「いだてん」第34話「226」が放送されました。

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タイトルのとおり、冒頭から陸軍青年将校らがクーデターを試みた事件「二・二六事件」からドラマスタート。東京は一気に殺伐とした雰囲気に包まれますが、タイミングが悪いことに同じころ、IOC会長のアンリ・ド・バイエ=ラトゥール伯爵が日本に向けて旅立ったことが知らされます。

東京オリンピック招致のため、嘉納治五郎がラトゥールを招待したのでした。戒厳令が敷かれた東京でラトゥールを接待しなければならなくなった招致委員会の面々でしたが、蓋を開けてみると滞りなく進み、ラトゥールはすっかり日本を気に入って帰っていくのでした。

滞在中は昭和天皇にも謁見

ラトゥールは1936年3月19日、秩父丸で来日しました。二.二六事件からひと月も経っていないころです。ラトゥールは横浜港から上陸しましたが、入港の際には五輪旗を持った子どもたちの歓迎を受け、また街中の人々からもオリンピックへの理解と歓迎ムードを感じ、それがオリンピック東京開催を好意的に受け止める一材料になりました。

その後、ラトゥールはドラマで描かれたように競技場やプールなど各施設を視察してまわり、4月9日に横浜から出航しますが、その間、3月27日には昭和天皇にも謁見していたことが記録されています。

また、視察場所は東京に限らず、日光や関西の奈良・京都の観光などもスケジュールに組み込まれていたようです。

帰国後すぐに日本開催に向けて行動する

ラトゥールは日本から離れる直前に、「ヨーロッパから遠いという不利な点はあるが、それ以外の問題は解消可能」として、東京大会開催がほぼ確定的なものであるという視察談を発表しています。

ただおしろいのが、招致委員会は私の視察をもって仕事を終わりにし、以降は余計な裏工作などせず決定を待ちなさい、と言っていることです。

やはり、日本の招致委員会がムッソリーニと譲歩の密約をしたことがよほど気に入らなかったのでしょう……。それで多くのIOC委員の反感を買ったわけですから、ラトゥールとしてもこれ以上変な行動をされては、もうかばいきれないよ、ということでしょうか。

ラトゥールはベルギーに帰国する前、中継地のサンフランシスコで東京大会支援の旨を表明しています。ラトゥールがベルギーに帰国後にスウェーデンの日刊紙に語った講演から、スウェーデン公使の白鳥敏夫は「日本のスポーツは進歩していること、国民はオリンピックに対する理解があり、熱気を持っていること、さらには冬季大会開催可能な候補地もあること」から、日本大会開催の可能性に確信が持てた、と報告しました。

以後、日本の招致委員会はラトゥールの忠告通りに小ズルい招致工作をやめ、ラトゥールにすべてを任せることにしたのです。

こうして同じ年の7月には東京大会が決定するのでした。

参考:坂上康博、 高岡裕之『幻の東京オリンピックとその時代 戦時期のスポーツ・都市・身体』(青弓社、2009年

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