(舛添 要一:国政政治学者)

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 香港では、民主化を要求する市民のデモが続いている。デモ隊の中には過激化する者もおり、空港閉鎖など、観光をはじめ経済にも悪影響が出ている。

 そのような中で、9月4日、林鄭月娥(Carrie Lam)行政長官は、逃亡犯引き渡し条例改正案を正式に撤回した。当初は撤回に反対していた北京政府も、この決定にゴーサインを出したが、それは多少の譲歩をしても、これ以上の混乱を避けたいからである。10月1日は、中華人民共和国建国70周年であり、何とか香港情勢を鎮静化したいのである。

 しかし、今回の条例改正案撤回については、香港では「遅すぎる、少なすぎる(too late, too little)」という評価が一般的である。6月に条例改正案反対の大規模デモが起こった直後に撤回しておれば、事態はすぐに収まった可能性が大きい。しかし、行政長官は、改正案は「死んだ」とまで言っても、撤回は拒否し続けたのである。騒動が始まってから3カ月、事態は深刻さを増し、民主派も要求内容を拡大していった。

五大要求全てで進展なければ鎮静化せず

 民主派は5つの要求を掲げている。①逃亡犯条例改正案の撤回、②デモを「暴動」とみなす政府見解の取り消し、③デモ逮捕者の釈放、④警察の暴行を調査する独立委員会の設立、⑤民主的選挙で指導者を選ぶ普通選挙の確立、である。やっと今回、①のみが実現した。しかし、遅すぎた感は否めない。

 しかも、①については、審議延期とか事実上の廃案とかいった状況であることは、香港政府も既に認めていたのであり、譲歩と言っても最小限のものにしかすぎない。②や③や④の逮捕者の釈放や警察に対するチェックなどは、傘下の警察の反感を呼ぶために、容易ではない。

 デモが長期化するにしたがって、民主派の五大要求項目が香港社会に定着し、今や、他の4つも前進しなければ、事態は鎮静化しないような状況になっている。

北京政府、香港政府が絶対に認めない「普通選挙」の実現

 2014年秋の「雨傘運動」のときにも、民主派は行政長官の直接選挙を求めたが失敗しており、今回こそはという意気込みである。デモは、新学期が始まっても続いており、授業ボイコットも行われている。参加者も中高校生にまで拡大している。

 最終的には、日本や欧米の先進民主主義国のような完全な普通選挙を実現させることが民主化運動の目的となっているが、北京政府も香港政府もそれは絶対に認めないであろう。

 中国の立場から言えば、香港は中国の一部であり、共産党一党独裁に反対することは許せないのである。一国二制度とはいえ、北京に対立する政権の樹立は論外であり、当然の限界がある。

 一方、民主派にしてみれば、台湾のように、指導者を完全に民主的選挙で選ぶことこそが、一国二制度であると言いたいのである。両者の見解が調整できるはずもなく、出口が見えないのが現状だ。

 今回の香港のデモを見ていて感じるのは、1968年にパリで起こった「5月革命」に似ているということである。

 51年前の1968年5月、フランスで学生の反乱、5月革命が起こった。彼らの要求は、大学の運営への「参加(participation)」や学生自治の拡大であった。私は、当時は東京大学の学生であったが、東大でも紛争が起こった。それは医学部などで大学当局の決定に問題があるとしたものであった。そして、意思決定過程に学生を参加させよという要求を掲げたのである。

 日仏だけではなく、ドイツイタリア、アメリカなどの先進民主主義国でも学園紛争の嵐が吹き荒れた。アメリカでは、シカゴなどで、ベトナム反戦運動が激化していった。

 当時の若者の運動に共通していたのは、授業料値下げとか、奨学金の増額とか、学生食堂の充実とかいった物質的な要求ではなく、意思決定過程への参加というような脱物質的な要求であった。社会学者のロナルドイングルハートは、若者の反乱のこのような性格を「ポスト・マテリアリズム(脱物質主義)」という言葉で特色づけた。

 香港の民主派や若者たちが掲げる5項目の中には、就職支援や家賃補助などの経済的欲求は含まれていないし、失業とかインフレとかいう経済困難が街頭に出ることを促したのではない。また、世界中で台頭するポピュリズム引き金となった格差の拡大は、今回のデモとは全く関係がない。貧富の差を超えて、あらゆる階層の香港市民が運動に参加しているのである。市民が掲げているのは普通選挙の実現であり、それは、1968年の5月革命と全く同じ参加要求である。

 さらに言えば、フランスの5月革命は、ドゴールの長期政権に対する不満の爆発でもあった。今回の香港の反政府デモは、北京政府の支配下にある香港政府の下で、完全な民主化がいつまで経っても実現しないことへの不満の爆発でもある。

 そのように考えてくると、香港市民の運動は、50年遅れの5月革命と言ってもよいのかもしれない。皮肉なことに、今のフランスで起こっている「黄色いベスト」運動は、格差の拡大に対する「異議申し立て」であり、掲げている要求は、最低賃金の上昇などの「物質的なもの」である。

 1968年の5月革命を収拾させるためにドゴール大統領は議会の解散総選挙を行い、それには勝利した。しかし、翌年に行った上院や地方制度の改革を問う国民投票で破れ、大統領職を辞することになる。5月革命で政権が弱体化していたのである。

 フランスのような先進民主主義国と香港とを同列に論じることはできないが、香港市民の今回の運動が半世紀前の5月革命に似ている点があることは注目に値すると思う。

 さらに言えば、抑圧的な体制からの自由を求める運動という意味では、5月革命の数カ月前に起こった「プラハの春」にも似ている。1968年1月、チェコスロヴァキアでは、ドプチェク共産党第一書記が、事前検閲の廃止、市場経済方式の導入など、「人間の顔をした社会主義」を目指したのである。しかし、この民主化への動きは、ソ連のブレジネフが率いるワルシャワ機構軍の戦車で弾圧されてしまった。

難しい舵取り迫られる習近平政権

 今後の最大の問題は、中国の対応である。10月1日の建国70周年までは、香港情勢を静観するであろう。習近平政権は、下手に強硬手段に出て、香港市民のみならず、アメリカやEUなどの国際社会の反発を買うことを恐れているからである。しかも、貿易摩擦でアメリカとの関係が悪化しており、香港問題でさらなる緊張状態をもたらすことは望ましくない。

 しかしながら、香港の民主化運動が掲げている要求を飲むことは、北京政府の正統性を自ら否定することにつながるし、台湾の統一という長期目標にも影響を及ぼす。

 資本主義経済体制の下で民主主義を実行してきた日米欧などの先進民主主義国では、「経済が発展すれば政治は民主化する」、「政治的自由のないところに経済発展はない」ということを当然の前提としていた。しかし、その前提を覆すような経済発展を、共産党一党独裁の中国が成し遂げたのである。

 鄧小平1978年に始めた「改革開放」路線、社会主義市場経済路線は、40年経った今、GDPで世界第二位になるという成果を収めたが、一方では、アメリカとの世界の覇権をめぐる熾烈な争いを引き起こしている。トランプ大統領の乱暴な中国封じ込め政策が功を奏して共産党政権の瓦解にまでつながるのか、共産党による中国の実験は今後も続くのか、定かではない。

 今から30年前の1989年6月4日には、民主化を求める市民のデモが戦車で弾圧された天安門事件が起こっている。戒厳令を布告して対処したのが鄧小平である。香港の騒動が、第二の天安門事件に発展しない保証もまたない。対応次第では、習近平の指導力が問題になる事態に発展するかもしれない。

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