小室圭さんが卒業した米ニューヨークのフォーダム大学はイエズス会系の名門私立大学として知られています。現在は夏季休暇中で、秋に編入するというJDコースを修了すれば、法務博士の学位が与えられます。米国の主要なロースクール(JDコース)の奨学金の基準とは、どのようなものでしょうか。高額と言われている授業料を免除してもらうことは、一般的なのでしょうか。

 今回は、ニューヨーク州弁護士のリッキー徳永(徳永怜一)さんに、米国弁護士資格の実態について伺います。徳永さんは日本の大学を卒業後、単身渡米し、ルイジアナ州ニューオリンズのTulane University Law School(LLM)に留学。ニューヨークに拠点を移して法律事務所で7年間勤務し、米国現地企業や日系企業に対する法的助言や契約書などの作成を担当しました。現在は外資系IT企業に勤務しています。

奨学金の給付条件と基準

 奨学金は各ロースクールによって方針や給付条件が異なり、日本人のような留学生でも利用できる奨学金があります。米国で奨学金といえば通常は「給付型」で返済不要です。「給付型」奨学金には、「メリット型奨学金」という学業成績や秀でたリーダーシップ、特技などを考慮して与えらるものと、「ニード型奨学金」という経済的必要性を考慮して与えられるものがあります。

 以下の通り、ロースクールによってその扱いは異なり、多くの学校でどちらか、またはその両方を給付しています。主要な米ロースクールの奨学金給付状況を見ていきます。

ニューヨーク大学(NYU)ロースクール>

「NYUはニューヨークのマンハッタンにキャンパスを構える、全米屈指のトップ校です。同校には年間授業料約690万円の一部か全額が免除になる返済不要の奨学金があります。対象は在学中の学生及び入学予定者です。奨学金の給付は一括ではなく各学期ごとに均等に割り振られます」(徳永さん)

「ロースクール2年目終了時の夏休み中に、インターンなどで約158万円以上の収入がある場合、3年目の奨学金が40%減額されることがあります。奨学金の条件として事前のオンライン申請で、財政状況等を開示する必要があります。開示内容として主に両親の収入と資産状況を提出しなければなりません」

 ニューヨークといえば、住居費が高いことで有名です。奨学金を得ていても、学生たちはルームメート数人で賃貸物件に住み、家賃をできるだけ抑えるなどの工夫をしているようです。

<デューク大学ロースクール>

「デューク大学はノース・カロライナ州のエリート校。『リサーチ・トライアングル』という学術都市に位置し、恵まれた環境で勉強でき、物価も比較的安価といえます。広大なアメリカは地域によって物価がかなり違うため、留学先を決める際に物価を考慮することが大切です」

奨学金は授業料しか給付されないため、家賃や食費などの生活費は自分で賄わなければなりません。私はルイジアナ州ニューオーリンズで学生生活を送りました。その土地を選んだ大きな理由が物価の安さです」

 同校ではメリット型とニード型両方の奨学金が用意され、年間授業料約690万円の一部か全額が免除になる返済不要の奨学金があります。メリット型は卓越したリーダーシップと成績が必須で面接試験があります。財政状況を開示する必要はありませんが、ハードルはかなり高く、毎年わずか数名しか獲得できないようです。

<イエール大学ロースクール>

大統領ノーベル賞受賞者を数多く排出し、最高峰とされているイェール大学。同校はニード型奨学金のみで、年間授業料約670万円の一部か全額が免除になる返済不要の奨学金があります。審査の際に詳細な財政状況を開示する必要があり、学生本人と家族による負担および教育ローンも組み合わせることが要求されます」

「両親の収入に応じて細かい負担額が算出され、それをもとに給付額が決まります。審査は細かく、各種証明書類を提出しなければなりませんが、それは経済的理由で教育を諦めてほしくないという大学の理念があるからなのです」

奨学金に関するまとめ

 米ロースクールには、多くの種類の奨学金が用意されています。奨学金の制度を正しく理解して上手に利用し、学業に専念できるのが米ロースクールの良さとも言えます。JDを目指すことも選択肢としては十分にありうるということでしょう。

「私はLLMのみでしたが、ニューヨークで弁護士としての実務経験があります。JDでもLLMでも、ニューヨーク弁護士資格に違いはありません。資格を生かせるかどうかは本人次第ですが、JDを取得するメリットは大きいといえます」(徳永さん)

 ますますダイナミックになる国際化社会。日本人がニューヨーク州弁護士になり、国際的なリーダーとして活躍する日は近いのかも知れません。

コラムニスト、明治大学サービス創新研究所研究員 尾藤克之

小室圭さん(2018年6月、時事)