小説「百の夜は跳ねて」が第161回芥川賞候補に選ばれ、惜しくも受賞を逃した社会学者の古市憲寿氏(34)。


 2018年に「平成くん、さようなら」で第160芥川賞候補になり、今回2回目のノミネートでした。自身もツイッターで「ちーーーん。」「まただめだった!!!」とツイートしています。


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 小説は、高層ビルが立ち並ぶ東京を舞台に、ガラス清掃員の青年とガラス越しに目が合った老婦人との不思議な交流を描いたもの。
 ですが、『文藝春秋2019年9月号に掲載された芥川賞選考委員たちによる選評が、かなり辛辣(しんらつ)だとSNSで大きな話題になっています。


古市氏といえば、テレビコメンテーターとして引っ張りだこ。そのシレッとしたコメントは度々炎上しながらも、“本音キャラ”として人気です。世渡り上手に見える古市氏が、正面から酷評された芥川賞の選評は、文学の枠を超えて注目を浴びることとなりました。


◆当初は「パクリ疑惑」も…酷評ぶりがネットで注目
古市氏の芥川賞落選ツイートには、「面白い」「読後感が心地よい」「自分を重ねて読んだ」などとファンの声援も多く、書評などではセカイノオワリ・藤崎彩織や政治学者の三浦瑠麗氏、書評家の豊崎由美氏や大森望氏も賛辞をおくっています。


 一方で、芥川賞選考委員のプロ作家たちは厳しい評価。そのひとつの要因は、古市氏の小説が「参考文献」として、木村友祐氏の小説「天空の絵描きたち」(『文學界』2012年10月号掲載)を挙げていたことで、複数の選評が「天空の絵描きたち」との関連をネガティブに指摘していたのです。


 『文藝春秋』に載った酷評のキャプチャとともに投稿されたツイートには、1万を超えるイイネやリプライが付きました。
 要するに、古市氏の小説が選考委員たちにこっぴどく酷評されて、「パクリ疑惑」まであるようだ……ということを、「ザマーミロ」と喜んだ人たちがたくさんいたわけですが、日頃から「なんかテレビでの古市、気にくわない」ということで、作品を読んでいない人も多いと思われます。



古市憲寿「百の夜は跳ねて」 新潮社



 芥川賞選考委員8名の選評を読んでみたところ、古市作品を一番に推したという奥泉光氏は<選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、だいぶ弱った>と書いています。では、一体どれほどまでに酷評されているのか。『文藝春秋2019年9月号に掲載された選評の一部を引用して紹介します。
 
◆「哀しくなって来る」「盗作とはまた別種のいやらしさを感じた」



文藝春秋2019年9月号



 8名の選考委員のうち4名が参考文献の件に触れていました。
 山田詠美氏は、参考文献の「天空の絵描きたち」を<候補作よりはるかにおもしろい……どうなってんの?><いや、しかし、だからといって、候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る>としています。


 山田詠美氏と同様に<わたしは悲しかった>と評したのは川上弘美氏です。川上氏は「古典」ではない小説が参考文献にあげられていることに驚き、その作者である木村友祐氏の声がそのまま古市作品の中に消化されず響いていると、強い影響を指摘。


小説家が、いや、小説に限らず何かを創り出す人びとが、自分の、自分だけの声を生みだすということが、どんなに苦しく、またこよなく楽しいことなのか、古市さんにはわかってないのではないか>
<古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います>と綴っています。


 吉田修一氏は、<本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた。ぜひ読み比べてほしいのだが、あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う>と厳しく指摘。


 これらの選評に対してSNSでは、「パクリよりタチが悪いと言われているようなんだけど……」、「出版されていない小説を探して翻案して小説を書いたなんてヤバい」「『え、なにがいけないんですか~』って、言ってる顔も思い浮かぶわ」などと多くの声が飛び交いました。


◆参考小説の作者はパクリ疑惑を否定したが…



木村友祐「幸福な水夫」未来社



 騒ぎが大きくなり、参考文献としてあげられた「天空の絵描きたち」の作家、木村友祐氏がツイッターを更新。古市憲寿氏の「翻案」疑惑を以下のように否定しました。


<「〈要するに、古市さん、文芸誌に掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである〉
 違いますよう。古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。>


<窓拭きの細部以外は、ぼくの作品と古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、“知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家”ではありません。知名度はないけど。>


