酒に溺れる日々。家族からの虐待。家庭の経済状況の極端な浮き沈み。私にとってはこれまでの人生で縁のないものだ。なのになぜ、ルシアベルリンの描く痛みが自分と近しいもののように感じてしまうのだろうか。

 本書は、1936年生まれの著者が生涯に著した76の短編のうちの24編を収録した作品集。彼女の作品の翻訳を切望した訳者・岸本佐知子氏によるあとがきで、著者は「存命中も死後も、「知る人ぞ知る」作家の位置に長くとどまっていた」作家と紹介されている。しかし、2015年に全作品の中から選ばれた43編を収録した作品集A Manual for Cleaning Women(リディア・デイヴィスの序文「物語がすべて」付き。本書はここからさらに24編が厳選されたもの)が出版されたことで、ルシアベルリンを再評価する気運が高まったのだという。

 同じく岸本さんが書かれているように、「ルシアベルリンの小説は、ほぼすべてが彼女の実人生に材をとっている」のだそうだ。ジェットコースターに乗り続けているような人生を送る人の話は、たまに聞くことがある。けれども、だれもがルシアのような小説を書くことができるわけではない。もちろん、彼女が文才に恵まれていたというのは大きな理由のひとつだろう。多くの作品で見られる、読者を置いてきぼりにするようなラストはとりわけ印象的だ。こんな文章って、誰かから教えてもらって書けるようなものではないような気がする。しかし、個人的に文才以上にぐっときたのは、彼女の他者を受け入れる度量の広さだった。

 少女時代にはお嬢様暮らしをしていたこともあるルシアだったが、3度の結婚・離婚を繰り返しシングルマザーとして4人の息子を育てるためにさまざまな職業を経験する。使用人に世話をされる身分だったのが一転、自分が掃除婦などをして他人に使われるようになったのだ。しかし彼女(あるいは彼女の描くキャラクター)は、相手の身分などによって態度を変えるようなことは頭にないように見える(女学生時代にとらわれがちな「そのころのわたしたちにとっては、センスと気品こそがすべてだった」という考えに基づき、器量がいいとはいえない女性教師をディスったりするヒロインが登場したりもするのだが)。人種の違いや貧富の差や前科のあるなしなどたいしたことではないと思える(少なくとも文章に書いたりはしない)ところ、とてもかっこよかった。それでいて繊細、でも骨太、でありながら怠惰で、だけど真っ当...と、ひとりの人間の中にこんなに多様な性質が内在するのかと思わされる。だからこそ、読者は彼女が見せるさまざまな側面のいくつかに、自分と同じものを見出すのかもしれない。

 群像8月号の川上未映子・岸本佐知子両氏による「ルシアベルリン作品集刊行記念対談」で、確か川上さんだったと思うけれども、"これだけの数の小説があればクオリティの落ちる作品があるものだが、『掃除婦の〜』にはそれがない"という趣旨の発言をされていた。まったくその通りだなと共感しきりだったが、それでも好みの短編というものはまた別にある。私が特に好きだったのは、「どうにもならない」「喪の仕事」「さあ土曜日だ」(1編には絞れなかったし、この原稿を書いている時点ではこの3作だが明日にはまた意見が変わるかもしれない)。「どうにもならない」は、息子たちのけなげさに心を打たれた。「喪の仕事」はヒロインの有能さに感銘を受けた(表題作の「掃除婦のための手引き書」などもそうだ)。「さあ土曜日だ」は珍しく男性が語り手で、ルシアキャラはいずこに...?と思ったがちゃんと登場した。犯罪者だからといって身構えたりすることなく、同じ創作をするものとして彼らと向き合っている刑務所の文章教室の講師が素晴らしい。とはいえ、はっとさせられるという意味では「ママ」とかがすごいかな...と、いくらでも語っていられそうである。いつか、例えばコインランドリーとかでばったり出会ったときに本書について語り合いたいので、あなたもぜひ読んでおいていただけたらうれしいです。

(松井ゆかり

『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 講談社