ブランドの大量買収(1990年代後半)
フォルクスワーゲンのCEOになったフェルディナンド・ピエヒの指揮のもと、4代目へと生まれ変わったゴルフやW型8気筒エンジンを搭載したパサートなどは、フォルクスワーゲンのイメージを大幅に高めた。だが、フォルクスワーゲン単独としては展開に限りもあった。ピエヒは幅広いセグメントをカバーするには、より大きなグループ企業となる必要性を理解しており、1990年代後半になると、様々なブランドをグループ傘下に収めていく。
1998年以降、ロールス・ロイス、ベントレー、ブガッティ、ランボルギーニを次々と買収。2000年にはスウェーデンのトラックメーカー、スカニアを手中に収める。フォルクスワーゲンはロールス・ロイスをBMWへ売却したものの、ランボルギーニとベントレー、ブガッティはいまもグループ企業の中では最高の輝きを持つブランドだ。そしてそのいずれのブランドも、買収後に大きな成功を収めている点は、注目に値するだろう。
フォルクスワーゲン・フェートン(2002年)
ピエヒはフォルクスワーゲンのラインナップにスーパーカーを追加することはなかったが、メルセデス・ベンツSクラスやBMW7シリーズに対抗できるラグジュアリー・モデルを、フォルクスワーゲンも持つことができると信じていた。そしてフォルクスワーゲン史上最も上級志向モデルとなるフェートンが、2002年に投入される。アウディA8と競合するという事実は、問題視されなかっただけでなく、内部競争は前向きなものだと判断し、むしろ歓迎したという。
フォルクスワーゲンはフェートンを、ドイツ・ドレスデンに準備したガラス張りの工場で製造した。かなり野心的なプロジェクトであり、ピエヒが市場を読み誤った、数少ない例のひとつとなった。特に北米でのフォルクスワーゲン・フェートンの販売は燦々たるもので、2006年には北米を撤退するものの、他地域では2016年まで存続した。
ブガッティ・ヴェイロン(2005年)
1990年代、ピエヒはスーパーカーに強い関心を示していた。1991年にはミドシップのアウディ・スパイダー・クワトロ・コンセプトの開発を監修し、量産に向けてゴーサインが出た、という情報には大きな衝撃があった。アウディは翌年にW12エンジンを搭載したアヴス・コンセプトを発表。フォルクスワーゲンからは1997年にW12コンセプトというスーパーカーが発表され、ノルド・サーキットでの記録をいくつか樹立している。だが、いずれのクルマもショールームへは姿を現すことはなかった。
しかしフォルクスワーゲン・グループはブガッティを傘下に収めたことで、極めて富裕層向けのモデル開発に取り組む機会を得る。白紙の状態から開発が始まり、クワッドターボ・エンジンを搭載した1001psのヴェイロンは、2005年のデビュー当時、最も速く、最もパワフルな量産車となった。それは、ブガッティの過去の偉業を称えるだけでなく、1930年代にピエヒの祖父、ポルシェが開発した、アウトユニオン・グランプリカーを称えることでもあった。
ポルシェとの争い(2000年代後半)
ポルシェ家とピエヒ家との確執は、フォルクスワーゲンが2009年にスポーツカーメーカを買収したことで、更に強くなってしまう。しかもフォルクスワーゲンの買収の報道は、ヴェンデリン・ヴィーデキングが長年に渡ってフォルクスワーゲンの買収を計画進めるも、失敗した後に行われたものだった。
ヴェンデリンはフォルクスワーゲンの監査役にも就任していたが、最終的にフォルクスワーゲンから逆買収されるかたちとなり、ポルシェCEOの辞任に迫られる。その際ピエヒは、「射殺されるかわたしが勝つか、どちらかだ」と話している。
XL1(2013年)
自動車市場のすべてのセグメントをカバーするという戦略のもと、ピエヒは超低燃費の都市部用自動車の開発を指導する。1999年に発表されたフォルクスワーゲン・ルポ3Lは、空力的に優れたボディに小型のディーゼルエンジンを搭載することで、33km/Lという非常に高い燃費性能を実現できることを証明していた。
ピエヒはそのコンセプトをさらに発展させ、2002年に発表された1リッターカーは、ヴォルフスブルクからハンブルグまでの距離を1Lで走る燃費性能を誇った。あくまでもプロトタイプでコストも高かったが、ピエヒは量産化を諦めることはなかった。
2009年に発表したL1と、2011年のXL 1コンセプトは、その後の量産モデルXL1への布石となる。流線型のボディに2名乗車の車内を持ち、ディーゼルエンジンによるプラグイン・ハイブリッドを搭載した。XL1はピエヒが目標としていた燃費性能を達成したものの、価格はポロの10倍。当時の価格は11万1000ユーロ(1443万円)で、250台が限定生産された。
フェルディナンド・ピエヒの辞任
2015年、フォルクスワーゲンで当時CEOを務めていたマルティン・ヴィンターコルンとの権力争いの後、フェルディナンド・ピエヒと彼の妻は、フォルクスワーゲンの会長職を辞任する。その2年後、彼が所有していた14.7%に達するポルシェ社の株式のほとんどを、彼の弟のハンス・ミヒャエル・ピエヒへと譲渡した。
1300億円以上の金額を手にしたピエヒだが、自動車業界から完全に手を引く意思表明ともなった。
紆余曲折があったことも事実だが、自動車業界をリードしてきた経緯には改めて感服する。心から哀悼の意を表したい。
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