8月17日、パラ・トライアスロンのワールドカップは、会場である港区お台場の海浜公園周辺スイムコースの水質が悪化したとして、トライアスロンを中止、ランとバイクだけによるデュアスロンに変更して競技が実施されました。
国際トライアスロン連合からは、1年後に控える東京オリンピックに向けてリスクを減らす環境対策」の強化が求められました。
リスクがあれば適切に中止する・・・あいちトリエンナーレで、アマチュアのガバナンスが判断できなかった適切なディシジョン・メークがここにあります。
いったい何が起きていたのか?
水質汚染の構造要因
まず現象面から確認してみましょう。
8月15、16日に行われた健常者のトライアスロンでは、水質には問題がないとされ、通常の競技が実施されました。
ところが16日午後に実施された水質検査では、大腸菌の含有率が国際基準が定める上限の2倍を超えていることが判明。
最悪に区分される「レベル4」に相当する値が出たため、競技規則にのっとってトライアスロンのスイム競技を中止し、ランニングと自転車競技だけのデュアスロンに変更されたというものです。
2020年の東京オリンピックに際しても、直前の水質検査で基準をクリアできない場合、トライアスロン競技が中止され、デュアスロンに変更される可能性も示唆されました。
念のため確認しておきましょう。鉄人競技として知られるトライアスロンは
スイム 0.75キロ
バイク 20キロ
ラン 5キロ
のメニューをこなしてスピードを争います。
トライアングル=三角同様、トライアスロンとは3種競技といった意味合いの「three」にまつわる競技名。これに対して、デュアスロンは「デュオ」=コンビや「デュエット」2重唱など「two」にまつわる名前ですが、実際の競技は
ラン 2.5キロ
バイク 20キロ
ラン 5キロ
のメニューで、3つのパーツからなりますが種目が2つに減った状態で争われます。
選手が競うべき体力の限界はほぼ同様と思われますが、もし水質にリスクがあれば、危険な水に選手の体を浸して体調をおかしくするような判断は決して取られません。
事前に問題を回避して安全確実に大会を実施するというのは、実に賢明な判断です。
それにしても、1年前の時点でこんなリスクが判明してしまった東京オリンピック、「トライアスロン競技の会場選定に、問題があったのではないか?」という指摘はなされて当然でしょう。
「お台場」という固有名詞は、私たち昭和の高度成長期に東京で育った者にとっては、下水の処理とペアになって知られていたように思います。
私の母は関西=神戸出身で大正末年の生まれでしたが、お台場近郊には子供は水遊びに行くべきではない、というようなことを私が子供の頃、よく言っていました。
母が引き合いに出したのは兵庫県は西宮の「生瀬」という地名でした。いまだに私は訪れたことがないのですが、小さな子供をつれて水遊びに行くなら「生瀬」みたいなところ、お台場は・・・と点が辛かったのを覚えています。
昭和40年代の話で半世紀も昔のこと、お台場がウオーターフロントとして開発されて久しい今日には直接当てはまらないかもしれません。
しかし水質環境工学などの観点から検討する際には、無視できない要素が含まれているようにも思われるのです。
東京の「水の道」を考える
このような事態が発生した原因が、台風10号などによる降雨の影響であること、それによってトイレの下水を含む生活排水が、雨水などと一緒に直接、河川に流れ込み、東京湾に排出されてしまった経緯がすでに報道されています。
いったいどうしてこんなことになってしまうのか?
