中国時代劇ドラマといえば「三国志」「水滸伝」などの英雄伝だけでなく、『宮廷の諍い女』『宮廷女官 若曦』など、清朝宮廷ドラマヒット作も多い。昨年、中国でインターネット再生数180億のNo.1ヒットとなったドラマ『瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~』もその一つ。本作のヒロイン・瓔珞のモデルとなった孝儀純(こうぎじゅん)皇后は、乾隆(けんりゅう)帝の後宮で宮女から妃にのし上がり、ついには皇后の称号を得る成功を遂げた人物だ。果たしてこの孝儀純皇后とはどんな女性だったのか? これまで日本ではあまり知られていなかった清朝のシンデレラガールについて紹介しよう。

【写真】清朝のシンデレラ・ガールを描く時代劇ドラマ『瓔珞(エイラク)』場面写真

 のちの孝儀純皇后、魏佳(ウェイジア)氏は奴婢ではないが身分の低い生まれだった。彼女の父親は漢人の官僚だったが、その中でも官位が低く、記録は残っていないが、彼女が乾隆帝の後宮に入った際にはただの宮女の身分だったと考えられる。

 また、乾隆帝が詠んだ詩の内容から、彼女は富察(フチャ)氏(孝賢純皇后)の下で教養やマナーなどを学んでいたと解釈する説もあり、『瓔珞(エイラク)』ではこれを踏まえて、刺繍工房の宮女だった瓔珞がやがて富察氏の侍女となり、富察氏から後宮での処世術を学んで成長していくストーリーが展開していく。

 1745年、乾隆帝にその美貌を見出された魏佳氏は、16歳で魏貴人に、そして3年後には令嬪となり、さらに11年後には令貴妃にまで昇格した。この「令」という字は「美しい」という意味で、乾隆帝が彼女のために中国最古の詩篇「詩経」の一節から取ったといわれる。

 このように魏佳氏は乾隆帝に寵愛されたが、『瓔珞(エイラク)』ではこれまでにない解釈で二人のロマンスを描いているのが面白いところ。劇中では乾隆帝は聡明で美しい瓔珞に惹かれながらも、彼女を警戒して寵愛するどころか避けようとするのだ。だが、富察氏の弟・富察傅恒(ふこう)との恋に破れ後宮でのし上がろうと決意した瓔珞は、知略を尽くして見事に乾隆帝の妃となり、彼の心を奪う。

 そんなふうに史実をなぞりながらも、ドラマでは切なくスリリングな三角関係のラブストーリーが展開するのが見どころだ。魏佳氏は令貴妃となった翌年、のちに乾隆帝の後を次いで第7代皇帝・嘉慶(かけい)帝となる皇子・永エンを生む。なお、彼女は乾隆帝の妃嬪の中でも四子二女と、最も多くの子供に恵まれており、それが彼女こそ乾隆帝に最も寵愛されたと妃だといわれるゆえんでもある。

 1765年、彼女が貴妃からさらに皇貴妃の称号を得るが、その後の人生について付け加えると、皇貴妃の称号を得てから10年後、彼女は49歳で病によりこの世を去り、その20年後に永エンが皇太子に立てられた際、生母である彼女に皇后の称号が追贈された。

 このように、ヒロインサクセスストーリーを描いた『瓔珞(エイラク)』の裏には確かにシンデレラストーリーの史実があった。ただ、それをストレートに描くのではなく、現代的な視点から新たな物語を紡いでエンタテインメントに仕上げているのが、このドラマGoogleで「2018年世界で最も検索されたTVドラマ」になるほど世界的にも大ヒットした理由だろう。

 正義感に満ちた瓔珞がどうやって妃たちの陰謀をかわし、宮廷闘争を勝ち抜いて栄光を手にするのか? その陰でどんな悲喜劇を体験し、どんな生き方を選択するのか? 『瓔珞(エイラク)』が生き生きと描き出す一人の女性としての孝儀純皇后の人生には、最強の皇后として史実を超えた驚きとスカッと痛快感も味わえる。

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