(廣末登・ノンフィクション作家)

JBpressですべての写真や図表を見る

 筆者は、2010年から全国で施行された暴力団排除条例(以下、暴排条例)に規定されている「元暴5年条項」が、暴力団マフィア化や、暴力団離脱者の元暴アウトロー化を促進するという懸念から、暴力団離脱者の研究を深耕してきた。

糧道を絶たれたヤクザが高齢者を狙う

 警察庁発表の特殊詐欺認知件数等のグラフを見ると分かるが、暴排条例が施行された2010年には1万件に満たなかった特殊詐欺の認知件数は、2017年には、2万件に迫る勢いで伸びており、被害額も約4倍に増えている(毎日新聞2018年2月8日)。

 警察庁が発表した『平成30年における特殊詐欺認知・検挙状況等について(確定値版)』を見ると、認知件数は平成22年以降、平成29年まで7年連続で増加したが、平成30年は1万6496件(前年比-1716件、-9.4%)と減少。また、被害額は363.9億円(前年比-30.8億円、-7.8%)と平成26年以降4年連続で減少。しかしながら、認知件数・被害額ともに高水準で推移しており、依然として深刻な情勢にある。

 最近では、暴力団が積極的な関与を強める特殊詐欺で、異なる組織の組員が協力して犯行に及ぶケースが確認されており、もはや特殊詐欺が、半グレや元暴アウトローだけのシノギではなくなったことが伺える(産経新聞2019年8月22日)。

 つまり、糧道を絶たれた裏社会の住民は、なりふり構わず、高齢者の命金をもシノギの対象としている現実がある。

 現在、暴排条例を最初に施行した福岡県では、様々な暴力団離脱支援が試みられている。昨年では、警察や暴力追放運動推進センターが離脱支援した者、全国で643名の内、福岡県は107名であった。さらに、就労支援した者、全国で38名の内、福岡県は半数の19名であった。

 このような行政主導の暴力団離脱支援や就労による社会復帰支援は、不可欠である。しかし、もともと反目であった当局の支援を忌避する離脱者も存在する。そうした「当局の支援を受けたくない離脱者」に対して、当事者目線で、手弁当ながら暴力団離脱者の社会復帰を支援する中川茂代(仮名)という女性が大阪の下町にいる。

 彼女は暴力団組長の娘として育ち、自身も覚せい剤営利目的有償譲渡の罪で服役した経験を持つ。そうした彼女が取り組む、暴力団離脱者への支援活動とはどのようなものなのか。以下、彼女の活動をリポートする。

元組員らを支える女性

 中川さんは、人伝に訪ねて来る元暴力団組員や、出所者に食事を振る舞い、仕事先として、知人の会社を紹介するなど、様々な相談に乗っている。

 まずは、中川さんと元組員Aとの朝食時の会話を見てみよう。

元組員A 久しぶりや・・・こんな朝ごはん、米とか食べんの。

中川 ごはんぐらいやったら、いつでも作るさかいに、いつでも来てや。

元組員A ありがと

中川 最近どうしてんの、ほんで。

元組員A え・・・。

中川 仕事・・・。

元組員A 行ったり、行けへんかったり・・・なかなか、やっぱり、難しい。

中川 そうか・・・。

Q 中川さんの支援をどう思うか?

元組員A (離脱した)当時とか、みんな寄せ付けへんかったけど、なんか知らんけど、ここだけ(中川宅)には足が向いたね。不思議やね、なんや、分からへんけど。

中川 私、しつこいからちゃうかな。ムッチャしつこいもん。

元組員A (中川さんの)感じがなんか、あっけらかんとしていて、冷たそうで、結構、ちょっと、みんなが怖がる存在。僕も、最初会ったとき、腹立ってケンカしたりしたけど、なんか、優しいとこ・・・見えたんかな、そこで。

中川 一生懸命作って、皆が「おいしい、おいしい」いうて食べてくれたらうれしい。そしたら、また、今度、こんなん作っとくわ、いう感じになんねん。

 次に、中川さんを訪ねてきた元組員Bにも話を聞いた。

中川 久しぶりやん、どうしてんねん、元気してる。

元組員B お久しぶりです。今のとこ、何とか元気にやってます。

Q どんなこと会話されるんですか、会った時とか?

