チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』が2019年10月5(土)・6日(日)にロームシアター京都 サウスホールで、消しゴム森』が2020年2月7日(金)〜2月16日(日)(仮)に金沢21世紀美術館で上演される。

チェルフィッチュの岡田利規は、2017年に東日本大震災で多大な被害を受けた岩手県陸前高田市に訪れ、津波被害を防ぐ高台の工事で、地面を嵩上げするための土砂をまかなうために周辺の山を切り崩し、驚異的な速さで地域の風景を変える、人為的な暴力性を孕んだ光景を見たことをきっかけに、「人間的尺度」を疑う新作の構想を始めた。

そして「いま・ここにいる人間のためだけでない演劇」「人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在する演劇」というコンセプトで制作されることとなった『消しゴム山』『消しゴム森』の両作は、コラボレーターに美術家・金氏徹平を迎え、チェルフィッチュが近年から取り組む映像による演劇「映像演劇」も組み込み、劇場と美術館という異なる二つの空間で上演される。今回、俳優の演技は観客に向けられない。さらにモノが人間に従属する関係を断ち切った、モノと人との新たな関係性を示すという。

8月28日に行われた『消しゴム山』プレス向け公開リハーサルで、本公演は3部構成であることが判明した。この挑戦的な試みは、公開されたコンセプトを読むだけでは、どのような作品なのかをイメージし難い。そこで、新作を具体的に想像するためのヒントとして、リハーサルで披露された作品序盤の様子と、その後、作・演出の岡田利規に行ったインタビューをお届けする。

ショーイング

稽古場には、金氏から説明もなく送られたというモノたちが並ぶ。舞台に立つ俳優を撮影し等身大で映す、縦長のスクリーンも置かれている。我々が稽古場に入室した時に俳優たちはリラックスした様子だったが、リハーサルが始まると、場に張り詰めた空気が漂った。

矢澤誠がマイクロフォンを持ち、天井に向かって台詞を発している。岡田が途中で止めて入ると、矢澤は、「関係が薄まった」と伝えていた。

作品の核となるコンセプト「人間のためにやる演劇を超える演劇をつくっていく」にある「人間」とは、「上演を観ている観客」、つまり「観客に直接向けない演劇をやる」というもの。新しい試みが俳優に求められている。観客のいない稽古場に客が入ったことで、モノとの関係が薄まり、観客に向かう演技が今の段階では時折混じってしまっている、ということなのだろう。

岡田によると、そもそも観客のいない状態で行っていたものが、観客が入ることで起こる何らかの変化を俳優が経験する、ということが今回のリハーサルのひとつの目的だったという。

「場ができている時とできていない時があって、それが分かっているからそれでいい」

と、演出中に俳優に話す場面もあった。今作の中で手探りに進められる挑戦は、初日約1ヶ月前のこの日には着実に手応えを感じているということだろう。

ショーイング後の質疑応答では、岡田は「チェルフィッチュの作品に舞台美術として参加したこれまでの金氏さんの作品は、舞台上に置かれた物が、その演劇で作り上げられようとするフィクションやシーンを成立させるために役立っていた。そのようにして人間のために使ったモノとの関係とは、真逆と言えるということをやりたい」と語った。

序盤のみが公開されたリハーサルでは見ることは叶わなかったが、3つの全く別のエピソードを通して、人間とモノとの関係が、道具として使われるモノと人との関係とは違ったものになっていくという。つまり人間のためのモノ、人間に奉仕するためのモノが、その役割から解けていく展開になる。シーンが進むについて、モノの存在感は増していくという。

インタビューでは、「演劇をアップデートする」新しい試みについて、今の段階で見えていることについても掘り下げてみたい。

「アップデートと言っても、もともと演劇の中にあったもののひとつを引き出すことだと思っている」

――今回のリハーサルで得たものとは何でしょうか?

岡田 今回のコンセプトが全然成立しないものというわけではないことが分かった。「いけるな」と思いました。観客に直接向けないパフォーマンスをやるんですが、それでも結局それが観客にとっての何かになっていなければいけないわけで、でも、それができそうだなと。

――観客が入ったことで、役者さんは「薄まった」とおっしゃっていました。これまでの稽古と少し変わったという意味だと思うのですが、役者の意識が、観客の方にいっていることがある、ということですか?

岡田 はい。今の段階でそれが経験できてとても良かったです。

――今回の新しい試みについて伺いたいのですが、「観客に向かわない演劇」を行うようになったきっかけとは何でしょうか?