それを考えるうえでは、都市工学とりわけ水環境工学の大本に立ち返って考える必要があるように思います。
私は以前、こうした分野を全く知りませんでした。しかし、1999年東京大学に呼ばれた直後にメンバーとなった「知識構造化プロジェクト」で、水環境工学の大垣眞一郎さんとご一緒するようになり知見を得るようになりました。
大垣さんは高校の先輩にも当たり共通の恩師の話題などで親しくなったことが縁で興味を持ち、国連メコン川委員会の活動やAIT(アジア工科大学)との連携プロジェクトなども斜め横から見せていただいた時期があり、関連の問題の大本を30代半ばに認識しました。
以下その観点から記します。もしプロがご覧になって瑕疵がありましたら、どうか編集部までご指摘いただければ幸いです。
都市の治水灌漑の本質は、飲料水や、かつては水運による物流や産業用水の確保、そして大雨、洪水などに伴う水害の防止が、歴史的には長年、圧倒的に大きな比重を占めていました。
20世紀前半までの日本には今日でいう下水、特に「し尿」の下水混入の問題はありませんでした。
水洗トイレは存在せず、し尿は貴重な畑の栄養源として、値段がつけられて取引される対象で「肥溜め」から肥桶でくみ出され運び出され、郊外の農家で田畑に栄養を供給する「エコ循環」が成立していた。
私が生まれ育った1960年代の東京都中野区では、隣家の牛の肥がうちの前の畑の隅の穴に溜められていました。
2歳頃だったと思いますが、遊んでいた私はその肥溜めにはまった経験があり、あべなつえちゃんというお姉さんが水道の水で洗ってくれたのを覚えています。
当時のトイレは汲み取り式で、定期的に「バキュームカー」が回収にやって来ました。
幼児の私はこのメカニズムが大好きで、パイプや圧力計器の針が動いたりするのが面白く、大きくなったらバキュームカーの運転手になりたいと言っていたと、後年になるまで親が語り草にしていました。
下水から顔を出したドブネズミと目が合ったりしたこともあります。私にとっては楽しい思い出で、臭いにおいなどは記憶していません(苦笑)。
昭和30年代以降、日本の「戦後成長経済」は、都市の水環境をいくつかの点で根本的に変えてしまいました。
第1は、第2次産業の圧倒的な興隆に伴う大量の「工場排水」の発生。
これは公害という形で、水俣病、イタイイタイ病など全国に多大な問題を生み出し、その解決には長い時間と多大な労力が必要であったことは、いまさら申すまでもないかと思います。
第2は、かつては資源であって「し尿」を、とりわけ伝染病予防の観点から、下水道に混入させ、一括処理する「水の道」のつけ替えがあったこと。
水洗トイレの急速な普及とともに、かつては分量を抑えて物理的に運んでいたし尿類は、むしろ水で薄めてかさを増し、下水処理施設で一括分解するビジネスモデルに、本質的な改変がなされました。
同じ時期、東京では河川の暗渠化が急ピッチで進められます。
これも、蚊などの発生を抑え、衛生を含む観点からなされた面がありますが、太陽の光を浴びることがなくなった地下の水の道は、天然の地下水のような浄化作用もなく、新たな問題を多々生み出し、さらにその2次的な解決ニーズも生み出しました。
トイレの水、し尿というか、もっとはっきり書けば「糞便」ですが、これをそのまま川に排水すると、川は死んでしまいます。
私たちにとっては「排泄物」ですが、大量の有機物の「かたまり」ですから、 バクテリアにとっては「栄養」ごちそうです。
しかし、あまりに多くの栄養が与えられると「富栄養化」の状態となり、赤潮と同様の状態が発生する。
バクテリアは有機物を分解するのに酸素を必要としますが、多すぎる栄養の投入は大量の酸素を必要としますから、結果的に水中の酸素が欠乏して微生物は窒息死、海や川は死の水と化してしまいます。
下水処理には、ばっ気槽(水中に空気を送り込んでバクテリアを活動させる設備)などの高度なシステムが導入され、莫大な電力も消費しながら、エコフレンドリーな水処理が実施されている・・・。
世界最大級の巨大都市、東京の理想的な「水のエコ」は、こんな具合で、結構なコストをかけて維持されています。
リスク回避が生み出すリスク
このような高度な下水処理施設には、当然ながら「処理能」つまり単位時間あたりに処理できる下水量の上限がありますから、それを超える水がやって来たら、処理し切れないことになります。
下水は、一方でこうしたバイオの環境の観点からも整備されますが、他方で土砂崩れ、地盤崩落など、土木治水の観点からも安全を確保せねばなりません。
嵐や大雨などによって一時に大量の水が押し寄せたとき、それらを適切に排除し、都市が水びたしになったりしないよう、対策を講じるのも、公共土木事業の大切な役割にほかなりません。
