(福島 香織:ジャーナリスト)

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 中国で豚肉を中心とした食品物価の高騰が著しく、一部では“豚肉パニック”といった様相になっているらしい。

「中国では今、豚肉を買うのに身分証明書がいる」「豚肉制限令が出て、1日2キロまでしか豚肉を売ってもらえない」・・台湾の報道バラエティ番組が、中国の“豚肉パニック”をこんな風に報じていた。さすがにこれは、誇張のし過ぎだ、でたらめだ、と中国のネットユーザーが一斉に反論していたが、一部で豚肉購入制限が出ているのは事実で、豚肉不足と高騰が各地で確かに深刻だ。

購入量制限で庶民はパニックに

 今年(2019年)4月以降、湖北、安徽、四川、福建などの29省の一部地域で豚肉価格補填制度が導入されており、その中には、買い占め防止のために豚肉購入量の制限と身分証明書の提示が決められている地域もある。

 福建省三明、莆田の両県では豚肉の品不足と高騰があまりにもひどいことから、中秋節、国慶節にむけて、豚肉に対する補助金制度や購入制限措置を導入すると発表した。

 三明市の明渓県では、8月17日から10月7日までの週末と中秋節、国慶節には豚肉価格を平時価格に戻して発売するという。また莆田県荔城区では9月6日から豚肉4種(リブ肉、赤身肉、もも肉、ヒレ)に関してキロ当たり4元の補填金をつけるという。ただし両地では豚肉補助をつける代わりに、購入量を1人2キロまでに制限。この補助と制限を受けるためには、購入時に身分証明書が必要、という。補填最高額は1人当たり月額31元を限度とした。

 この措置が発表されたとたん、地元の庶民はパニックに陥り、スーパーにつめかけたり、電話が殺到したりしているらしい。このあたりを、台湾のバラエティ番組が面白おかしく報じたら、中国ネット民たちが激怒した、というわけだ。

庶民の不安はかなり深刻

 福建省の一部地域の対応に話を戻すと、明渓県は物価調整資金として県の4社のスーパーに対して20万元の豚肉用補助金を捻出したという。

 明渓県ではどのスーパーも1日の豚肉4種の販売量を計600キロ(ヒレ、もも肉それぞれ200キロ、リブ肉、赤身それぞれ100キロ)に制限している。消費者は1日の購入量を1人あたり2種類の肉をそれぞれ1キロまでに制限される。

 肉の販売の身分証提示や購入量制限については、安くなった肉の買い占め防止になるとして肯定的に受け入れられており、現地紙は「この政策に感謝している」という庶民の声を報道している。でも、豚肉を自由に買えないこの政策を「豚肉配給制か」と思う人もいるだろう。まあ、日本のスーパーの、お買い得品を「1人2個まで」に制限するキャンペーンと同じと言えば同じかもしれないが。

 浙江省、江西省、江蘇省、広東省はまた違う政策を立てており、養豚家への補助金などを打ち出している。浙江省は7月1日から12月31日までの期限をきって、養豚農家に対して豚1頭あたり500元を支払うという。

 また先日の国務院常務委員会では、アフリカ豚コレラ問題が完全に収束していない中で各省に養豚ノルマを課す形の養豚業強化政策を打ち出した。こうした政府側の対応をみても、中国の豚肉をめぐる庶民の不安がかなり深刻であるということは間違いない。

完全に制圧できていないアフリカ豚コレラ

 背景には、アフリカ豚コレラ、米中貿易戦争、中国のもともとの畜産と食肉流通システムの矛盾などの複合的要因がある。

 アフリカ豚コレラは昨年8月に発生して以降、あっという間に中国で広範囲に蔓延し、今も完全には制圧できていない状況だ。中国の報道ベースでいえば、昨年8月初めから2019年7月3日までに、中国でのアフリカ豚コレラの発生は143カ所で、116万頭以上が殺処分された。

 国家統計局のデータでは、2019年1~6月、全国の生きた豚の出荷数は3億1346万頭、前年同期比で6.2%下降した。養豚場にいる生きた豚の数は3億4761万頭で、前年同期比で15%減少。ちなみに中国市場の年間の豚肉生産量は5340万トン規模、輸入量が120万トン(2017年)だ。中国の豚肉消費の全体規模が大きすぎてピンとこないかもしれないが、国際貿易における豚肉取引量が年800万トンというから、たとえば中国で豚肉生産量が15%減った場合、中国人が豚肉を食べ続けようと思うと、国際市場に流通する全豚肉を中国が買い占めてもその不足分を補えない、という話になる。

 末端の豚肉価格でいえば、中国農業部が公表したところによると、8月16~22日の豚肉卸値はキロ当たり平均29.94元で、その1週間前と比べると11%上昇、前年同期比より52.3%上昇した。4、5、6、7月の上昇率は前年同期比で、それぞれ18.2%、14.4%、21.1%、27%という。去年20元だったトンカツ弁当が今年は30元以上するような感じだ。

 しかもアフリカ豚コレラが完全には制圧できていないのであれば、いつぶり返してもおかしくない。中国当局は、アフリカ豚コレラワクチン開発が実験段階に入っている、としているが、しかし実用化までには8~10年かかるとしている。今は、アフリカ豚コレラ罹患豚を見つけたら、ただ安全に処分し完全に流通を封鎖するしかない。