岡田 劇場は、舞台上のパフォーマンスが、観客席の観客に強く届くようにデザインされていて、僕もこれまで劇場で演劇をやるときは、その仕組みを最大限に利用して、パフォーマンスをできるだけ強く観客に届けようとしてきました。そういうことを心がけて演劇をやるというのを長く続けてますし、観客に対して上演の力を届ける技術は、どんどん高くなってきてるんですよ。でも、それがひたすら強ければそれでよいのか? という問題がある。たとえば、それって暴力と紙一重じゃないか、という問題。今以上に自分の力を強くしていくことに、そんなに意味を感じないんですよね。だからそれ以外のことを見つける必要がありました。お客さんに向けないというものを試みているのは、そうしたいきさつゆえでもあります。この作品では、演劇のポテンシャルの中でまだ明るみにされていない、十分に引き出されていないものを引き出したい。

――それが「観客に向かわない演劇」ですね。ただ、どのようにして観客に届くのですか?

岡田 クリエーションの現場では、音響を例にして話してるんですけど、ハイスペックスピーカーを、観客の方にばっちり向けて音を出せばいい、というのが従来のやり方で、今回やりたいと思ってるのは、リハーサルの時はスタジアムコンサートに例えて言っていたんですけど、スタジアムの中でコンサートやっていて、でもチケットの抽選にもれたので、中には入れない。でもいても立ってもいられなくて、会場の外に来た。中の音が外に漏れて聞こえてきていて、それは音質は全然良くないかもしれない。でもそうやって聞く経験は、下手すると中で聞くより感動するかもしれないね。自分に向けられていないもの、自分が相手にされてないものを受け取るという経験の特有の質。

――モノとの関係性を変える要素として、役者の演技だけでなく、テキストも今までとは違うものになっているのでしょうか?

岡田 今までに書いていないようなテキストが中盤以降に出てきます。

――「映像演劇」はどういった作用を期待して、今作でお使いになるのでしょうか?

岡田 人の存在感とモノの存在感の間にあるようなものとして、映像演劇を考えられるんじゃないか、という勘があります。人とモノの間のトンネルのような。

――先ほどの演出の時に、「モノとの時間」について俳優に伝えていたと思います。今回、エピソードの一つにタイムマシンが出てくることが明らかになりましたが、この作品の中で「時間」は何らかの要素となっているんでしょうか。

岡田 なると思います。でも、時間は直に触れられないので、時間についてはあまり考えてません。時間を考えるということが、何を考えることなのか分からなくて。一方、僕が直に手で触れていじることのできるものもあります。その一つは、想像です。想像を扱うことを介して間接的に時間を扱うことはできるかもしれないし、してみたいです。

――金氏さんからは説明もなくモノが送られてくるそうですね。モノに関して何かリクエストや共有していることはあるのでしょうか?

岡田 どういうモノがほしいかといった具体的なリクエストはしていません。でもコンセプトを共有しているので、問題ありません。

――その、共有しているコンセプトとはどのようなものでしょうか?

岡田 例えば、僕は一昨年に初めて陸前高田に行き、そこで目にした風景がこの作品をつくるきっかけになっているんですが、それを金氏さんにも見てもらいたくて、去年一緒に行きました。嵩上げ工事の風景を見て金氏さんもいろいろ思うところがあったみたいで、僕にくれたメールの文面からひとつ抜粋すると「陸前高田の工事の風景があまりにも多面的で、複雑に異なった感情、利権制度が絡み合った結果、何なのかが分からない暴力的かつ牧歌的な状況が生まれていた。しかもそれを見る側はなぜかそこに、慰霊や鎮魂のようなものを見出してしまう、というものもある」とか。たとえば、そういうことをシェアしています。

――最後に伺いたいのですが、来年公開される『消しゴム森』の内容はどの程度、固まっているのでしょうか?

岡田 テキスト的には、『消しゴム山』とさほど変わらないものにするつもりです。ただ上演の形式、上演が行われる場所やそこに宿っている制度が全く違います。それで『(消しゴム)山』『(消しゴム)森』と呼んでいるんですね。つまり、客席から舞台を観ることが山を眺めるようなことだとしたら、展覧会は美術館という森の中に入っていって、その中を散策するというイメージ。

――ひとつのコンセプトを、劇場と美術館という異なる2つの場所で行う動機は何だったのでしょうか?

岡田 動機は単純で、やってみたかったんです。今の時点で思ってることは、今回、人とモノの新しい関係を見せようとしているわけですが、普通に考えると、劇場は人つまり役者のための場所、一方美術館というのは美術作品、つまりモノのための場所と言えますよね。だから人からしたら劇場はホーム、美術館はアウェーと言える。モノにとってはその反対。この発想で考え方で両バージョンのコントラストを考えていったら面白いかなと。


今回挑戦する「演劇のアップデート」について、岡田は「アップデートと言っても、もともと演劇の中に組み込まれているもののひとつを引き出すことだと思っている。でも、そういう演劇は何かできるんじゃないかと思うし、そうしていかないと今に対してできないことがあるように思う。それを見つけたいと思って取り組んでいる」と語っていて、その言葉が強く印象に残った。

公開初日にどのような新しい演劇の一面が観られるのか。クリエーションの進捗に想いを馳せながら、その瞬間を待ちたい。

取材・文・撮影=石水典子