35人の死亡者と33人の負傷者を出した、2019年7月に『京都アニメーション』(通称・京アニ)第1スタジオで起きた放火事件。その傷跡は深く、いまも大勢の人々が悲しみのふちに沈んでいます。

事件後は、各メディアが事件の詳細を報道。被害者の実名報道をするところもあり、疑問を感じる人たちから批判の声が上がりました。

被害者の実名報道が賛否両論を巻き起こす中、作家・森博嗣さんのブログがネット上で話題に。森さんが『現在の報道のありかた』に苦言を呈し、議論の的になっています。

被害者の実名報道に「被害者をさらし者にしている」

事件の起こった当初、メディアは遺族から公表の同意を得た被害者の実名のみ報道。京アニも、遺族の同意を得ていない被害者についての実名報道は控えるように、報道機関に申し入れていました。

しかし、同年8月27日京都府警が亡くなった35人全員の身元を公表。公表を拒否していた一部の遺族の意向を汲まない形となるものの、「公益のために公表したほうがいい」との判断が下されました。

被害者の身元が公表されたことを受け、京アニは同日に公式ウェブページを更新。報道機関に対し、再度このように配慮を呼びかけました。

なお、弊社は警察及び報道に対し、本件に関する実名報道をお控えいただくよう、書面で申入れをしておりました。

遭難した弊社社員の氏名等につきましては、ご家族・ご親族、ご遺族のご意向を最優先とさせていただきつつ、少なくともお弔いが終えられるまでの間は、弊社より公表する予定はございません。

京都アニメーション ーより引用

そんな状態を受けてか、2019年8月27日に作家の森さんがブログを更新。『事件の被害者の報道を控えるべき』というタイトルで、このように実名報道についての考えをつづりました。

無差別、大量と見出しにつくような悲惨な殺人事件が起こったときに、マスコミは被害者の名前や写真を公開し、その人生を描こうとします。ほとんど、被害者を晒し者にしている様相です。「見たい」「知りたい」というだけの野次馬根性の極みというか、非常に下品に感じられます。加害者でさえ、限度を超えた情報公開は控えている現代において、被害者の情報は、よりいっそうコントロールをするべきではないでしょうか。

店主の雑駁 ーより引用

「被害者をさらし者にしている」と実名報道について批判した森さん。

続けて、メディアの姿勢に疑問の声を上げています。

そういった感情的なドラマに飛びつきたいのは、マスコミの古くからの習性です。「見たい人、知りたい人がいる。それを伝えるのが報道の使命」という綺麗な言い訳で、商売繁盛の名目を隠しています。涙を誘う報道がほしいから、被害者のことを探る、という「感動作り」にほかなりません。

店主の雑駁 ーより引用

森さんは、メディアが『報道の使命』を盾に使うことに切り込み、実名報道の不要性を訴えます。

また、被害者の詳細を報道をする危険性についても森さんは言及しました。

多くの異常な加害者は、被害者がどれくらい悲惨になり、どんなふうに可哀想になるかを知りたい。どれくらい社会が嘆き悲しむのかを見たい。それが、彼らの手応えなのです。その手応えのために卑劣な犯行を発想し、実行します。したがって、被害者を晒しものにするのは、犯罪者には願ったり叶ったりの行為といえ、まさに犯行の最後の仕上げを幇助しているようなものです。また、それらを見た潜在的な加害者を刺激し、将来同様の事件の再発につながる結果を導くと思われます。

店主の雑駁 ーより引用

犯罪者に『どれだけ社会が悲しんだか』という手応えを与えることになる」と森さんは持論を展開。

森さんの考えに、さまざまな意見が寄せられています。

【賛成の声】

・森さんのおっしゃる通り!

・加害者ではなく、被害者の詳細が報道されるのはおかしいといつも思ってた。

・遺族はほかの人が嘆き悲しむために悲劇を提供することなんてない!自分たちの心が最優先なのは当たり前!

・「この悲劇を知ってほしい」という遺族もいると思う。でも、遺族が実名報道を拒否した被害者の名前まで出さないでほしい。

【反対の声】

実名報道は意味のあること。関係者にとっては必要な情報です。

・被害者の名前を知ることで、初めて「現実で起こった事件なんだ」と実感することができました。

・事件によって報道機関が配慮し、実名報道の有無にバラツキがあったら、それこそ「どうなの?」って思う。

・取材の仕方に問題はあったかもしれない。でも、事件や事故の悲惨さが多くの人に伝わらないと、署名運動とかが起こらず問題の改善につながらないんだよ。

森さんの投稿をきっかけに、多くの人が報道のありかたについて考えさせられたようです。


[文・構成/grape編集部]

出典
店主の雑駁