 2018年のアフリカ豚コレラの影響は、単に養豚数や出荷数が減少するだけでなく、養豚家・養豚企業の激減を引き起こしており、中国の養豚産業全体を揺さぶっている。

 今年3月までに供給量が減ったため、生きた豚肉価格が急上昇した。だが4月に入ると、アフリカ豚コレラの感染地域が気温の上昇にともない北上してきたため、北部の養豚企業が、感染域が来る前に手持ちの豚を売り切ってしまおうと投げ売りを始めた。同時に、その地域の消費者は、コレラにかかった豚肉は食べたくないという心理から豚肉を敬遠するようになり、豚の需要が下落、今度は生きた豚の価格が暴落した。6月に入って、生きた豚の繁殖率の低下とともに出荷量が減少し、全国でまたまた豚肉価格が高騰。8月、豚肉の値段はピークを迎えた。

 養豚の繁殖と出荷は少なくとも半年前後の周期があり、短期間で供給量の不足を緩和するのはかなり難しい。豚コレラを恐れるあまり、母豚から子豚まで投げ売りして、養豚を廃業する企業や農家も続出した。豚肉価格は9月さらに上昇し、高止まりの状態でしばらく継続するとみられている。

 こうした豚肉価格の激しい変動によって、弱小な養豚農家は淘汰されていく。一方、いわゆる「養豚株」と呼ばれる畜産・農業企業の株は、政府がテコ入れするとの期待もあって2019年から高騰を続けている。ただ、かつて「第一豚肉株」と呼ばれた雛鷹農牧は2018年に不正会計問題が発覚し、さらにアフリカ豚コレラが重なり、30億元以上の赤字のために豚の飼料が買えずに大量の豚を餓死させたとも報じられ、上場廃止が決まっている。

 豚肉高騰のもう1つの要因として、当然、米中の貿易戦争がある。英BBCが報じているのだが、米国農業省によれば中国は8月2日から1週間の間、米国産豚肉1万トンを購入。これで中国は8週連続で米国から豚肉を大量購入したということになる。米国は8月1日に、1カ月後に3000億ドルの中国製品に10%の追加関税を1カ月後に実施するとアナウンスした。中国側はその対抗措置として、豚肉を含む米国の農産品に10%の追加関税をかけると発表している。追加関税がかかる前の駆け込み豚肉購入、というわけだ。

中国庶民の不満はどんな形で弾けるのか

 こうした状況に 中国国内メディアは「養猪喫鶏」(養豚しながら鶏肉食べよう)などという意見で、今年上半期の鶏の出荷が前年同期比15.8%増の42億羽、鶏肉生産量に換算すると6637万トン(同13.5%増)となったことなどを報じている。

「豚肉が高いのなら鶏肉をたべれば?」という、まるでマリー・アントワネットが「パンがないならケーキをたべれば?」と言ったみたいな話なのだが、そうは簡単にいかない。もしもそのとおりに豚肉から鶏肉に切り替える人が増え続ければ、鶏肉と卵も値上がり続ける。養鶏企業、養鶏農家にとっては儲けのチャンスということで「養鶏株」も値上がりしているが、養鶏には養鶏で、鳥インフルエンザリスクの流行という極めて高いリスクもある。2018年1~8月は全国で鳥インフルエンザが流行し、鶏肉価格が暴落したことがあった。

 豚肉上昇を揶揄するような、こんな小話が中国の微博で流れているそうだ。

「早朝に油条(揚げパン)を買いに行くと1本2.5元という。昨日2元だったじゃないか?というと、おばさんは、豚肉が高騰したからね、と言った。豚肉の高騰と油条の値上げとどんな関係があるの? というと、おばさんは、私が豚肉を食べたいからだよ、という」

 豚肉高騰は豚肉だけの高騰ではなく、生活物価全体を引き上げる。中国統計局によれば、豚肉価格の上昇が他の食品価格を吊り上げる効果によって、7月の消費者価格指数(CPI)は前年同期比2.8%上昇。このうち豚肉価格が27%上昇したことがCPI全体を0.59ポイント分引き上げたという。

 ここに人民元の急落が重なっていけば、中国で急激なインフレがおきるという予測もある。経済官僚たち恐れているものの1つは、言うまでもなく中国のハイパーインフレだ。

 ちょうど30年前の1989年、学生の民主化運動が大規模化したことの背景には、1986年から89年にかけてのハイパーインフレによる庶民の生活苦や不満があった。ひどいインフレは、デモやときには暴動を引き起こす。

 しかも、今の中国のインフレは食品領域に限定されていて、その他の分野はむしろデフレ。つまり給与が上がらないのに食品代がかさむという、庶民にとっては最も苦しいスタグフレーションに陥りかけている。

 目下の中国当局サイドの反応を見るに、米中貿易戦争が今後うまくいく見込みはほとんどない。中国国内でデモや暴動の公式報道はほとんどないが、香港では反送中デモが日に日に激しくなり、これが中国にどのような影響を与えるのか、世界は固唾をのんで見守っている。香港議会では、親中派議員が香港法令にのっとった「緊急情況規例條例」(緊急法)を制定してデモを制圧すべきだという主張まででてきた。これは事実上の「戒厳令」と同じという批判が出ている。

 いたるところで緊張が極限まで張りつめている中で、中国庶民の生活物価高に対する不満がどういう形で弾けるのか、弾けないのか。チャイナウォッチャーとしては目が離せないのである。

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