中川 いま、どないしてんの? から始まるし。

元組員B 大概、僕が飯食いに行くことが多いですわ。さっき言うてたように、世話になってる代表みたいな男やからね。(僕は)中川さんが、弟みたいに可愛がっている子の兄弟分やって、それで、知り合った。

 暴力団を離脱後、なかなか仕事に就けず、自暴自棄になっていた男性を救ったのは、中川さんの存在だった。

元組員B 中川さんの、一番ありがたかったことは、助言というか、いつまでもそないなことしてたらあかんと、49歳になった時ですけどね、言われたことですわ。「もう、50歳なるねんから、しっかりしなさい」いうて、親身になって怒ってくれているのも分かって・・・。

中川 いま、愛する人がお腹大きいのやろ。

元組員B それも、あります。そのふたつ。まあ、いいタイミングで、そういうのがあったから、ちょっと頑張ってみようかな思って。ちゃんとした正業には、まだ就いていないけど、なんとか食いつないでいけるかたちですね。

支援を続ける理由

 こうした活動を手弁当で行っている中川さんはどのような女性なのか。中川さん個人にインタビューしてみた。

Q どのようなご家庭でしたか?

中川 おじいちゃんはバクチ打ち、おじさんは武闘派・・・いうか、まあ、ちょっと。で、うちの父親も、どっちかいうたら、人生の半分以上を刑務所で過ごしたような人やから。

 中川さんは、祖父と父親が、暴力団幹部という一家で育った。離脱した組員らの支援を続ける理由は、過去の苦い経験が大きく影響している。

Q 中川さんは、どういう罪名で服役されたのですか?

中川 罪名はね、私は、覚醒剤使用だけと思っていたんやが、営利目的有償譲渡いう罪名ですねん。それプラス追起訴で「使用」やってん。

 覚醒剤事件にからんで服役した中川さん。離婚という代償も伴う結果となったが、その中で、気づいたことがあった。

中川 私が一番感じたんは、やっぱり「外からあなたを待っているよ」いう、私は、母親が、「お母ちゃんだけ、(お前の帰りを)待ってる思うたら、ええねん」と、いつも面会で言ってくれて、それが支えやったから。差入れも、毎日、毎日してもろうて・・・でも、面会に誰も来ない人がいる。大抵、そうやけど、一回も来ない人が居てるんですよ。

 中川さんは、現在、運送会社で深夜のピッキング作業をしながら、助けを求める人たちに、できる限りの支援を続けている。

大阪で広がる理解と支援の輪

 もう一人、中川さんの支援を受けた元組員Cにも話を聞かせてもらった。

元組員C あの、服脱げないとか、一緒にみんなで風呂に入れへんとかね、そういうのもありますし、今も職に就けてへんし、生活保護も受けられず・・・そういうのが(暴力団加入歴)あるいうんは。なんとか、日銭いうか、ボチボチ食べていってるいう感じですね。

 10年ほど前に、暴力団組織を離脱したこの男性も、中川さんの支えに救われたという。

元組員C 贅沢いうか、わがままやけど、(社会復帰は)結局、個人まかせ。出所後に施設があったり、支援するとか警察も言うてるけれど、結局は、見捨てられているようなもんですからね、半分ね。彼女(中川茂代)からは、なんや昔からの友達みたいなことしてもらえてる。

中川 昨日今日でも、10年来の友達みたいになってまうから。

元組員C そう、だから、こっちも、気い許せるいうか、落ち着くし、ものすごく有難いことですね。

 男性(元組員C)は、薬物依存者を自宅に預かるなど、いまは、支援する側にまわっている。

元組員C 10日たったら出て行って、また、戻ってきて、その繰り返しですわ。僕が全部、炊事もやってるし、洗濯もね。

中川 寮長いう感じやな。

元組員C 支援をしてもらった人間は、もう、感謝の気持ちでいっぱいですわね、やっぱりね。やっぱ、そういう受け入れてくれる人は少ないから、理解してくれる人はね。

中川 まあ、私のところで、そんな子来たら助けてあげて。

元組員C そら、もう、いつでも言うて下さい。協力もしますし、なんぼでもさせてもらいます。できる限りは、やらせてもらいますんで。

求められる社会復帰支援とは

 再び、中川茂代さん個人にインタビューした。

中川 やっぱ、みんなちゃとしたいねん。ちゃんと生きていきたいねん。ホンマは。根本は、せやねん。もう、もっかい(もう一回)人生やり直せんのやったら、もっかい頑張ってやり直そう、みんな、そう思うてる。絶対に・・・でも、やっぱりできへんねん。