現在の日本の下水は基本的に
A 雨水などの天然の水
B 工場などから排出される産業排水
C 家庭などから排出される生活排水
の3つが一緒に運ばれる「合流式下水道」で設計されているので、例えば台風で雨水が短時間に著しく増えた場合、下水管ネットワークの途中に設けられた放流口から、容量に余裕がある河川に水の流し替えが行われ、都市が水浸しになる事態を避けるようになっている。
川も下水も、基本は「重力」で「水は低きに流れ」行きます。
細い下水のパイプに雨水が短時間大量に流れ込むと、マンホールが噴水みたいになったり、ひどいときは蓋が浮き上がってしまったり、という水びたしの状況は、ニュースなどでごらんになった方も多いと思います。
私が一番最近目にしたのは、数年前、東京都文京区本郷の東大病院前のマンホールが、5センチか10センチくらいの水の高さではありますが、噴水状態になっているのを目撃しました。
山の手の高台から流れてくる水が、台東区池之端「しのばずの池」近郊のほぼゼロメートル地帯になる最後の手前でせき止められて噴出していたものと思います。
こういう事態を避けるべく、各家庭から排出されたトイレの水も、大雨や洪水の場合には直接都内の河川・・・神田川や妙正寺川などに放流されることで、水害が回避される。
私は以前、新宿区落合に住んでいた時期があります。台風シーズンには最寄の中井駅前を流れる川があふれんばかりの濁流になるのを何度も目にしました。
その水の中には、家庭のトイレから排出され、洪水にならないよう「緊急避難」で放流口に導かれた「そういう水」も含まれている。
いわば「洪水、土砂崩れ」などの物理的な災害を防止するために作られた「セキュリティネット」の下水配管が、大腸菌など、やや大げさに言えば「バイオハザード」を公共河川にダダ漏れさせる「セキュリティ・ホール」になっている。
そういう「水都市東京」が現在でも抱えている「安全性のダブルバインド」の盲点、弱点が「トライアスロン」という競技によって、図らずも明らかになった。
そういう構造的な観点から、ニュースを眺める必要があるように思います。
バラエティではタレントなどが「対策を講じたほうがいいんじゃないですか?」みたいな、何も考えないコメントを垂れ流しているかもしれず、視聴者がこれまた何も考えず同じようにフォローするとしたら、大変良くない、負のスパイラルと言わねばなりません。
東京の水の道をきちんと整えるというのは、そんなに簡単な話ではないのです。
少なくとも今から1年後に迫ったオリンピックに向けて、抜本的な土木治水の改善改良などできるわけがないのは、少し冷静に考えれば明らかでしょう。
下水品質の向上というのは、企画してから第1段階が完了するまで10年単位で時間を要して全く不思議ではありません。
本質的な「インフラストラクチャー」として、私たちの生活の基礎を支えるテクノロジーにほかなりません。
またそれを建設し、維持管理するには、莫大なエネルギー、端的にはくみ上げポンプなどの電力を消費し、要するに原資がかかる。お金が必要だということも、念頭におかねばなりません。
「トリエンナーレ」の無残もそうですが、見積もりの立たない「取らぬ狸の皮算用」で、こういう話題を取り上げ「・・・では、次の話題・・・」などと、流して行くような放送は、リテラシー欠如の「ダダ漏れ」にほかなりません。
むしろ国民の認識を誤った方向に導きかねないものと思います。
国連メコン川委員会は、中国を上流に東南アジアを流れ、人々の生活を支える川であるとともに、おかしな水を飲んだり、そこにいろいろなものを流してしまうと、取り返しのつかないことになる場合もある「水ハザード」に対して、徹底した市民教育の必要性を指摘しています。
また、国連アジェンダ2030「SDGs」17目標の一大ターゲットとしても、安全な水環境の確保と推進は強く謳われているとおりです。
異常降雨や水害に関して、2010年代以降、明らかに日本の気候は「変化」したと言ってよいと思います。
想定外の水量が押し寄せると、東京の下水は必ず「下痢」を起こす。洪水の回避とバイオハザード、2つのリスクのトレードオフが、すでに不可能な段階まで、気候変動が進んでいる可能性を念頭に置く必要があると思います。
20世紀高度成長の延長で設計された、基本的な日本の「水リスク回避」2つの安全、土砂崩れや水害の回避と、伝染病やバイオハザードの回避が真正面からコンフリクトを起こしている。
お台場の「大腸菌」はその本質的な事案として捉える必要があるでしょう。
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