村内さんとはもう20年近いおつき合いで、毎年1月に開いている「BCN AWARD」で「ITジュニア賞」のプレゼンターを務めていただいている。そこでみんなが期待しているのが、少々甲高く裏返り気味の「おめでとうございまーす!」という元気な祝福の声だ。村内さんの場合は、とってつけたように子どもたちをほめるのではなく、心の底からほめたたえているのが分かる。それが、壇上の子どもたちにも、少々とうが立った周囲の大人たちにもしっかりと伝わる。だから、みんな幸せな気分になる。(本紙主幹・奥田喜久男)

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●個人の情報発信によって社会はより民主的になってきた



奥田 村内さんは、いつ頃からどんな動機でブログを始められたのですか。

村内 もともと何かを発信するのが好きで、2000年頃にホームページをつくりました。そうしたら若い社員が「社長、ブログというのがありますよ」といって、04年に私のブログをつくってくれたんですね。それで書いてみたら、たしかにブログのほうが反応が早いし、反響も大きいし、書きやすい。それが自分の性に合って、もう15年間やっています。

奥田 それをmuragon(ムラゴン)として事業化されましたね。それについて説明していただけますか。

村内 muragonは、ムラウチドットコムの100%企画・開発・運営のブログサービスです。無料でユーザー登録ができて、そこでブログ記事を書くことができます。もちろん読者の方は、インターネット経由で、パソコン、スマホ、タブレットとすべてのデバイスで閲覧できます。

奥田 muragonの名前の由来は?

村内 muraが村内の村であり、社会、コミュニティー、人の集まりといったことを指します。gonのgはグローカル。グローバルでありローカルということ。oがオープン、閉じたものではなく開かれたもの、末広がりの世界です。nがナイス、素晴らしいという意味で、世の中に存在するありとあらゆる素晴らしいが集まってくる場所という意味ですね。

奥田 グローカルについて、もう少しくわしく教えてください。

村内 最終的にはmuragonを多言語化して、日本だけではなく、世界中の人に使ってもらおうと思っているんです。それがまずグローバルの意味ですね。そして、例えばフィリピン人がフィリピンフィリピンのことを書くことは、フィリピン人から見ればローカルなんです。私は日本にいて日本語で書いていますけど、それも日本人から見ればローカル。日本だからローカルというんじゃなくて、世界各国、どの地域でもその地域はローカルなんだという意味を含めてグローカルといっています。

奥田 個人が、ブログという情報発信の手段を手にしたことで何が変わったのでしょうか。

村内 誰もが、簡単に自分の思いや考え、体験、作品などを多くの人に伝えられるようになったことですね。ブログ発生以前というのは、それが伝えられなかった。その人にとって一番大事なものを外に出せる。ブログ以外のSNSを含めて、ここが革命的に変わったのではないかと思います。

奥田 その変化によって、世の中にどんな影響を及ぼしたのでしょうか。

村内 情報という意味からは、オープン情報だけでなくクローズドな情報も載っていたり、多様なものにアクセスできるため、人類としての進化に寄与していると思います。これによりいろいろな問題が生じたものの、全体的にはいい方向に進んでおり、より民主的になってきたといえます。

奥田 民主的ですか。

村内 そうですね。民主的でない国は、インターネット情報を制限していますよね。

奥田 村内さんにとっての「民主的」の定義は?

村内 いろいろな人が、自分の思いとか考えをオープンに出し合って、それをお互いに理解した上で、判断が下されたり考え方が形成されることだと思います。特定の人が密室で物事を決めるようなイメージの反対ですね。

奥田 muragonにおける村内さんの役割は?

村内 数多くのブロガーの情報を、できるだけ多く、読者に見てもらえるようにするということですね。せっかく気持ちを込めて書いた記事が見てもらえなかったら意味がないので、カテゴリーごとに整理したり、おすすめを提案したりして、見やすい形でできるだけ多くの人に見てもらい、その情報・コンテンツに接するとその人の人生が豊かになったり、役立つようにするのが私の役割だと思います。


●みんな人間、あなた宝物ブログは魅力的ですばらしい!



