(福島 香織:ジャーナリスト)

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 香港を失いそうなので、深圳(シンセン)を香港の代わりにする気なのか。そう思わせる政策が先日、中国で発表された。

「深圳における中国の特色ある社会主義先行モデル区建設の支持に関する意見」というのを8月9日共産党中央と国務院が党内で通達し、その全容を新華社が8月18日に報じた。長引くデモで、香港の国際金融センターとしての機能、国際ハブ空港としての機能が麻痺した状態が続くなか、香港の役割を深圳に吸収し、かねてからの広東・香港・マカオを一体化したグレートベイエリア構想の中心地にしよう、ということらしい。この政策が、香港と深圳・広東にどんな影響を与えるのか、考えてみたい。

深圳を「先行モデル区」に、その中身とは

 新華社の報道によると、2035年までに深圳経済特区で実施される「社会主義現代化先行モデル区計画」の目標について、この1月に深圳市の党委員会で討論された。この計画のキーワードである「先行モデル区」とは一体何を意味しているのか。新華社によればポイントは8つある。

 1つ目は、5G、AI、バイオ、ITなど先端科学技術イノベーション産業の先行だ。総合国家科学センター、広東・香港・マカオグレートベイエリア国際科学技術イノベーションセンター、国際科学技術情報センター、医学科学院などを建設し、世界の最先端技術のエンジニア、研究者ら人材を集めて国際イノベーションセンターとする。それとともに、高度な市場化、多元的な自由平等などの文化によって経済競争力を増強させていく。深圳を、民営経済を主体とする経済先行地域にする、という。

 2つ目は、深圳への海外人材の誘致および出入境管理制度の先行だ。海外人材を登用するために出入境管理制度をさらに開放的に利便化し、イノベーション企業や科学研究機構の代表にはグリーンカードの取得を許可していくという。

 3つ目は、GEM(グロースエンタープライズ・マーケット)の完成である。再融資やM&Aに関わる制度を研究し、企業の創業を後押しする。これは深圳の資本市場の大改革であり、深圳GEM市場を完成させるという。特に気になるのは、「香港マカオ金融市場との一体化と、金融産品の相互認可、人民元国際化推進のための先行テスト、国境を超えた金融管理監督の創新を探る・・・」といった表現だ。「深圳を外貨管理改革のテストケースにする」という表現もあり、深圳で人民元の売買や送金などの規制が緩和されたり、為替市場の自由化が進められたりするのかもしれない。さらに国際組織・機構を深圳に誘致し、エコ産業の発展を推進し、エコ消費、エコ金融を発展させる。また暗号通貨電子マネーの展開も支援するという。

 4つ目に、グローバル海洋センター都市の先行地にする、という。海洋大学、国家深海科学センター、国際海洋開発銀行などを設立し、国際クルーズのハブ港も建設、船舶旅客の出入手続きの簡素化なども研究する、らしい。

 5つ目に、国有資産、国有企業の総合的な改革テストを行う。国有企業の総合改革テストを深圳で展開し、高水準ハイクオリティの自由貿易テスト区を建設、国際市場にリンクした開放型経済新体制を急いで構築する。これが先行モデル区の核心的部分であり、習近平政権が(というより、共産党体制が)やろうとしてやれなかった国有企業改革を先行して突破するという重大使命が担わされることになるという。

 6つ目は、グレートベイエリア構想の推進だ。深圳を香港、マカオ並みに開かれた港湾にし、深圳、莞東、恵州を連動させ、珠江口東西両岸の連携も促進してグレートベイエリアの管理体制メカニズムを形成する。さらに深圳で就職、生活する香港・マカオ市民には“市民待遇”を与え、スマート都市化を進める。完全なるデジタル所有権およびプライバシー保護のメカニズムを研究し、ネットのセキュリティを強化する。

 7つ目は、深圳を不動産の安定した健全な発展メカニズムの先行地とする。

 8つ目は、基礎教育および医療サービス事業教育の水準を上げる。国際社会にリンクした医療人材を育成する。また海外の医師が深圳で医療に従事できるよう制限を緩和し、国際的先進医療技術のテスト地とする。

 これらの計画は3段階にタイムスケジュールが組まれ、2025年までに現代化・国際化したイノベーション型都市を完成させ、2035年までに社会主義現代強国都市の模範とし、今世紀半ばまでにグローバル基準都市とする、という。

香港はなぜ発展できたのか

 こうした解説を聞くと、ものすごく素晴らしい試みが深圳で行われるような気がする。深圳は元より経済特区としての優遇を受けていたが、それに増して金融・市場の自由化、開放が香港並みになるのか、という期待が盛り上がるだろう。

 ちなみに、中国サイドは、こうした政策方針は今の香港情勢とは無関係、としている。ただ、中国にとっては、国際機関や資金の窓口を香港以外にもう1つ欲しい、というのが長年の願いだった。それが上海なのか、深圳なのかと考えたとき、香港にあったものを移動したり共有したりしやすいという意味では、深圳という答えが出たのかもしれない。

 だが、深圳を香港の代わりにするなら、香港はなぜかくも発展したのか、という点を無視してはならない。

 英国統治時代、香港に民主主義はなかったが、法治と自由はあった。市民のビジネス、生活には政治の干渉がなかったのだ。経済の発展に一番必要なのはまさしく政治の干渉がなく、法治と自由が守られていることだろう。