 ですが、経緯はどうあれ、両作を読んで「古市さん、これはアカン」と判断した選考委員が複数いたわけです。


◆古市氏は沈黙


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 古市氏は、選評や、参考文献の影響について現時点ではコメントしていません。選評が出る前の「古市憲寿芥川賞“連敗記”」(「週刊新潮」8月1日号)では、小説に込めたものについて下記のように書いています。


「(自身の前作『平成くん、さようなら』)の主人公は虎ノ門のタワーマンションに暮らす富裕層の若者。一方の『百の夜』はタワーマンションを外側から清掃する肉体労働者でワンルームアパートに暮らす。


(中略)僕自身の生活スタイルはどちらかといえば『平成くん』寄りだ。だけど『百の夜』の世界に共感できないかというと、そんなことは全くない」


「『百の夜』の執筆中には、違う世界にいる『僕』のことを考えていた。もしも違う大学に入学していたら。もしも大学院に進んでいなかったら。もしも本を出版できていなかったら。
 その人生がどうだったかは想像するしかない」
 
 SFC慶應大学湘南藤沢キャンパス)から東大大学院を出て“富裕層の若者”になった古市氏が、ビルの窓を拭く人生を想像して物語を書くーー。その想像力に小説家としての根本が問われるわけですが、選評で吉田修一氏は、小説の主人公価値観に<唖然(あぜん)とする>と述べています。


タワーマンションの上層階に住んでいるのが上流で、下層階は下流? 高層ビルの中で働いている人が優秀で、外で働いている人が劣等?
 もちろんこのような凡庸で差別的な価値観主人公を小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしあり、ともすれば、作家としては致命的ではないだろうか>。


 他者への想像力が足りないということは、実は、古市氏の小説以外の発言でも批判されたことがあります。それが、軽やかな“本音キャラ”としてテレビ的にはウケているのかもしれませんが…。


古市憲寿氏の小説2作を読んでみた



古市憲寿「平成くん、さようなら」文藝春秋



 さて、そんな古市氏の小説を、イチ読者として前作とあわせて読んでみました。


 まずは、初小説にして芥川賞の候補にもなった「平成くん、さようなら」。


 平成を象徴する人物としてメディアに取り上げられ、UberGoogle Homeを使いこなす現代的な生活を送る「平成(ひとなり)くん」が主人公安楽死が認められているというパラレルワールドを舞台に、平成の終わりと共に安楽死をしたいと考える平成くんと、それを受け入れられない恋人の物語です。


 この主人公、ハイブランドを着てタワーマンションに住み、性行為が苦手でセックストイを活用……など、読み進めるにつれて古市憲寿本人に脳内変換されていきました。


 時代が猛スピードで進化していくなかで、死についてはまだまだアンタッチャブル。社会学者だからこそ描けたエンタメ作品ではないでしょうか。また、この作品はド直球なラブストーリーでもあり、あの古市氏がこんな人間臭い物語をつむぐなんて! という発見もあり楽しい読書体験でした。


 そして、2度目の芥川賞ノミネート作、「百の夜は跳ねて」。


 前作より小説として進化しているという感想が多く見受けられたように、より「文学作品!」という趣(おもむき)でページをめくる手が止まりませんでした。


 高層で窓を拭きながら、同乗している女性清掃員に男性器を刺激される描写や、高層マンションに住む住人のこと、窓掃除の仕事をしている同僚に対して上から目線主人公に、古市節(ぶし)を感じました。


 一気読みするほどのめり込んだ古市作品ですが、選評委員の評を読むと、文学界のプロの目線はさすがで、素人目には分からなかった部分にザクザクと切り込んでいてさすがだと思いました。


 実は、慶應義塾大学の入試で詩の賞をとったことをアピールしてAO(アドミッションオフィス)入試で合格している古市氏。小説家として今後どんな物語を生み出すのか楽しみですね。


芥川賞3度目の正直なるか?
 というわけで、今回の芥川賞選評から広がった「パクリ騒動」は、参考文献の作家本人が否定したことで、騒ぎは沈静化しつつあります。


 とはいえ、大作家たちに「ものを創り出そうとする者としての矜持にかける」「作家としては致命的」とまで評されてしまった古市憲寿氏。3度目の芥川賞候補入はあるのか!?次の作品にも注目が集まりそうです。


<文/満知缶子、女子SPA!編集部>


【満知缶子】ミーハーなライター。主に芸能ネタ、ときどき恋愛エピソードも。



古市憲寿「百の夜は跳ねて」 新潮社