奥田 村内さんはブログ事業を運営する傍ら、ご自身がブロガーとしても有名ですね。

村内 せっかくですから一つご紹介しますと、私の人生の中で一番いいものにできたと思ったブログ記事は、「小学生の子どもとかつて差別されていたお年寄りのやりとり」について書いたものなんです。

 東京の東村山市にハンセン病の資料館があるのですが、私がそこに行ったときに、地元の小学生たちが社会科見学に来ていて、そこでハンセン病回復者の平沢保治さんという方の体験談を聞いていたのです。平沢さんは、筆舌に尽くしがたいたいへんな差別を受けてきた方なのですが、お話の後に質問コーナーがあったんですね。すると長い髪の6年生の女の子が「平沢さんの宝物って何ですか」と聞いたのです。そうしたら平沢さんはなんて答えたと思いますか。

 質問した女の子に向かって、即座に「あなたたち、あんたが宝物」と言ったんですよ。

奥田 それは、すごい言葉ですね。

村内 そうです。そんな境地には、とてもじゃないけどたどりつけません。でも、その境地に近づきたいという意識は生まれました。そのときのやりとりを子供たちの後ろで聞いていて、勝手にブログ記事にしたのです。最高の記事が書けたなと思いました。同時に自分自身の指針として、子どもに限らず他者が自分にとっての宝物といえるような社会ができるといいなと、心から思いましたね。

奥田 なるほど、ブログを書くことによって、村内さん自身の中にも変化が起きたわけですね。そんな村内さんですが、これから10年を見据えて、どんなことに挑戦していくつもりですか。

村内 ブログはもう「オワコン」だという声もありますが、そんな声は無視して、muragonを世界一のサービスにしたいということがあります。アクセス数世界一でも売上高世界一でもなく、ブロガーさんが書いた記事を世界で一番大切にするサービスです。AIの技術を利用して、ブロガーと読者を結び付けるために精度を高めたり、投稿された記事の内容をうまく読み取って最適なカテゴリー分けやパーソナライズをし、それをいろいろな人に紹介したり、いろいろなところに表示したり、アーカイブとしてきちんと保存して、いつでも引き出せるようにするといったことですね。

 もう一つ、将来的に考えている事業があるのですが、具体的にはまだお話しできません。いずれにせよ、それは世の中を幸せにする仕事です。それにできるだけ早く挑戦したいと考えています。

奥田 楽しみです。さらなるご活躍を期待しています。

こぼれ話

 「おめでとうございま~~す」。あの甲高くて、とてつもなく大きな声に『BCN AWARD & ITジュニア賞』の会場はどよめき、どっと沸いた。“ドヨメキ”は、館内に爆発的なエネルギーを放出する。今年も1月にBCN AWARDの会場でその元気をもらった。「ありがとう、村内さん」。心の中で頭を下げて、私の一年はここから始まる。村内さんと私はこの時だけ顔を合わせる。目を合わせた瞬間に一年の時がくっつく。時季外れの七夕だ。

 醤油屋から始まった村内家は、電気販売業を経由して今はネット事業を営んでいる。業態を転換しながらも、八王子地域の企業として地元住民の生活に根ざした事業を営むという姿勢は一貫している。「人のために生きる」ことを。言葉にすることはできても、それに徹することはできるのか。難しい生き方だと思うが、どうも村内家の遺伝子というか家訓には“利他”の精神が刻み込まれているようだ。利他の心が根づいているとまでは言い過ぎならば、人の“幸” を意識して動くという心を含んでいると記しておこう。

 ネットの事業は20年になる。現在の主力事業だ。murauchi.com、murauchi.co.jpは村内さんが始めた事業だ。ブログポータルサイト「にほんブログ村」、ブログサービス「muragon(ムラゴン)」、スポーツメディア「Spolete(スポリート)」がある。これらを一枚の絵にしよう。「にほんブログ村」は国のような存在だ。村長の名は「ムラゴン」。村の人たちはブログでネットライフを楽しみ、共有しながらそれぞれ日常の生活を営む。そう、ひょっこりひょうたん島のイメージだ。写真をご覧ください。ムラゴンは村長の名にぴったりですよね。

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

<1000分の第240回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。