 中国が2010年に世界第2位の経済体にまで発展した背景には、鄧小平の改革開放路線があった。それに沿って、1980年代90年代、21世紀ゼロ年代は中央政治の経済に対する介入がずいぶん減っていた。もちろん、当時の中国も不自由で法治ではなかったが、金を払えば、イデオロギーに抵触しないレベルの自由は買えた。代わりに共産党の腐敗が深刻化したのだが、習近平政権になって経済が急に減速した背景の1つは、反腐敗キャンペーンである。官僚・政治家の腐敗を無くすということは、金で自由は買えなくなったということでもある。今、もし中国が米国に対抗しうるほど技術レベルや経済規模を持っているとみえるなら、それは習近平政権の成果ではなく、80年代以降続いた改革開放の成果であって、習近平政権の打ち出した毛沢東路線回帰政策は、その改革開放の成果を食いつぶしているに過ぎないと私はみている。

深圳に「一国二制度」を導入?

 深圳に香港並みの市場経済、活発な金融活動を期待するとなると、それこそ香港並みの自由・法治を認めなければならない。だが、それには深圳に香港同様の「一国二制度」を導入する必要がある。「先行モデル区建設支持意見」には、そこまでは書き込まれてはいないが、ひょっとすると、深圳に高度な自治を認める政治特区構想が再浮上しているのだろうか。

 実は胡錦濤政権時代、深圳政治特区構想というのが密かに検討されていた。具体的には、深圳市長を直接選挙で選出し、深圳市民の香港移動手続きをさらに簡素化するなど民主主義のテストを深圳で行うという構想だった。当時の広東省の書記だった汪洋がその任を胡錦濤から直接受けていたと、当時の江沢民派筋の体制内学者から聞いたことがある。だが、上海閥、江沢民派からの激しい妨害、抵抗に遭い、結局挫折した。

 汪洋が政治改革派であることは、たとえば広東省の烏坎村で、“村内政変”ともいうべき烏坎村事件(村民が力ずくで書記らを追い出し、村民選挙で選んだ村長を立てて自治権を奪取した事件)が発生したとき、村民による直接選挙で選ばれた村長を書記に任命したことなどからもうかがえる。

 汪洋をよく知るある体制内学者は、「汪洋は豚である。だが虎を食う豚だ」と論評したことがある。汪洋は比較的誰にでもいい顔をし、おべっかを使うので「豚」と軽蔑されるが、いざと言うときは自分より上位の人間をとって食う虎のような獰猛さを隠し持っている。つまり、ヘタレそうに見えて、かなりの野心家で実力者。だから胡錦濤が広東省を任せ、政治改革の可能性を探らせたのだ、と言われている。今の政治局常務委員7人の中で、習近平とも折り合いをつけながら改革開放への舵取りができるとするなら汪洋ぐらいではないか、と見られている。

 とすると、深圳の「先行モデル区建設」は、深圳での「新一国二制度」を模索することまで視野に入れている、という想像もできるわけだ。

 元清華大学の政治学者の呉強が香港の新聞「蘋果日報」に対して、次のような発言をしている。中国の法律体制と金融センターが衝突すれば、理論的には金融センターにはなりえない。深圳で政治改革がないとするとシンガポールモデルというのがあるが、シンガポールにはコモンローの伝統がある、と。つまり、最低でも「法治」が必要なのだ。共産党が法を無視して企業や市場に命令したりするようでは、絶対に香港の代わりにはなりえない。

中国が迫られる本気の政治改革

 2016年に広東・香港・マカオ一体化のグレートベイエリア構想が国務院内で討議され始めたとき、政治システムの違う地域をどうやって統合するかについて議論が分かれた。つまり、香港が広東に吸収されるのか、香港の影響力をもって広東の改革開放、経済の自由化を促進するのか。今年(2019年)2月に正式に打ち出された方針は「香港の中国化」であり、これが今の香港の「反送中デモ」(逃亡犯条例改正案反対デモだが本質は中国化への抵抗デモ)を引き起こした背景だとも言える。

 しかし、香港デモが継続すると、グレートベイエリア構想も頓挫しかねない。ならば、香港の一国二制度を深圳に拡大するか、あるいは、香港とは違う、新一国二制度を深圳で成功させて、香港に代わるモデルとして提示するしかない。たとえば英国統治時代の香港のような、あるいはシンガポールのような、民主主義はないが自由と法治は約束された都市国家モデルとか。

 ありえなくもないような気もする。だが、もしも深圳に法治と自由を許せば、上海だって広州だって法治と自由が欲しいだろう。チベットだって新疆だって法治と自由を求める。共産党政治とは、法治ではなく党治(=法を使った党の支配)、自由ではなく全体主義がその本質なので、根本的に法治と自由とは相いれない。そこを例外的に、都市レベルで「法治と自由社会」を認め始めたら、さて中国はどうなるだろう。それこそ、中国分裂時代の到来、あるいは体制の大変換のきっかけになるかもしれない。

 実際のところ、深圳の「先行モデル区」構想というのは、そんな大した期待に応えるものではなく、とても香港にとって代わるような機能は作れまい。だが、香港を失うかも、という懸念に直面した中国は、経済や金融の発展を支える信用力というものに何が必要不可欠なのかを、今こそ真剣に考えたほうがいい。そろそろ本気で政治改革に取り組まねば、失うのは香港だけではないかもしれない。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  香港の地位を奪えるか? 深圳にかかる期待と限界

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