あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る・・・。

この素敵な歌は「万葉集」に収められている額田王(ぬかたのおおきみ)が作った歌です。

作者の額田王は、飛鳥時代の皇族で、万葉歌人としても知られる高貴な女性です。彼女のこの歌が有名なのは、この歌が日本史史上に残るおそらく最初の三角関係恋物語を詠みこんだものだとされているからです。

今回は前回に引き続き、2人の天皇に愛された美しい歌人、額田王の人生と恋をご紹介します。

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夫の兄の妻に・・・。

額田王は大海人皇子の妻となり、娘を生んだのも束の間、なんと夫の兄である中大兄皇子にその才色兼備ぶりを見初められてしまいました。しばらくすると中大兄皇子は「自分の娘4人を大海人皇子の妻として差し出す代わりに、額田王を自分に譲ってくれ」と、けっこう無茶な交換条件を弟に提示します。

中大兄皇子は、有力豪族・曽我入鹿を暗殺したばかりか、いとこの有間皇子など、自分の目的の邪魔になりうる人物を徹底的に排除してきた人物ですので、ここで彼の要望を断れば夫の大海人皇子がどんな目に遭うか分かりません。

額田王は泣く泣く大海人皇子と離婚し、中大兄皇子のちの天智天皇に召されたのでした。

額田王と大海人皇子の愛

しかしその後も、額田王は別れた大海人皇子と相思相愛だったのではないかと言われています。そういわれる由縁が「万葉集」の有名なあの歌です。

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

これは標野(しめの)という皇族のみ入れる御料地で、端午の節句の薬猟(くすりがり)の時に額田王が詠んだ歌です。この行事では、男性は鹿を狩り(鹿の角は長寿の薬となる)、女性は薬草の紫草を摘みます。

「茜色に夕映える紫草の標野を、皆が鹿狩りや薬草摘みに忙しく行き来している。その中で、大海人皇子が向こうから私に向かってにこにこ無邪気に手を振っている。どうしましょう、標野の番人に見られてしまうじゃない・・・。」

さて、たかが手を振るのがなぜまずかったのでしょうか。歌の解説は、次回に続きます。

最終回に続く

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