8月26日(月)放送の「世界!ニッポン行きたい人応援団」(夜8:00-9:54、テレビ東京系)では、「64年前に生き別れた兄に会いたい」という日系移民の男性と、「線香花火の作り方を学びたい」というアメリカ人男性を日本へ招待する。

【写真を見る】兄弟の出会いに、真鍋かをりも涙があふれ…

アルゼンチンに暮らしている佐藤昌弘さん(72歳)は、先に移住していた親族に父が仕事を誘われたことがきっかけで、小学3年生(8歳)の時に北海道美唄市から家族で移住。

佐藤さんには、移住時すでに就職先が決まっていたため一人日本に残ることになった11歳年上の兄・幸一さんがいた。

30年前に他界した母・サダ子さんも、兄のことをいつも気にかけており、佐藤さんも母を日本へ行かせてあげたかったが「僕たちの仕事では絶対日本に帰れるような余裕なかった」と語る。

母と兄の間で手紙のやり取りはあったものの、サダ子さんが亡くなってからは佐藤さんが日本語を書けないこともあり、音信不通になってしまったという。

兄と再会し、「お母さんがいつも会いたがっていたことを伝えたい」という佐藤さんを日本へ招待する。しかし、手がかりは40年前に兄から届いた手紙の住所のみ。

64年ぶりに見た美唄駅の変貌に、佐藤さんも「ものすごいわぁ」と感嘆。街を歩いて記憶がよみがえってきた佐藤さんは、一緒に来日した息子のサンドロさんに思い出を語りつつ、手紙の住所へ。しかしそこに、兄・幸一さんはいなかった。

佐藤さんの夢をかなえるため、美唄で聞き込みを続けるが、兄と出会うきっかけは、たまたま出会ったタクシードライバーの一言だった。

――「64年前に生き別れた兄に会いたい」日経移民男性のVTRを見た出演者のコメント。

徳光和夫「お母さんが会わせてくれたよね」

高橋茂雄:泣けましたね。

徳光和夫:泣けましたね、本当に。もうどこから話していいのか分からないぐらいに。 こんなハッピーエンドがよかったと思うドキュメンタリーはないね。(佐藤)昌弘さんって人は我々みたいに滂沱(ぼうだ)の涙をしていないでしょう。 だから本当にご苦労されたんだなと。 時々目を真っ赤にされて、それが彼の感動の表現なんだなと思う。 どんな脚本家にも書けないドラマだなと思いました。

織田信成:64年離れてても家族って絶対“切っても切り離せない絆”っていうか、そういうのがあるんだなっていうのが…。お二人が出会った瞬間に、そういう時間が流れたっていうのがやっぱりすごいなって。

眞鍋かをり:これは(亡くなられた)お母さん喜んでますね、本当に。自分の愛する子どもたちが、64年ぶりにああやって仲良くしてるっていうのは、 絶対うれしいなって…(あらためて涙を流す)。

徳光:お母さんが会わせてくれたよね。俺なんか年寄りだから、ふとそう思う。お母さんとテレビ東京が会わせてくれたんだと思います。

高橋:最初ローラー作戦やってるスタッフのこと、アホやなと思いました(笑)。けど、これは...今日のVTRはなんらかの賞を受賞しそうな気がします! 重厚な2時間スペシャルとなりました!

■ 良い線香花火キーワードは「蕾・牡丹・松葉・散り菊」

また、「ニッポンの職人さんに線香花火の作り方を学びたい」というアメリカ人男性・ベンさんを二ッポンへ招待。

90年以上の歴史を持つ、ニッポンに2社しかない線香花火の製造元・筒井時正(ときまさ)玩具花火製造所へ向かう。筒井さんの手がけた花火を見て、その種類の多さと美しさにベンさんは感動し、「ニッポンの職人さんが手がける線香花火はこんなに美しいんですね!」と大興奮。

線香花火の魅力を知ってもらうために作ったという線香花火専用部屋で、ベンさんも初めてのニッポン線香花火を体験することに。筒井さんいわく、良い線香花火は火の玉が落ちず、「蕾・牡丹・松葉・散り菊」という4段階の変化が楽しめるという。

線香花火を作り上げる匠の技を見たベンさんは、気持ちを抑えられず見よう見まねで線香花火作りに挑戦。しかし、なぜか火花は出ない。美しい線香花火の火花には、紙のより方一つにも工夫が。

そんな日本が誇る職人技を学び、さらに北海道余市町では、花火コンテスト常連の球屋北原煙火店の打ち上げ花火を堪能し大興奮する。(ザテレビジョン

8月26日(月)「世界!ニッポン行きたい人応援団」で涙を流す徳光和夫