 警察がこう言ってくれてるから、私、まじめになりましたとか、じゃ、うち、絶対聞いたことない。しゃから、やっぱり・・・気持ちを許せる人との信頼関係と・・・それで立ち直れるんちゃうかなあと思うてる。

 踏み込んだ取り組みの必要性が指摘されている暴力団組員の公的支援、草の根の社会復帰支援。暴力団対策をさらに推し進めるには、何れも避けては通れない課題となっている。

困った時はお互い様

 自身の収入が少ないにも関わらず、暴力団離脱者などを見守り、社会復帰の支援を行う中川さんに、なぜ支援をしているのかと尋ねると、次のような答えが返ってきた。

中川 うちら、何や大層なことはしてへん。いうたら、持ちつ持たれつの関係や。自分に余裕がある時は、できるだけのこと・・・たとえば、出所してきて飯にありつけんような大学出(刑務所出所者)に、ご飯をゴチする。仕事が無いんやったら、しばらく働かせてくれる知人の経営者紹介するくらいや。うちらも、いつ何時、他人様の世話にならんといかんかもしれん。そこんとこ、お互いさまや。

 そうした姿は、うち、お母ちゃんの背中見て覚えたな。横文字の・・・何や、インフォーマルな支援いうような、大層なものちゃうで。ここいらでは、日常的な風景や思う。九州では工藤會とか、ヒネの締め付けで辞めはる人多い言うてたなあ。小倉の祭りもヒネ割(警察が出店を管理すること。ヒネとは警察を指す隠語)になってるいうなあ。そないな状態では、ヤクザもテキヤも家族養うんは並みやないな思うで。

 福岡には、落ち目のヤクザ、助けてくれるカタギの人居らんのかいな。吉田磯吉はん(明治から大正時代に、北九州で活躍した近代ヤクザの祖。後に衆議院議員)のお膝元やった小倉がそないなもんやったら、うちらも寂しい思うなあ。任侠なんて大層なもんちゃうけどな、困った時は、お互い様や。それが日本のいいとこや思う。まあ、そないに言うても、うちなんて貫目も足らんの分かってるけど、分相応のことは、やろう思えばできんねん。

コミュニティ・オーガニゼーション

 中川茂代さんをはじめ、彼女たちが生育した大阪・生野の街角では、いわゆるコミュニティ・オーガニゼーションによる暴力団離脱者の社会復帰支援が為され、彼らの再犯を防止していた。

 コミュニティ・オーガニゼーションとは、犯罪・非行の原因について、個人の負責を求める発想から、社会そのものの中に犯罪・非行の要因を認める発想の転換に伴って起こってきた犯罪予防方法である。コミュニティ・オーガニゼーションの先進国であるアメリカでは、市民の意識と地域活動の展開こそが犯罪の増加を阻み、予防効果をあげる方法として強調されている。

 むろん、中川母娘の場合、それら一連の行為が、刑事政策的な必要性を認識してなされていたものではない。しかしながら、たとえ任侠道に基づく義理や人情が、その主要な動機であったとしても、大阪の街角に自然発生的に芽生えたコミュニティ・オーガニゼーションは、確実に機能していたのである。

 残念なことに、我が国では、現在までのところ、犯罪・非行防止対策としてのコミュニティ・オーガニゼーション活動は、それほど成果をおさめていないといわれる。

 その理由には様々なものが含まれるが、大きな理由としては、それらの多くが行政指導型であり、地域住民のニーズ(あるいは、離脱者・更生者のニーズ)、積極性、創意性が汲み上げられていないことが挙げられる。そのような、我が国のコミュニティ・オーガニゼーションが機能する数少ない実例として、中川茂代や彼女が生活する大阪の街角が、欧米の借り物ではない、我が国独自のコミュニティ・オーガニゼーションの嚆矢となることを願ってやまない。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「非行少年」更生の鍵握る協力雇用主・保護司の奮闘

[関連記事]

「シャブ中で大泥棒」、彼女を更生させた元ヤクザ

奈良県警・留置場変死事件、遺体が叫ぶ取り調べの闇

人でにぎわう大阪・道頓堀(本文と写真は関係ありません)