうだろうか。

『火口のふたり』

8月23日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国公開

出演:柄本佑、瀧内公美
原作:白石一文『火口のふたり』(河出文庫刊)
脚本・監督:荒井晴彦
音楽:下田逸郎
製作:瀬井哲也、小西啓介、梅川治男
エグゼクティブプロデューサー:岡本東郎、森重晃
プロデューサー:田辺隆史、行実良
写真:野村佐紀子
絵:蜷川みほ
タイトル:町口覚
配給:ファントム・フィルム
レイティング:R18+
(c)2019「火口のふたり」製作委員会

公式サイト:kakounofutari-movie.jp/

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  今こそ薦めたいパンデミックがよく分かる映画5選

[関連記事]

自宅待機だから観たい、親子の絆感じる傑作映画5選

なぜマスク不足はいつまでたっても解消されないのか

©2019「火口のふたり」製作委員会